な~んにもやる気が起きない

昨夜は寝落ちして朝は掘りごたつの中で目が覚めました。

寝落ちしたくらいだから基本的に寝不足でトーストで朝ご飯したあと

また、寝てしまったりで、いつのまにか昼を過ぎてて女房は朝から

大坂に出かけてるしラーメン作って食べました。

14日ぶん溜まってる新聞を読み始めたけど力が入らず一日分だけ。

これじゃいつまで経っても追いつくことができません。

ふだんの生活に戻るために、やらねばならぬことが、山ほどあるのに

ムリして取りかかってもカラまわりするだけで、まあ、今週一杯は

土曜日に予定が入ってるだけだし、確定申告もウドのムロ作りも

来月から始まるプラゴミ収集の回覧作りも、〆切を守れるように

ゆる~く、ガンバりまする。

帰途

いつもより、2時間ばかり遅く起き出して朝食のあと、タープテントを

たたんでスライドアウトを閉じました。このテント。大正解でした。

滋賀で経験したようなスキマ風が、ほとんど入ってきません。

暖めた室内の保温効果も高くて「してやったり」でした。スライドアウトの

構造が丸見えではないので防犯効果も高いのではないかと

思いました。テントを留めるロープの結び方も、ちょっとだけ特殊な

やり方をしているので留守中に誰かが解いても元通りわからないように

結び直しておくのはむつかしいと思ってます。今回、一度も、あやしげな

痕跡が残ったことはなかったのでホッとしてます。そういえば、最後まで

職質にも遭うことはありませんでした。12日間も同じ所にぁゃιぃ車が

24時間置いてあれば、逆の立場であれば不審に思いますけどね。

9時半ごろに出発して、いつも使うスーパーじゃないほうに行ってみたら

災害による臨時休業。再開の予定立たずの状態でした。停泊場所から

340mほどのメッチャ近いロケーションなんですけどね。

しかたなく、自分へのごほうび用のステーキ肉を見ようといつものスーパーに

行ったら、バッタリとボランティア仲間に会いました。この方、1月半ばから

ずっと車泊で活動をなさっていて今月いっぱいは継続される予定だそうです。

その技量といい人格といい働きぶりといい卓越したSさんで、まだ、41歳なのに

誰しもリーダーとして認めてしまいます。さしものYさんも従うだろうと思われる

ところですが、Yさんだけは主張を曲げることはありません。これはこれで、

さすがです。

Sさんは溜まりに溜まった洗濯物を片づけたところでした。絶好の機会なので

ジンちゃんを見せて自慢させていただきました。

今日、高速に乗る前にやるべきことは二つ。道の駅「いい道の駅のと千里浜」に

寄って藻塩を入手できるかということと、宇佐美でガソリンを満タンにすることです。

ステーキ肉は、あれば…だったのですが、安くておいしそうな国産牛があったので

買っちゃいました。

「いい道の駅のと千里浜」では砂像がお迎えしてくれました。5月から11月にかけて

千里浜なぎさドライブウェイで多くの砂像の制作・展示が行われるそうです。

藻塩の入手は、ほとんどあきらめ状態だったんですが、なんと、ずっと品切れ

状態で道の駅でも、あきらめムードだったのが、つい最近入荷したところだった

みたいでラッキーなことに入手できました。

ガソリンは、会員証の提示やら何やらに手間取り、入れ終わったときには後ろに列が

できていてあせりました。

高速の上では一泊するつもりでいましたが、考えて見るとボランティアの無料通行券を

持っているので深夜割引きが効く夜中を待つ必要がなく、着いたらそのまま

降りることに変更。19時半までには無事帰着できました。見慣れたハズの景色が

どこか知らない街のように見えたのにはビックリでした。

ステーキ肉は、焼き方を失敗したのか脂っぽくて私としたことが全部食べきることが

できませんでした。残した肉は女房がリメイクか何かしてくれることでしょう。

ボランティア。このやっかいな人々

最終活動日を無事に終えることができました。

お世話になったボラセンの事務長さんを始め皆さんに挨拶して

受付ボランティアのおばちゃん達、全員に手を振って見送られながら

十日間8日の活動の思い出を胸にボランティアセンターを後に

しました。

最終日の活動でも失敗がありました。十人以上のボランティアを

休憩所から現場に案内しなければならないのに、ちょっと迷って

50mほど回り道をさせてしまいました。今回の全活動で何回目の

「すんません、すんません」でしょう。

さて、表題。数日前の昼休憩時でした。地元のボランティアMさんが、

その席にはいない防災士のネーム入りの服を着たNさんと自己主張の

強いYさんについて批判を始めました。その日はMさんがリーダーと

なっていましたが、Nさんが(防災士の肩書きを振りかざして)依頼者に

対して用命事項の中で優先順位はどうなっていますかと質問して

困惑させてしまってたことや、Yさんが家具を壊して運ぶべきだと強く

主張して曲げないなどの具体例を話しながらリーダーの指示を無視して、

それぞれが勝手に行動されたのでは、やっていられないとブチまけたのでした。

最初は、あいづちを打ちながら聞いてた私も、どんどんエスカレートする

Mさんの発言のスキをねらって「だいたい、ボランティアするという人って

変人だ。主張も強い。それが証拠に、まっとうな人間はボランティアなんか

しないよ」と、発言したのがウケて、そこにいた全員が大笑いしました。

さすがのMさんも振り上げた手のやり場に困って、「みんな変人」に賛同する

空気の中、Mさんの批判は腰砕けみたいになってしまい、だんだんと

元の雑談に戻っていきました。

今回、出会ったボランティアの中で、もっとも強烈な個性の持ち主は

Oさんで、ほとんど耳が聞こえないらしく、どんどん、マイペースで話を

進めて誰かが反応して発言しても聞こえないので、おかまいなく

自分の話を進めていきます。俺は貧乏で金がかかるのは嫌いだが

口癖で、ボランティア用にカップ焼きそばやカップうどんなどが用意されて

いるのを見つけると狂喜して、その場で喰う、持ち帰りをするという

傍若無人なところがありながら、周囲の者が嫌うどころか笑いながら

受け入れてしまう愛嬌も持っているのです。連発するお決まり

ジョークの中に時折最上級のジョークが放たれることがあり、常識

はずれが、一種の芸にまで昇華されているのです。Oさんの話に

なると誰もが笑いながら話す有名人でもあります。

マイペースでいろんなところで車中泊をしているので、ほうぼうで

職務質問を受けるらしく、私の駐めているところには一度もパトカーも

来なくて職質も受けたことがないよと教えると、三日ほど前から

私の隣で車泊しています。

私だって、県が定めたボランティア募集要項を完全に無視して

現地に入り込んでいるので迷惑ボランティアの一種なのですが

志賀町では受け入れてくれたので、ずっと、この町で活動してきて

います。

なぜ、県に背いてまで受け入れてくれているかが、ハッキリわかって

いるわけではありませんが、志賀町の前の町長が収賄で逮捕されて

辞任したので、これに伴う町長選で当選したのが今の町長です。

昨年の12月25日に初登庁をして新町長として働き始めて一週間ほどで

今回の地震に見舞われてしまったわけで若手町議などの支援を受けながら

町政を進めているようです。そんな町長だからこそ、県にさからったような

ボランティア受け入れがスンナリと通ったのではないかと想像しています。

私が活動を始めた十日前には当日受付組は4人ほどだったのが、今では

個性派揃いの10名超えが当たり前になってきています。今後は、さらに

増加していくと思いますし、他の市町村の中にも追随するところが出るのでは

ないでしょうか。

志賀(しか)の休日

昨夜、かなり長いうたた寝の後、3時頃まで起きていたので

今朝起きたとき8時をまわっていました。

今日の休みは災害ゴミの仮置き場が休みだからで、ボラセンも

休みです。私が、この休みを知ったのは昨日の朝で、さあ、

あと三日、気合いを入れてガンバろうと思ったところだったので

え?あと二日なの?と気が抜けました。しかし、すぐに気を取り直して

降って湧いた休日だけど、せっかくの休日なので充実させようと

思ったのです。

ゆっくりと朝食を摂ったあとパソコンを起動させようとしたら、更新の

残りがあって、なかなか立ち上がらないので義母にプレゼントしようと

メルカリで買った「九十八歳。闘いやまず日は暮れず」佐藤愛子著を

開いて読んだりして近くの日帰り温泉 アクア シ・オン の開店時間を

待ちました。断水等で自宅のお風呂が使用できない志賀町民に無料

解放していることに関連していると思うのですがボデーソープ、シャンプーは

持ち込まねばなりません。このため、シャンプー代 393円と入浴料 550円の

合わせて 943円と、なかなかの金額になりましたが、5日ぶりの入浴で

気持ちが良かったこと良かったこと。おまけにボランティア仲間とバッタリ会って

裸のおつきあい。おしゃべりに、ついつい長湯になって少しフラフラになりました。

湯船の中だけではなくて脱衣場で再び話の花が咲き楽しい時間を過ごせました。

新潟の小千谷からおいでになった方です。

11時過ぎに温泉をあとにして、そのまま車に帰って何か作って食べても

良かったのですが、ひょっとして町役場の中に食堂でもないかと寄って

みたけど、これはなさそうで付近のレストランを検索したら「能登旬菜

ダイニング 市左衛門」が、11時半に開店するとわかったので、すぐ横にある

本屋で、ちょっとだけ時間をツブして開店と同時に入って日替わり定食

950円をおいしくいただきました。実は、風呂に向かう途中に「唐人」

という名の中華料理店を見かけて、たまには外食もいいかと思って

しまってたのです。「市左衛門」は町役場に向かう途中に見かけていました。

残念ながら「唐人」は、しばらく休ませていただきますの張り紙があって

レストラン検索でも中華料理店のめぼしいものが見当たらず、

お店の感じも知っている「市左衛門」にしたのです。

昨日、私の停泊している駐車場に隣接する形の「とこやさん」に

14時の予約をしておいたので、その時間までネットに繋いだり、

読書の続きをしたりで過ごして、5分くらいまえにお店に入って、

散髪が済むまでの間、楽しくおしゃべりをさせていただきました。

とこやさんに藻塩を売ってるところを知らない?って尋ねたら、あるとしたら

道の駅かなと聞いて、なるほどと思って歩いて行きました。道の駅の

トイレは使えない状態が続いてますが、何日か前から旬菜館が営業を

再開しているらしいことは知っていました。

旬菜館は アクア シ・オン に隣接しています。朝からの動線的には

同じ所を行ったり来たりの状態ですが停泊場所からは苦もなく行ったり

来たりできる距離感です。藻塩は売り切れで、もちろん入荷もないため、

他の商品を見ていったら、かぶら寿しを見つけました。藻塩は女房の

リクエストですが、私はこれを食べてみたかった!他にも「へしこ」や

女房が知人に配るのに良さげな「ゆずなんば」を買いました。道の駅の

名前にも使われている「ころ柿」も売り切れでした。帰路にここより

規模が大きいちりはまの道の駅に寄って藻塩や、ころ柿を一応探して

みて無かったらあきらめ~ですね。

夕食はレトルトの中華丼をゴハンにかけて生卵1個を使った卵かけ中華丼に

ほぼほぼオニオンスライスのサラダを添えて、おいしくいただきました。

夕食後も、ゆったりと過ごして、良い休日でした。

今日は失敗の連続

当日受付組の今日の仕事が決まるタイミングは県のバスが到着する

時刻に左右されます。9時より前なら県バス連中に優先的に仕事が

割り振られ、当日受付組は、その後になってしまうのですが、到着が

遅れると当日受付組が先に割り振りを受けて県バスが到着した頃には

出発できたりします。

今日は、タイミング的に微妙で当日受付組に仕事が割り振られた

直後に県バスの人数が予定されていた40人ではなくて30人に

減ったことがわかり、県バスの人にやってもらう予定になっていた

仕事の一部を当日受付組が代わりに請け負うということに変更に

なりました。

そういうイレギュラーな状況の中で今日初めてボランティアに参加する

という方から、皆さん、お昼はどうするんですか?という質問を受けて

各自、自分で用意した昼食を持って現場に行きますよと答えて、

用意していませんか?と聞くと車にあるので取りに行こうと思うんですが

と、取りに行くタイミングについて尋ねられたので県バスが到着すれば

オリエーテーションなどで時間がかかるので、その時に行くことが

できるけど、県バスより先に仕事が決まることもあるので、ちょっと

様子を見たほうがいいと答えました。

ところが、上のような状況で一旦割り振られた仕事が県バスの仕事の

一部をやることに変更になったので、県バスの第四グループの席に

座って当日組全員が仕事の説明を受けることになりました。

我々が出発するタイミングで県バスの人が到着したので、その雑踏を

かきわけるように外に出て道具の積み込みに取りかかったり誰が

どの軽トラに乗るかを決めたり打ち合わせと準備が同時進行で

行われて、しかも、自前の軽トラを持ち込んだ人が4人もいて

ボラセンの軽トラと合わせて8台が一緒に行動することになりました。

私はリーダーと同じ軽トラに乗ることになったので先導車として

最初に乗り込んだので、お昼ご飯を車に取りに行けたのか

行けなかったのかわからないまま出発してしまいました。

8台の軽トラが連なるコンボイは壮観で見事でしたが信号ごとに

取り残される車が出るので広いところを見つけては信号を渡りきった

車が後続の車を待つということを繰り返しながら、現場に着くことが

できました。

今日の総勢は12人だし、車は8台もあるので現場の三軒のお宅に

分かれて作業することになりました。リーダーは全体の差配を

しなければならないので乗ってきた軽トラは私一人で動かしながら

作業を進めることになりました。

午前中に積み込んだ廃棄物を三台で捨てに行くことになり、

一人が先導して残りの2台がついて行くことに決まって私は

ひとりでしんがりを勤めました。

…が、先頭は決められた先導車ではなく軽トラ持ち込み組の

地元の人だったとあとでわかったのですが、私はてっきり

最初に決められた先導車が走っているものと思い込んでいて

途中の交差点で先頭が道を間違えたと思ってクラクションで

合図して二番手を止めさせて、そのことを伝えましたが、

私の知らない近道かもしれないと先頭車を追うことに

しました。二番手の車を止めてしまったことが第一の失敗なんですが

先導車は、どんどん進んでしまって、どこにも待っていてくれなかったので、

再び二番手の車を運転をしている人と打ち合わせをしていると二番手の

助手席の人がスマホでナビできるようになったようで、それに従って

私もついて行くことにしました。仮置き場の近くになって、二番手の車が

直進しそうになったところで私がクラクションを鳴らして左折の合図を出して

みせたりしたところが一箇所ありましたが、とにかく無事に処分場に

到着できました。

処分場では短い列ができていて打ち合わせのために先頭の車に声を

掛けて初めて私が思っていた先導する役割の人ではなく地元の

軽トラ持ち込みの人とわかって、道理でスイスイ知らない道を行った

ことや後続の車のことを気にしなかったワケを知りました。

順番が来て荷下ろしが始まって二番手の車の助手席の人が

お昼ゴハンを車に取りに行けたかどうかわからない人だったことが

わかり、リーダーに連絡して現場に戻って昼食をするのではなく

この地区のボランティア休憩所があるところで昼食を摂っても

いいかと尋ねて了承を得ました。そのことを本来の先導車の

助手席に乗ってる人にも伝えました。

荷下ろしが終わって、本来の先導車は、すでに処分場を出発して

いたようなので地元の人に休憩所のある、この地域の拠点に

案内してもらえるかどうか聞いたらOKをもらいました。ただし、

この方は自宅で昼食を摂りたいとのことだったので案内だけを

お願いしたことになります。

3台連なって処分場を出発すると今度は本来の先導車が

出口のちょっと先に待っていて地元の方とそこでやりとりを

したようで本来の先導車に2台がついて行くことになり、地元の方は

そこで別れて自宅に向かうことになりました。

地元の方と本来の先導車の運転手と、どういうやりとりがあったのか

最後尾の私にはわからないまま出発してみると先導車は

休憩所ではなく現場へと向かってしまいました。やむを得ません。

現地の休憩場所では湯などの準備はありませんでしたから、私と

先導車の助手席の人は手持ちのバーナーで湯を沸かして昼食を

作っていました。その時、昼食を持ってきたかどうかがわからない方を

見かけたので結局昼食は取りに行けたのかどうかを聞くと取りに

行けてないとのことでした。こんなときのために2食ぶんほど

私が用意しているカップ焼きそばを差し上げることにしたのですが

作るための水が足りません。それでも先導車の助手席の人と

運転手のかたが水を提供してくれたので、何とか飯にありついて

いただけたと思います。この件に関しては失敗をカバーできました。

もう一つ大きな失敗があって、今日の仕事の大部分は壊れた

ブロック塀の片づけでしたが、ブロックを車に積み込むときに

軽トラの荷台に乗っている人と私の呼吸が合わなくて左手の

指をブロックとブロックの間に挟まれてしまいました。その場で

動かしてみて骨には異常がなく、ちょっとあとで作業手袋を脱いで

確認してみると爪も割れていませんでした。どうやら深刻なことには

ならずに済んだようです。今日の活動が終わって改めて確認してみると

中指の先がプックリと青黒く腫れていました。持ってきた荷物の中に

湿布があったので指先に巻けるサイズにハサミで切って貼っています。

心なしか腫れが治まっているように見えます。

昼休憩の時に事故の時に車の上にいた人から様子を聞かれたので

「心ウキウキ中指ズキズキ」と答えましたが通じませんでした。

これが、今日最後の失敗。

ボランティア今日の一日

ボランティアの活動は、9時から15時が基本です。しかし、私は早めの

8時前後にボラセンに到着するようにしています。たいていは、

一番乗りです。そんなに早くなくてもよいのですが車泊場所から

ボラセンまで徒歩で約10分かかります。ボラセンに着いてから忘れ物に

気づいたら往復で20分かかります。当日受付は8時30分までに

してくださいということになってますから、到着後10分以内に忘れ物に

気づけば、取りに帰っても間に合うという計算になります。実際には、

一回だけ通勤路の8割くらいのところで忘れ物に気づいてUターン

したことがあります。

起床時間は、6時前後が多いのですが、今朝は6時20分頃でした。

昨夜の寝落ちと就寝時間が2時頃になったせいでしょう。普段は、

24時前後には寝るようにしてますが、今日だって、ブログを書いてる

途中で、うたた寝してしまって、23時から再開しています。

活動の開始は、9時半くらいになることが多いのですが、日曜日の

ようにバス到着組が多いときには、彼らは15時には帰りのバスに

乗らねばならないため優先して仕事を割り振られ、当日受付組が

仕事にありつけるのは10時を過ぎることもあります。

今朝は。バスの到着が遅れたため、9時過ぎには仕事をもらいました。

軽トラ1台とカローラフィルダー1台に分乗して7人での活動です。

派遣先は、ボラセンから30分くらいのところにある富来(とぎ)地区で

壊れた家財と土壁の上塗り部分、そして大量の瓦を搬出と廃棄でした。

派遣先の所有する軽トラも使わせてもらうことができたので

持ち場を分けて家財の運び出し係と瓦を積み込む係がそれぞれ

活動して、まずは、軽トラ2台分を運び出して、その間、現場に残った

3人は、瓦を軽トラに積み込み安い場所に運ぶ作業をしました。

大きな破片の瓦は、そのまま。小さい物は土嚢袋に詰めて運びます。

こちらの瓦は、分厚くて立派な物で、そのぶん、重く、作業は腰に

来ます。重い瓦のせいで、つぶれた家屋や納屋も多いかもしれません。

ずいぶん強い風が吹くところで風力発電の大きなプロペラが山の

稜線に並んでいます。そうした強風や台風への備えとしての重い瓦です。

活動は、昼休みをはさんで14時前までかかりました。

ボラセンに帰着したのは、14時20分頃でした。次の仕事をするには、

残り時間が少ないので、そのまま、お開きでも良かったのですが、

ひと息入れて、今日の仲間と、おしゃべりをしたりして、ボラセンを

出たのは15時半くらいだったでしょうか。今日の仲間のひとりが

車泊場所を私が停泊している駐車場に移したいとのことで、今、

隣の隣のスペースで車泊しています。

ボラセンの帰りに給水所で水を汲み、食パンを買うためにスーパーに

寄って、さらにバス乗り場の案内所の方に男子トイレの洗面所の

片方しか水が出なくて、詰まりかけなのか排水が悪いということを

知らせました。てっきり、バス会社の持ち物と思っていたトイレは、

志賀町のものでした。町に知らせておくと言ってくれました。

そんなこんなで車に帰り着いたのは17時になっていました。

帰って一番にやるのは、次の日の準備でリュックから今日汲んだ

2リットルのペットボトルと昼食時に使った食器をを取り出し、明日の

昼食用のリゾッタとフリーズドライの味噌汁を入れておきました。

今日の作業で瓦と瓦桟を繋ぐ針金に悩まされたので明日以降に

また困らないようにニッパーをウエストポーチに入れておきました。

他に昨日使った結束バンドのぶんだけ補充しておきました。

夕食前にブギウギをNHK+で見て済んだ頃合いに活動のあと、

風呂に入りに行った今日からお隣さんになる仲間が到着したので

お迎えしました。夕食前にお昼に使った食器やリゾッタの袋(作り置きの

料理を湯煎で温めたりするときなどに使います)を湧かした湯で洗って

冷蔵庫に一個残っていたタマネギを包丁で薄くスライスして

少なくなってきていたボイルドキャベツに足して毎日の野菜摂取用に

しました。

夕食は、冷めたご飯と残りの肉味噌を電子レンジで温めてサラダと

一緒に食べました。夕食が終わったのが7時ごろ。ネットのチェックも

終えて、20時頃から「アストリッドとラファエル 文書係の事件録」を

観て、ブログを書きかけたところで、またもや、うたた寝をしてしまい、

23時頃から再開して24時ちょっと過ぎに書き終えました。

おやすみなさい。

奇跡の赤崎。震度7だったのに

私が入った志賀町は最大震度7を記録した激震地です。志賀町は

縦に長い形状で中心部である高浜町は、志賀町でも南のほうに

位置しています。全般的に言って北ほど被害が大きく南に下るほど

被害は小さいのですが、高浜町でも納屋などが倒壊しているのを

よく見かけます。もちろん、母屋が倒壊していたり、二階部分だけ

姿を残し一階部分が、ぺっしゃんこになっている建物もあります。

そんな中、激震地中の激震地に位置する赤崎地区では、ほとんどの

家屋が倒壊をまぬがれたとして報道されています。赤崎地区は、

4割以上揺れにくい強固な地盤のおかげと、古い住宅が共振しにくい

短い周期の揺れ(これも地盤のおかげ)で、さらに被害を小さく

することができたと言われています。逆に金沢市に近い、ずっと南に

位置する内灘町では2倍以上に揺れが増幅されてしまう地盤構造で

液状化被害が集中し、震度5弱であったにも関わらず、建物も電柱も

道路もあらゆるものが傾いたと報道されています。上下水道もズタズタに

なってしまったそうです。

中でも金沢市のベッドタウンとして砂丘の上に造成された住宅地が被害に

遭ったようです。まさに砂上の楼閣。

「奇跡の赤崎」のすぐ近くに位置する富来地区は赤崎のような地盤を

持たず、震度7をそのまま受けてしまい多くの家屋が倒壊してしまいました。

世界一長いベンチで有名になったところです。災害ゴミ仮置き場として

使われている野球場も、この地区にあります。

昨日と今日は、その赤崎地区と富来地区の中間に位置する西海風無地区で

活動していますが大きな建物被害を受けた家屋は見かけ上少ないのですが、

ブロック塀が倒れたり倒れる寸前状態のお宅に入ってブロックや壊れた家具や

剥がれた壁などを野球場まで軽トラで何往復もしながら運び出しました。

かなり、やるべき作業を残したので明日も、この地区での活動になる公算大です。

ボランティア活動の内容

端的に言えば各家庭から出た災害ゴミを依頼者の代理として

災害ごみの仮置場まで運搬して捨てるというのが主となります。

付随作業としては、倒れた家具を起こしたり、割れたガラスを

片づけたり、依頼主ごとに、さまざまな要望が出て、そのつど

判断しながらどうするかを決めていきます。判断がむつかしいものは

ボラセンに電話して指示を仰ぎます。

最初に伺った先での依頼は、擬石でこしらえた塀が倒れたので、

処分して欲しいという依頼。大谷石のように見えるけどコンクリート

ブロックを積み上げて作った塀が10mぶんくらい倒れたようです。

捨てる石はきちんと集めてありました。この石が、めっちゃ重くて

半分に割れたものでも半端ない重さです。しかも、雪が少し地面に

残っていて半ぬかるみ状態。Gパンが泥だらけ。

次は、家具が数棹。全部たたきツブしてスチール棚などと一緒に

廃棄しました。青森に住んでいるという息子家族が帰ってきてくれて

片づけてくれたそうで、廃棄する物は納屋にキチンと整理されていました。

初日は、この2件だけで終わりました。

次の日は,4件。

最初は、倒れた家具で散乱した2階の片付けと、ガラスが散ってしまった

1階の片づけ。2件目と3件目は、よく思い出せなくて、4件目は少し

山がかったところにあるお宅。屋根瓦の片付けと壊れたTVが2台と

冷蔵庫が1台。この冷蔵庫は敷地の向かい側にある空き地の隅に

放棄されていたもので、扉は簡単に外れますし、コンプレッサーは

へその緒をつけた赤ん坊のように冷蔵庫の残骸とコードで結ばれて

いました。明らかに何年も野ざらしにしていたもので便乗廃棄に

間違いありません。TVもどちらもブラウン管だし、これも便乗疑いなし。

でも、ボランティアは、だまって引き取り、廃棄します。

さて、そろそろ寝なきゃ。今日は買い出しに行ったりしたわりには、

早めの夕食となって、余裕があるかなーとNHK+でドラマを

2本見たら時間が足らなくなりました。車外は水を含んだ重い雪が

ボタボタと降っています。おやすみなさい。

被災地のコンパクトライフ

5日ほど暮らしてみて、よくもまあ、こんなに理想的な住環境を

手に入れることができたものだと思います。トイレはウォシュレット。

通常は他の人と鉢合わせってことはありませんが、今朝、

初めてバスの運転手さんと隣り合わせでトイレを使いました。

高速のSAや道の駅では朝、行列になることがよくありますが

ここではトイレで他の人を見かけること自体がまれです。

それに、早朝6時頃に使っても、すでに掃除ができています。

いったい、いつ掃除してるんだろうって思います。

いつ使ってもキレイに清掃済みのトイレを使うことができるのに

掃除のおばちゃんに会ったことが一度もありません。

ゴミはボランティアセンターに出すことができます。

ボランティアの横に給水所があるので活動の帰りに

汲んで帰ることができます。今日は、20kmほど南の「里湯ちりはま」で

入浴しましたが、土曜日以外なら、700mほどの距離にアクアパーク シ・オンという

日帰り湯があって、その道路向かいがスーパーです。扱い商品は

食料品、日用品、家庭用品、衣料品、靴、園芸用品、花、カー用品、タイヤ、自転車、
レジャー用品、文房具、玩具、家電、ペット用品、切手・印紙、スポーツ用品、収納家具、
農業用品、建設資材、木材、大工用品、工具、インテリア、エクステリア

ということなのでスーパー+ホームセンターという感じです。

コインランドリーも併設されています。

今朝、受診した志賀クリニックも290mくらいなので車で行くより

歩いて行くほうがラクです。あ。そうそう。報告が遅れました。検査の

結果は陰性でした。明日からボランティア活動できます。

私の症状はワクチンを打っていたおかげか、熱は出ません。

咳がときどき出て2度ほど、ガラガラ声になりました。

発症から十日以上になるのでウィルスが減って陰性の結果が

出たんだと思います。でも、油断したら重症化するので処方された

抗生物質だけでもマジメに飲もうと思います。

発熱がないとか症状が軽いんですが基本的に女房と

同じ症状なので、初コロナは間違いないと思ってます。

女房の知人も同じような症状でした。(おそらく、女房は、

その知人からもらったと思ってます)

今、私が知る限り地域最安値のガソリンスタンドも

430mくらいなので、充分歩いていけますが、さすがに、

ガソリンスタンドには歩いて行きませんねぇ。

町役場までも 366mだし、肝心のボランティアセンターまでは

1.04kmで所要時間10分ほどです。志賀原発までの直線距離は

7.6kmです。歩けない距離じゃないですね。

何と!コロナ!

実は、こちらに来る前から軽い咳が出たり、しわがれ声に

なったりしていました。いつからというのはわからないのですが

今日で十日くらいにはなっていると思われます。

昨日、女房から、+メッセージが届き、前の晩から喉が

イガイガしたようで、昨日は、37.6℃ と発熱したということ

だったので「受診してコロナかどうか確定しておいたほうが

いいのでは?てか、すべきだと思う。重症化しないために

気をつけることも聞いておいたほうがいいと思う」と

今朝、メッセージを送っておきました。

2時間後「はいそうします」と返信があり,途中経過の

「昨夜は38.8℃ あった」というメッセージのあと、午後0時26分に

「コロナでした」とのメッセージが届きました。

というわけで、私も明日やっている病院があれば受診します。

有罪宣告を受けたら、3日間ボランティア活動はできないので

ゆっくり、風呂に入ったり買い物をしたりクリーニング店に

行ったりと生活を立て直そうと思います。