Monthly Archives: 3月 2024

ついに食べたど!タマちゃんのカキオコ

毎年、一度はカキオコを食べに行くのが習慣みたいになってから

もう何年経つんだろ。

去年、ランキング1位の店に行ってみたら50組待ちで、2時間待ちか

3時間待ちか、とんでもないことになりそうだったので、今年は

作戦を立てて、京阪神方面から来る人が利用しにくい17時半頃を

ねらって行きました。

到着してみると、お店に近くて道路からも目立つ駐車場が全空きだったので

シメシメ。作戦通りと店に向かいました。店の入り口近くは二部屋に

分かれていて、それぞれベンチがズラリと並んでいました。しかし、

ベンチには誰も座っていませんでした。ここで再び、シメシメ。作戦通り。

さて、いよいよ、お店のドアを開けるとーーーーーー。

一組二人が食べてるだけで、あとは全部空席!ひゃあ!まさかここまでとは

思いもよりませんでした。

私は、カキオコモダン(手前)。女房はカキオコを注文して、いっただきま~す。

どちらも、ソースが半分しか、かかっていないでしょ?実はソースカキオコと

岩塩カキオコが半々になっているんです。このお店のウリはアンデス産岩塩を

使うということは知っていたのですが、これが、ウマイ!というよりも牡蠣を

味わうジャマをしないんですね。そして、牡蠣!とにかく絶妙な加熱で

これより短かったら生煮えになってしまうをピッタリ超える職人技としか

言いようがない焼き加減で、これには感心してしまいました。

タマちゃんのカキオコのおいしさの秘密は他にもあって惜しみなく入れた

微小サイズの揚げ玉に、ひっくり返して具に熱を加えるタイミングで

お好み焼きをちょっと持ち上げて鉄板とお好み焼きの間に

↑↑↑の形状の油差し(ジェットオイラーと呼ぶらしい)を使って

ピュピュピュッと油をさします。これがオリーブオイルなんだそうで

揚げ玉やモダンのソバなどをカリッカリッにしてくれて、この食感が

たまりません。

注文時に指定すれば、ソースと岩塩を半々ではなく全部岩塩にも

してくれるそうなので、来年は岩塩カキオコモダンだな。

ネタ底→知恵袋 Ⅱ

Q:熊本地震の時は災害ボランティアの人はどんな作業をしたのですか?

A: 私が入った内牧周辺では能登半島と同じように 瓦や崩れた石垣の片づけも
多かったのですが、 地震で室内の家具などが倒れて生活スペースを 圧迫したり
ガラスが散乱してあぶないので 片づけを手伝って欲しいという依頼も、いくつか
ありました。 片付けで出た、さまざまな品を思いっきりよく 「捨てる」に分類する
おばあさんが印象に残って います。古紙幣やコイン、小判などを額に入れて
飾っているのをあちこちで見かけたりしますが、 それも、あっさりと「捨てる」に
分類したのには ちょっと驚きました。


Q:能登半島地震のボランティアについて。 私は被害のあった隣の県に住んでいます。
石川県からの要請を受けて、ボランティアを募集しているそうです。そのホームページに書いてあった
年齢制限は中学生は保護者同伴なら可ということでした。私は高校生なので年齢制限は大丈夫です。
でも現地にいって高校生ができるようなことはあるのでしょうか?あるとしたら何か具体的に教えて
欲しいです。 私は隣県に住んでいるということもあって能登にはよく遊びに行っていたので少しでも
誰かの役に立てればなと思いボランティアに参加したいと思います。


A:志賀町の中でも特に被害が大きかった富来地区というところが あるのですが、
その地区にある富来活性化センターで、 ボランティア活動の昼休憩をとっているときに
他のグループと 一緒になったので雑談してたら、その中の一人は関東本面から来た
高三女子でした。友達は受験中ということで、たった一人で参加していました。
現在のボランティア活動の中心は倒れたブロック塀の片づけや傾いた家屋から落ちた
瓦を片づけて軽トラなどを使って災害ゴミ 仮置き場に搬入することですが、
他にも屋内の倒れて壊れた 家具などを搬出して同じく災害ゴミ仮置き場に搬入する
仕事もありました。
被災者がやって欲しいというニーズとボランティアが できる仕事をマッチングして
割り振りするのがボランティア センターの仕事です。 相談者さんの体力や重い物を
持てるかどうかはわかりませんが、一口にコンクリートブロックの瓦礫といっても、
いくつもが鉄筋でつながっている大の男でも動かすことができないような重い物も
あれば、手のひらに、いくつも乗るような小さい破片もあります。
つまり、非力な者でも小さな破片を土嚢袋に集める ことはできるわけです。
私は、71歳男性ですが、連続して 重い物を運ぶと腰が痛くなって「腰が……」と言って、
ちょっと戦列を離脱したりします。その代わりじゃないですけど、オヤジ ギャグで場を
やわらげたり、若い人は一度に3個4個と運ぶのに 「2つ半」「いや2つで」と渡す人と
じゃれあったりします。 黙々とやることも大切ですが扱いにくい人の側にいて場が
荒れることを未然に防ぐのも年長者の役割だと思います。
だから、扱いにくいと周囲が見る人とは積極的に会話をするために 軽トラで
長時間一緒に仕事をしたりして間合いを掴んでおきます。
つまり、ボランティアはチームなので、いろんなポジションが あってこそ成立するのです。
みんな投手じゃ野球にならないでしょ。 それに、最初のボランティア活動で、いきなり
それができるわけではなくて、二度、三度と重ねていけば、何をやれば役に立つか、
役に立つには自分はどうすればいいかがわかってくるのです。 そのためには、他の人を
観察したり、自ら積極的に関わることです。 その時、失敗すればするほど、経験となって
あとあと役に立ちます。
ただし、同じ失敗でもケガはいけません。安全のためのヘルメットや ブロックが落ちても
足がツブれない安全靴や厚手の作業手袋などは 用意しましょう。イメージトレーニングも
大切です。ゆる~く、ガンバってね~。


Q:能登災害ボランティアから1日1000円の参加費の徴収を開始しますが、ボランティア一人当たり1ヶ月
ボランティアすれば3万円ほど行政はボランティアより徴収できますので良いことですよね? 1000人の
ボランティアが来れば3000万円の収益となりシルバー人材や特殊団体などの活動費に充填することができます

A:ネットの悪質な書き込みをそのまま信じたのか誤解が あるようですが、1日1000円の
参加費は1日目の夕食 (幕の内弁当)と2日目の昼食(おにぎり2個)の 実費負担分です。
私などは、志賀町のボランティア現場でお湯の用意がないときには自分で湯を沸かして暖かい
昼食を摂ることもできましたが、奥能登ベースキャンプは火気厳禁で、それもできません。
近くにコンビニもないため食事支給は、やむを得ない面もあるのですがアレルギー対応の
食事しかできないボランティアには無駄となってしまうのでオプション対応としたほうが
変な誤解を生まずに済んだかもしれません。
奥能登ベースキャンプの初日の参加者は42人でしたので二日で参加料は4万2千円。
この数字を使って計算すると 一ヶ月で126万円。一方、食事を用意する県側の実費負担も、
ほぼ、同額となり人件費やバス送迎費用などを 考えれば、完全に赤字になります。残念でしたベーッ。
なお、ボランティアには報酬や食事支給をしてはいけない という不文律があって、
東北大震災のときには、高校生 ボランティアに昼食を支給していたため、申し訳ないが
一般ボランティアの方も食べてくださいと「お願い」を されて、そーいうものなのかと思いました。
高校生ボランティアは避難所から通っているので自分で昼食を用意できないため、気仙沼市は
そういう対応を したのでした。同じ活動をして高校生だけ昼食(といっても消費期限ぎりぎりの
パンなど)を支給されて周囲の 大人がそれぞれの昼食を食べたときに高校生に起こる感情に
配慮したのでしょう。
 

Q:教えて欲しいのですが、災害ボランティア車両高速道路通行証明書を発行する際、青森や秋田から
石川に向かう場合、時間があれば高速道路から降りない方法で登録すれば大丈夫だと思いますが、
最短距離での走行だと途中に無料区間など有料区間が途切れる箇所があります。
この場合、「朝日まほろばI.C.」から金沢まで登録する方法しかないんでしょうか。

A:現時点では途切れ途切れの日本海東北自動車道を 利用しながら、たとえば、東北縦貫
自動車道上のICから 乗って金沢に至る場合、全経路の災害ボランティア車両高速道路通行の
無料措置を受けることができるかといった おたずねだと思いますが、ネット上に公開された
情報だけでは お答えすることができません。
高速道路を一時退出できるのは、
① 往路又は復路の途中で、宿泊する必要がある場合
② 往路又は復路の途中で、ボランティア活動者(活動予定者を含む)を 乗降させる必要がある場合
③ 往路又は復路の途中で、ボランティアに必要な機材・資材を調達又は 返却する必要がある場合
④ 往路又は復路の途中で、フェリーで移動する必要がある場合
の4項目に該当する場合のみとある一方で、 出発地の最寄りICから流入 → 他の高速道路会社を
経由→ 被災地の 最寄りICまで通行する場合 についての説明もあるので、今回の場合は、
出発地の最寄りICから流入 → 他の高速道路会社を経由 →他の高速 道路会社を経由 → 他の
高速道路会社を経由 →被災地の最寄りICまで 通行する場合 にあたると思われますので
出発地の最寄りICはどこで、どこまで日本海東北自動車道に乗って、再び、日本海東北自動車道の
どこから乗ってどこで降りて、さらに、朝日まほろばICから乗って 被災地の最寄りICまで通行する……と
いった具体的な経路を示し、日本海東北自動車道の出口によっては係員がいないICがあれば、
確認印が得られないので、そのことも調べた上でNEXCO中日本に メール等を使って相談してみるしか
ないと思います。
中途半端な答えで申し訳ありませんが、その相談をすることは あとに続く青森や秋田に在住の
方々への支援になると信じて 道を切り開くためにも、しっかりと問い合わせをしてみる価値は
おおいにあると思います。

A^2:どうも気になるので日本海東北自動車道について、こちらで わかる範囲で調べてみました。
①:東北道に、どこから乗るのかが不明なので十和田湖IC上りから乗るとします。一般レーンで紙の
通行券を受け取って高速に入ります。
②:河辺JCTを経て日本海東北自動車道に入ります。
③:秋田空港IC本線料金所の一般レーンで通行券と災害ボランティア車両高速道路通行証明書と
顔写真付きの本人確認書類を提示します。 私の考えでは、このとき、本線料金所の係員の方が
通行券を受け取り、 災害ボランティア車両高速道路通行証明書の所定欄に係員が押印して
くれるはずです。もちろん、料金は無料のはず。
④:象潟ICまで走って一般道を使って再び、遊佐比子ICから日本海東北自動車道に乗ります。

A^3:
⑤:鶴岡JCT本線料金所で係員の通行証明書の所定欄に押印してもらいます。ここでも通行料金は
無料だと思います。
⑥:あつみ温泉ICで降りて一般道を使って朝日まほろばICから再び日本海東北自動車道に乗ります。
⑦:中条本線料金所で紙の通行券を受け取ると同時に係員の確認が必要かどうかをインターホンで
尋ねて指示に従います。
⑧:新潟中央JCTを経て北陸自動車道に入ります。
⑨:石川県内の指定ICで降りるとき顔写真付きの本人確認書類を提示するなど所定の手続きを経て
通行券と災害ボランティア車両高速道路通行証明書を係員に渡します。
⑩:その後も定められた手順に従って復路の無料措置も得ます。

A^4:という手順になるのではないかと思うのですが、本当にそうなるかどうかを NEXCO 中日本と
日本海東北自動車道の有料部分を管理する NEXCO 東日本に、あらかじめ問い合わせて
おくべきだと思います。 朝日まほろばIC-石川県の区間の無料措置が得られなくなったら
大変ですかね。
私自身は、往路は自費で復路のみ無料措置を得たので往路については 情報不足です。
ただ、復路で利用したときの経験から
1)最初のICに近づく前にETCカードを抜いておき、出口ICを無事通過できるまで抜きっぱなしに
しておくことをオススメします。入り口、出口だけではなくジャンクションなどでもETCカードに
アクセスがあるようです。ETCカードに不要の情報が書き込まれた場合、ボランティア後の
高速道路利用時に思わぬ不具合が発生する可能性が絶対ないとは言えないからです。

A^5:
2)「一般/ETCレーン」を利用したときにはETCをゲートが認識して紙の通行券を
発行させないなどの不具合が発生しないとも限りません。
3)一般レーンでは、係員がいないことがよくあって、インターホンで呼ぶと事務所から
地下通廊を使って来てくれます。また、確認印の押印や証明書の確認なども一定の時間を
要するので後続車に時間がかかるかも知れないという合図として一般レーンに入ると同時に
ハザードを焚いて知らせておくほうが絶対にいいです。いくら、ハザードを焚いても一般レーンは、
ひとつしかないことが多くて実質的なメリットは後続車にはないかもしれませんが、一種のマナーとして
やっておいたほうがいいと思います。少なくとも待たせているプレッシャーが、ちょっとだけ減ります。

A^6:私は、日本海東北自動車道を利用したことがないので間違った箇所が あるかと思いますが、
適宜、読み替えていただけるとうれしいです。 よろしくお願いいたします。 また、文字数制限のため、
返信がコマギレになりました。ごめんなさい。


Q:能登地震の災害ボランティアは何人ぐらい登録者がいますか?

A:2月の半ばの数字が出ていて2万5千人となっています。内訳は 県内が5,500人、
県外から1万9,500人だそうです。しかしながら 同じ時期までに一般ボランティアの
実働人数が延べ2205人しかいないので、その数の少なさを問題視する人もいます。
ただし、たとえば志賀町では、県の登録はしていないけれど 志賀町で当日登録して
活動している人もいました。この人達は そのまま実働するので当日登録者数=実働人数に
なります。 志賀町での当日登録者には、県の登録済で当日登録をする人もいたので、
その内訳はハッキリしませんが2月6日~16日で 言えば、合わせて延べ70人くらいかと思います。
(15日は 志賀町ボランティアセンターが休みで活動はありませんでした) 報道には、その後の
数字がありませんが、奥能登ベースキャンプも 始動しましたし、輪島方面へのベースキャンプも
検討中とのことなので徐々に増えて行くとは思われます。しかし、ナホトカ号の オイル流出時に
福井県と動員数で明暗を分けてしまった石川県特有のボランティア募集方式を今回も
固持するなら、今後も実働数の劇的な増加は期待しがたいとの悲観的な見方を私はしています。


Q:石川県七尾市について質問です 北陸割りに石川県が正式に対象となり、6月に観光を予定しています
宿泊は金沢市内ですが、車で七尾市まで足をのばすことを検討中です
3ヶ月後ですが、現在七尾市は観光客などが受け入れてもらえるような状況でしょうか?
もちろん、被災された方やボランティアさんのお邪魔になるような行動はしないつもりです
目的も七尾城(お城は閉鎖中だと理解しています)のスタンプをもらいに市役所へ行くだけの予定です
住民の方にとって、こんな観光客はご迷惑ではないでしょうか?


A:2月半ばの七尾市は、まだまだ、断水している地域が 多い感じでした。しかし、6月ともなれば、
ほとんどの地域で復旧していると思います。 私個人の考え方なのかもしれませんが、支援のためには
募金よりも実際に現地に入って、お金を落とすほうが 効果的だと思うんですね。
募金というのは、その性格上一時的なものになってしまうし 使い途をゆだねる相手として
信用しきれないというか……
特に石川県はボランティア受け入れに消極的というか、 ひょっとして来て欲しくないのかといった
対応をしているんですけど、募金に対しては、ちょっと恥ずかしく なるくらい積極的に呼びかけていて
ひいてしまいます。
ところで、観光にお金を使うということは、地域の 産業への投資であり持続的なものだと思うんですね。
ボランティアを排斥しておいて観光客だけ来いとは、 さすがの石川県も大きな声でいいにくいところも
あるのでしょうが、ぜひぜひ行くべきです。 行く人が楽しんで地元の経済も潤うんですから、
最高の応援になると思います。


Q:わたしは赤ちゃん返りでしょうか。アダルトチルドレンでしょうか。長文です。ただの愚痴です。
大学生女です。年の離れた姉が3人おり、私含め全員大学進学とともに実家を出ました。
3人はそれぞれ現地で結婚出産して、うち1人が離婚し実家で子育て(姪、1歳半)をしています。

そのせいで、せっかく帰省しても思うような休暇を過ごせずストレスを感じています。
今回の春休みは2ヶ月丸々帰省して短期バイトをしながらのんびり過ごそうと思っていたのですが、
「姪ちゃんの生活リズムに合わせて。朝のんびり起きてこられると困る。子守りに参加して。」と
母に口うるさく言われます。

姪は8時起床20時就寝のリズムで、声もかなりうるさくキーキー叫ぶし感覚過敏なタイプです。
朝はゆっくり寝られないし、お昼寝中や夜は物音を立ててはいけません。夜泣きも酷くてよく起こされます。
一人暮らし中は遠距離の彼氏と通話を繋いで一緒にゲームをよくやってたのですが、それもまったく
出来なくてLINEでしかコミュニケーションとれません。

当の姉はパートで短時間頻繁に姪から離れますが、その間の子守りは父母私の誰か手の空いている人が
します。
姪はママっ子で本当にずっとキーキーうるさくて、可愛くないとまではいかないけど元々そんなに
子供得意じゃないし、危なっかしくて目を離せないから好きに外出や本読んだりできないのもストレスです。

姉3人が大学生で帰省してた頃は私は中学生で、姉たちは今の私が思い描いているようにのんびりと
帰省を楽しんでいました。 私は上3人より少し遅く産み落とされたから今まだ大学生で、なのにどうして
大学生としての帰省が許されないのでしょうか。

私は母親ではありません。両親の子供は姪ではなく、まだ両親の子育ては終わっていません。私を産んだ責任が
まだあります。
私の実家が実家ではなくなってきている気がして、乗っ取られてしまったような、居場所がないような感じがします。

↑上記のこと全て母に二度訴えましたが(泣いてしまった)、「母さんも思うところがないわけではない。
ストレス溜まる時もある。あんたは私の子供やで、だから2ヶ月間ご飯も洗濯も面倒みてる。今まで
お姉ちゃんたちにも面倒みてもらったんやし、帰省中も送迎してもらったり車貸してもらったりしてるし、
お礼と思って。」と呆れ笑いで突っぱねられました。
最後に「もう帰省したくない」とこぼすと「えぇお好きに。」と。
家族仲は悪くなくむしろ仲いい方ですが、価値観合わなすぎると感じるところは各々あります。

まだあと1ヶ月ありますが、もう大学の方に帰ってしまった方がまだマシなのではと考えてしまいます。
一人暮らしもそれなりにキツいところがあるから帰省で羽を伸ばしたいのですが。

私はどうすればいいですか。もう大学の方に帰るべきですか。私がおかしいですか。

私は上3人を見て、24時間365日ベビーシッターと家政婦をいつでも好きなだけ呼べる経済力を
自分一人で持たない限り子どもは産みたくないと決意しました。
両親にも姉にも未来の旦那の家族にも絶対ボランティアベビーシッターをさせたくないです。
誰にもこんな思いしてほしくないです。

当の姉は3人の中では1番最後に結婚出産していて、なんで前2人を見てて出産しようと思えるのか
理解できないしその後離婚してるのも家族にこうやって嫌な思いさせてるのも本当に理解できないです。
私はまだ大学生なのに必要以上の理解を求めてこないでほしいです。

A:いつも、思い返すのですが大学生の頃の私はガキでした。
といって、ン十年経っても大人になったもんだなあなんて 実感できません。 聞いたことがあるかも
しれませんが「孫が来てくれて うれしい。帰ってくれてもっとうれしい」という言葉が あります。
私の周囲の人、全員が心底その通りだなあと 思ってます。
質問主さんには、ぜひ、今回の質問文をプリントアウトして 秘密の場所に保管し続けて欲しいと
思います。 10年ごとくらいに引っ張り出して読んでもらえれば、 私を含めて他の誰の回答よりも、
すぐれた回答ができる はずです。しかし、一方で「それほど成長できてないなー」と 実感も
できるはずです。30年後も40年後も。 ちょっとだけ違うのは頭で考えた回答ではなく体験を
通じた回答になるので、それだけが年の功というか回答の 味付けになります。


Q:3.11の時、気仙沼市では、災害ボランティアはどんな活動したんどエスか?

A:当時は、支援物資を個人の方が送っていたので、量も種類も バラバラでした。それを
配布するには、春物、秋物とか 女性用、男性用、子供用とか仕分けする必要がありました。
それを行う班と、津波によって敷地内や家屋の床下などに 入り込んだヘドロを除去する班の
大きく分けて二つの班が ありました。
私は、ずっと支援物資の仕分け班にいたのですが、4月の 20日過ぎになると、だいたい
完了したのでヘドロを 除去する班に移りました。ヘドロをスコップですくっては 土嚢袋に
詰める作業なので、けっこう肉体的にはキツイ 作業でした。さらに、この作業(単に「泥かき」と
呼んで ました)の初期には家屋の床をはがして、床下の泥かきを することが多かったのですが、
ときには、床下に流れ着いた 被災者の死体に出くわすこともありました。私自身は 経験して
いませんが、ボランティア仲間として親しくして いただいた方は、一度、遭遇してしまいました。


Q:高校一年女子です。

先日、学校で能登半島地震の現地ボランティアを募集していました。
(深夜バスに乗って次の日の朝から夜まで活動し、また深夜バスで帰る)
あまり、力に自信はないのですが、私にできることはあるでしょうか、?
ちなみに、トイレや食事は自分で持って行きます。

A:私がボランティア活動においてイチバン大切にしているのは 被災地をこの目で見て、
他のボランティアさんと積極的に 会話をして、ボランティア先で被災者の方と雑談でも
いいから 話をかわすことです。
報道では知ることができないナマの情報に触れることは、とても 大切なことだと思います。
志賀町の中でも特に被害が大きかった富来地区というところが あるのですが、
その地区にある富来活性化センターで、 ボランティア活動の昼休憩をとっているときに
他のグループと 一緒になったので雑談してたら、その中の一人は関東方面から 来た
高三女子でした。友達は受験中ということで、たった一人で参加していました。
重い物を持つことができなくても、一口にコンクリートブロックの 瓦礫といっても、
いくつもが鉄筋でつながっている大の男でも 動かすことができないような重い物も
あれば、手のひらに、いくつも乗るような小さい破片もあります。つまり、非力な者でも
小さな破片を 土嚢袋に集める根気がいる作業をすることで活躍できるわけです。
ボランティアはチームなので、いろんなポジションがあってこそ 成立するのです。
みんな投手じゃ野球にならないでしょ。 それに、最初のボランティア活動で、いきなり
何でもできるわけではなくて、二度、三度と重ねていけば、何をやれば役に立つか、
役に立つには自分はどうすればいいかがわかってくるのです。 そのためには、他の人を
観察したり、自ら積極的に関わることです。その時、失敗すればするほど、経験となって
あとあと役に立ちます。
ただし、同じ失敗でもケガはいけません。安全のためのヘルメットや ブロックが落ちても
足がツブれない安全靴や厚手の作業手袋などは用意しましょう。
イメージトレーニングも大切です。 ボランティア保険には出発前に加入しておきましょう。
あなたが一所懸命に活動すれば被災地の方々だけではなく一緒にボランティア活動する
人達にも勇気を与えることが必ずできます。 まずは、参加することが大切です。
ゆる~くでもいいので、ガンバってね~。