イマイチ、大自工業を信用しきれない

自作のサブバッテリー充電器から大自工業の充電器に取り替えてみましたが

日々、充電圧が上昇し、今日、確認したら 14.9V になっていたので

とりあえず、停止しました。

再び、パソコンのACアダプタをソーラー代わりに使う充電器を自作すべきかと

思ってはいます。

まあ、大自工業の充電器は接続しっぱなしで使用することを考えたものではなく

エンジン始動ができないほど電圧低下したバッテリーに急速充電することを

目的にしたものだと思うので目的外使用であり、大自工業をそしるというのは

ちょっと違うと思いますけどね。

そもそも、なぜ、自作充電器が使用できなくなったのか原因らしきものも

掴めていないのに、また同様のものを作ってみるというのも賢さに欠ける

行為だとも思います。しかし、今年の秋こそ5年ぶりに秋祭りのダンジリ曳行を

復活させようと考えているので、そうなるとダンジリに搭載するバッテリーを

常時充電する仕組みは必要なわけで、まあ、やるしかないかなと。

もうひとつ、ジンちゃん内で 5VのUSB充電できる仕組みを考えなければ

ならないと

USB電源コンバータをすでに購入しています。サブバッテリーに接続する

ヒューズ付きの配線をこしらえるだけなのですが、これにも手をつけて

いません。

さらに、佐渡島旅行中に発覚したジンちゃんの脆弱性に対処するために

ナイロンロープも買ってきているのですが、これも着手していません。

今抱えている軽度燃え尽き症候群は、いつになったら、解消するのでしょうか?

サブッバッテリーに充電できていなかった

やっと、 先延ばししてきたジンちゃんのお世話をしましたが、次の日に

確認したら、サブバッテリー電圧は、11.7V でした。

これは!

サブバッテリー側の問題か?と 一瞬、考えましたが走行充電もソーラー充電も

できているのだから、それはないなと気づいて、配線を調べてみました。

プラス側のバネワッシャーへのハンダ付けが杜撰だったため外れて断線していた

せいでした。

まず、リード線を延長して

バネワッシャーへのハンダ付けもマイナス側も併せて厳重なものにしました。

11.8Vだった電圧も、充電器接続直後には

12.1Vまで上昇していました。一日経って先ほど確認したら、12.7Vを示していたので

たぶん、ちゃんと充電できているのでしょう。

先延ばししてきたジンちゃんのお世話

およそ、一ヶ月くらい前からだと思うのですが、ガレージ内のコンセントから

ジンちゃんのサブバッテリーに充電する装置がウマクいかなかくなっていました。

これは、充電コントローラーの寿命が尽きたんだろうとネット注文して

取り替えてみたのだけど、どうも、それが原因ではなくて、あれこれ、試してみても

対処できませんでした。そうこうしているうちに南滋賀の旅だとか佐渡島への

旅だとかが始まって、旅先での対応は困難だけど、旅行中なら走行充電やソーラー充電で

凌ぐことができるので帰宅してからということにしてました。

ところが、帰宅してみると虚脱状態というか、な~んにもやりたくないビョーキに

いつも通りなってしまって、いよいよ、サブバッテリー電圧が 11.8V と12Vを切ったので

やっと、重い重い腰をあげて対応することにしました。

装置の構成要素はパソコン用ACアダプターと充電コントローラー、および配線と

ヒューズのみなので、それらを、いろいろ取り替えて組み合わせを変えてみたのが

旅の前にやったことなのですが、どの組み合わせも、なぜか、車載バッテリーの充電は

できてもサブバッテリーの充電はできないか、最初はできてもACアダプターが過熱して、

ついには動作しなくなったりして解決には、いたらなかったのです。

サブバッテリーに直結のためのコンセント配線の先に転がっていたバネワッシャーを

ハンダ付けしました。

このバネワッシャーをバッテリークリップでつまんで

せめてプラス側だけでもボロのゴム手袋を利用して絶縁して充電器を

サブバッテリーに接続してみました。

とりあえず、12.1V が表示されたので、今日やりたいことはできました。

しばらく放置してから、ガレージを覗いてみると、電圧計は 12.4V を示してましたが、

12.4→12.3→12.2→12.1V と降下していきました。大自工業の充電器が

どういうアルゴリズムで充電しようとしているのか情報がないので、しばらくは、

繋ぎっぱなしにして様子をみようと思います。

氷河期を生き抜いた大佐渡石名天然杉

四天王杉

日本列島を氷河期が襲ったとき、列島のほとんどの地域で杉は死滅し、佐渡と

屋久島と伊豆の一部など限られた地域でしか日本古来の天然杉は生き残り

ませんでした。

二度目の危機は大正時代、国から払い下げられて県有林になったとき、

良木の杉は購入代金調達のために伐採されましたが、曲がったり特異な形状の杉は

商品にならないため伐採されずに今日まで残りました。

象牙杉とイワカガミ。白花のイワカガミは初めてみました。

多いのは、ピンクですね。遊歩道はアップダウンも比較的少なくて歩きやすいです。

でも、一応、山道なので、ちゃんとした靴のほうがいいと思います。

大黒杉

家族杉

遊歩道へのアクセスは、本来は石名側と和木側の2つのルートがあるのですが

今年から3年間、石名側は道路工事のため通行禁止になっています。

和木側の道路は、対向不能箇所が多くて対向車が来ないかとハラハラドキドキ

します。慎重な方は、2027年以降まで待ったほうがいいかもしれません。

そんなに待てないよという方はチャレンジしてみてください。なお、積雪期は

どちらのルートも通行止めになります。今年は、5月17日に開通しました。

例年、11月には閉鎖になるようです。

私の場合は対向車なしで済みました。駐車場に到着して準備を

してると、もう1台やってきました。ご夫婦連れのようで、奥さんらしき方が

「他にも人がいて良かったー!」と言ってました。駐車場には簡易トイレが

設置されていた跡はありましたが、撤去されたようです。この点においても

2027年以降に、お出かけになるほうが無難だと思います。

羽衣杉。光の関係もあって、写真的には一番見ごたえがありますね。

杉も見ごたえがありますが、山野草も豊富なので楽しめました。ランも咲いてましたよ。

宿根木

不思議な集落です。

一方は海に向かって開けているものの残り三方は崖に囲まれた狭い谷地に

ギュッと詰め込まれたように約110棟の民家が密集しています。

宿根木は中世の頃より廻船業を営む者が居住して、宿根木浦は佐渡の富の三分の一を

集めたと言われるほど栄えていました。

宿根木浦から4kmほどの距離の小木に江戸幕府よって港が整備されて商業の

中心が小木港に移ってしまったあとも船主を先頭に船乗りとともに商いを続けました。

船主が船に乗らない場合は船頭が積荷の一割程度自分の自分の商品を積み込む

ことが許されたので商売をして稼いでいたのです。その代わり、船頭の給料は

安く抑えられていました。船乗り達は、船主から売上高の5~10%の分配を

受けていたので実入りが良くなると同時に船主の荷を大切に扱うし、船頭が

自分の荷物ばかり優先させないように見張る役割も果たしたというのです。

なかなかの社員管理術ですね。

船頭は己の才覚で一航海で百両を超える利益を得ることも可能だったと言われて

いますが、その利益を生む力は情報力でした。当時の通信手段といえば、手紙

くらいしかなくて同じ商品でも地域によって価格差がありました。その価格差を

利用して積荷をより高く売り、各地の特産品を一番安い港で仕入れて高利益を

産み出していったのです。

狭い土地を高度に利用するため、ほぼ、すべての建物が総二階建となっています。

宿根木の蔵は他の民家と同様に板壁のように見えます、しかし、板壁は塩に弱い

漆喰を守るためで板壁の中は漆喰壁なのです。宿根木では、板壁の家ばかり

目立ちますが、壁板は千石船を修理したときに出る廃材を利用したものです。

厚さが36mmくらいあるとのことです。小木港に商売の中心が移ったあとも

宿根木には船大工や船員などが多く住んでいて千石船の修理などを行って

いたと言います。修理の際に出た廃材を上手に利用していたのですね。

江戸時代に石見瓦が、昭和30年代に能登瓦が廻船で運ばれて瓦屋根が増えて

いったのですが、 現在、主屋や納屋の屋根約40棟が石置木羽葺屋根に

復原されて特徴的な景観を形成しています。赤い色の瓦屋根は、きっと蔵だと

思います。

港のほうを見ると白い柱が、いくつも立っています。これらは舟を係留するための

舟つなぎ石です。御影石でできています。積荷は大阪でほとんど下ろしてしまうので

空荷になった千石船が不安定になってしまうので瀬戸内海各地で御影石を買い込んで

ウェートとしたために石材が豊富になり、この舟つなぎ石や、集落内の川を渡る石橋などに

使われました。街並み案内所の駐車場のタイヤ止めも御影石でした。

明治も後半になり蒸気船や鉄道が現れて輸送手段としての千石船は役目を終え、

電信の普及によって各地の価格差も小さくなって商売のうまみも小さくなって

宿根木の廻船は次第に姿を消していきました。 船大工は仕事を求めて集落を離れて

いって船乗り達も海を捨てて宿根木は、すっかり出稼ぎの村となってしまいました。

以上のような話の多くを街並み案内所のおじさんに聞いて、なぜ、こんな100m四方

ほどの狭い土地に、ひしめきあうほどの家が集中したのかといった謎や御影石が

ぜいたくに使われている謎を解き明かしてもらえたのでした。

河村瑞賢が、1672年(寛文12年)に開設した北前船の西廻り航路が宿根木を

繁栄させていき、それまで使われていた酒田港から敦賀を経て琵琶湖を船で縦断し

陸路で桑名まで運んで再び船に乗せて江戸に運ぶという積荷を何度も積み替える

非効率で時間も1年3ヵ月もかかったものを3,200kmの長旅ながら西廻り航路に

よって2ヶ月で江戸に運ぶことができるようにしたことで小木の港が栄え、港を

出入りする千石船の補修などを行う船大工の里として、また、自ら廻船を所有して

海運業で稼いで繁栄した宿根木も現在は空き家だらけで残る人々も高齢者ばかり。

町並みを維持するにも人手も資金も不足してきています。大勢の人が訪れて町並み

保全協力費の100円を払ってくれるといいですね。

へろへろの帰着

5月31日の16:05 両津発のフェリーチケットを持ってましたが 9:15 発の便に

変更してもらおうと、一昨日、佐渡汽船に電話したら

「間違いなく乗船できますか?」

「寝坊してしまわない限り、乗ることができます」と、私。

「9:15 発の便は、余裕があるので当日の朝、乗り込むときに変更したほうが

安全ですよ。乗船時刻の変更は一度しかできないので、もし、乗り遅れた場合には

無効になります」

とのアドバイスをもらって、当日港で係の人に提示して変更してもらいました。

みやげ物などを買っていたら、あっという間に乗船待機時間が来て約2時間半の

航海。行きも帰り便も波静かでした。

昼食を済ませガソリンも満タンにして北陸道を順調に走っていましたが

名立谷浜SAで給油と小休止のつもりが朝ドラを三日分観たり、メールの返事を

書いたり、なんだかんだで3時間超えの大休止になってしまい、17:40 の出発。

尼御前SAで二回目の給油と夕食。ワリと順調に走行できていたつもりが、

湖東三山PAで、ついにダウン。爆睡してしまいました。草津PAでの給油は

日付が変わって a.m. 01:11 でした。残り距離と走行可能距離を計算して

三木小野SAで、10リットルほど追加給油しておきました。

その後は、ガンバって走りましたが岡山が近づくに従って、再び睡魔が襲って

きます。おそらく、帰着時刻は午前3時半頃。フラフラになりながらも最低限

必要な荷下ろしを済ませるとバタンキュー……zzz……

佐渡島へ。

新潟港を出港

ウミネコ

なぜ、カモメじゃなくウミネコなのか。カモメは渡り鳥なので、今、日本にいるのだから、

ウミネコ。船客のひとりが与えたカッパエビセンを器用に指先から受け取って食べて

いました。

ここにも、ウミネコ。

上陸と同時にドンデン高原ロッジに向かって周辺をトレッキング。

シラネアオイが、たった一輪ですが残ってました。

ユキザサ

ニリンソウの大群落

ヒトリシズカ

エンレイソウ

わかんない。

アマドコロ?ナルコユリ?わかんない。

チゴユリ

5弁のと

6弁のと。はて。

ウツギの仲間?姫ウツギ?

今夜の車中泊は、佐和田海水浴場。

またもや自作キャンカーと出会った

道の駅 北はりまエコミュージアムで二人寝仕様で、ぐっすりと眠った晩の

翌朝。

隣の隣の駐車スペースに、どう見ても自作と思えるキャンカーがありました。

アトレーベースでルーフキャリアを載せて太陽光パネルを積んでいます。

私が朝食を済ませてもアトレーの住人が起き出す気配がありません。

そのうちに、隣の駐車スペースに、1台の車が入ってきたので私の車の中からは

アトレーの住人が起き出しても把握しにくくなりました。

そこで、車を降りてアトレーを道の駅のテーブル付きベンチに腰掛けて

監視を継続しました。

自作キャンカーと出会った 方も福岡ナンバーでしたがアトレーも

福岡ナンバー。

ついに、住人が起き出してトイレ方面に歩いて行きました。私と似たような

年格好の男性です。帰ってきたところで声をかけました。

「自作のキャンピングカーですよね?中を拝見させていただくことって

できますか?」

あっさりと許可をいただき、左のサイドドアから車内を拝見。高床式です。

運転席、助手席は、そのままにして、後部座席をたたんでバックドアまでを

フラットな床にしてあります。

特筆すべきは、床面の [A] の部分で、ここをハネ上げ式にしているので

車内に玄関があり、雨の時に、ここまで上がることができるため、ほとんど

雨に濡れずに傘をたたむことができるし、脱いだ靴はハネ上げを元に戻すと

そのまま床面の下になります。

棚と床面との間には隙間があるので就寝時には、ここに足を入れることができて

足を伸ばして寝ることができるようになっています。引き出し収納は押し入れなどに

使う

引き出し式収納ケースをそのまま3個使ってらっしゃいました。

私のように、走行モードから二人寝モードに変換するには、1時間ぐらいかかり、

その間、車外に荷物などを数多く虫干ししなければならないのとはエライ違いで

到着、即、居住スペースに移動できるのは、うらやましい限りです。

電子レンジも搭載されています。

収納ケースもそうですが、マグネット式のウインドウカバーや運転席、助手席スペースと

居住スペースを仕切る巻き取り式スクリーンなど市販のアイテムを上手に使って

らっしゃるのも見事でした。軽四でも、このレイアウトが可能なんですね。すばらしい!