Monthly Archives: 3月 2022

お手製カーフィルム 透過率0% (2)

一晩乾かして確認してみると、墨のダマができてるところが何ヶ所もありました。

女房から使ってもいいよと渡された墨汁は、古くなってしまったもので、おまけに

蒸発が進んでいたのでダマができていたようです。

かなり大きなダマもあり、すでに完全に乾いてしまっているため、修復は

まず無理。作り直すことにしました。しかし、作り直しに使える障子紙は、

幅が5cmくらい足らないので、ダマのあるカーフィルムの一部を切り離して

使わないとリヤウインドウの幅に足りません。

水で薄めて墨汁は一晩置いたものを使用したので、今度はキレイに塗ることが

できました。しかし、水分が多いため、クルクルと巻いてしまいました。

アルバムなどを重しにして、巻きグセを直します。

お手製カーフィルム 透過率0%

二階の客間の障子には「破れない障子紙」を使ったのですが、

ハンパが4枚残ってしまいました。丈夫な紙なので、何かに

使えないかと持っていた甲斐があって、左側のクォーターガラスと、

右側のクォーターガラスには、お手製カーフィルムをすでに貼ってます。

しかし、今回は、大物です。リヤウインドウを真っ黒にします。

最初の一枚を切り出して

リヤウインドウに仮留めして細部の寸法を出します。

ハイマウントストップランプや、リヤデフォッガーのコネクタ部分に

切り欠きが必要です。

1枚目はリヤデフォッガーのコネクタ部分の寸法が甘かったので

2枚目を作り直しました。

墨汁で真っ黒に塗りつぶして、一晩乾かします。

仮伏せ

シイタケのホダ木を転がしているのは、仮伏せ作業です。

梅雨が始まるまで、地べたにゴロンと転がしておきます。雨が降ったら

次の日にホダ木と地面が接していた面が上になるようにゴロゴロと

転がして一部分だけが湿気すぎないように世話をしてやります。

5月の末、梅雨に入る前に本伏せに切り替えます。

梅雨の間も、ホダ木が湿気すぎないように地面との隙間を空けるような

組み方をしてやるのが本伏せです。いろんな組み方がありますが、私は、

上の写真のような鳥居伏せの、もっと、地面に近い感じに組みます。

本伏せをする場所の環境に合わせて、どんな組み方をするのかを

決めてやる必要があります。長梅雨か空梅雨かで、組み方を変えて

やらねばならなのでしょうが、あまり気にしたことはありません。

池の底には、オタマジャクシがじっとしています。わかりますか?

写真をクリックして拡大表示にしたら、お玉の形のオタマジャクシ♬

ソーシャルディスタンスをとりながら池の底にいるのが見えるでしょ?

カーテン取り付け完了

カーテンレールをカットする位置決めをしました。このカーテンレールはバックドアに

届く長さでした。リヤクォーターウインドウには、自家製ブラック障子紙を貼ったので

カーテンは必要ありません。

位置決めのためにカーテンレールを通したのですが、アンテナ配線が邪魔して

大変でした。こんなところにカーテンを掛けることはできません。

切断位置はマスキングテープでマークしておいたので、ディスクサンダーで切るのみ。

この作業をするために、ゴーグルを探していたら、ここ何ヶ月か行方不明だったノギスが

見つかって、大喜び。去年の瓦工事のあとの片付けがキチンとできていなかったことが

失踪の原因だったのですね。

切断は一瞬で済みます。切断面のバリ取りのためのヤスリがけに、ちょっとだけ

手間がかかります。

レールの長さが調整できたら、いよいよ、カーテンの取り付けですが、

3ヶ所のカーテンレール留め金具に、どういう順番でレールを通すかに

ついては、宣教師と先住民を小舟で向こう岸に渡す問題を解くような

むつかしさがありました。留め金具は、完全な一直線上に並んでいるわけでは

ないし、レール径と留め具の穴の径の差はかなりタイトだからです。

なんとか、カーテンが掛かりました。

次は、↑↑↑ の位置に

タッセルとフサカケを取り付けます。

↑↑↑ の位置に結束バンドを使ってダブルクリップをぶら下げます。

カーテンは、ダブルクリップとタッセルを使って留めます。ダブルクリップは

車泊時の覗き見防止ですね。

以上で左側カーテンの取り付けは完了です。次の工程は、バックドアの

ウインドウに「黒障子を貼る」です。

とうが立ったフキノトウ

毎年、採り損ねてしまうのですが、今年は珍しく間に合いました。

左のフキノトウは、すでに花が咲いています。

それでも、天ぷらにして食べたら、ちょうどいい苦みと早春の香りが

口の中いっぱいに広がって、なんともおいしゅうございました。

久々にジンちゃんのお世話

何かができない時、なぜ、できないかについてはいくらでも思いつくのに

障害を越えて、どうにかやる方法については考えもしようとしないってことが

よくあります。3ヶ月半ほど、ジンちゃんのお世話をサボったあとにやっと

自作を再開したのに、ソーラー ⇔ 走行充電 遮断スイッチの位置変更を行った

だけで、またまた、2ヶ月ほどサボり続けていました。

2月の初めから3月にかけて5回ほど市役所にジンちゃんに乗って出かけているし、

大阪にも一度行きました。市役所は駐車場が狭いのでジンちゃんのほうが都合が

いいし、ゴンパチは普通トラックなので高速代が高いので遠出には、ジンちゃんを

使います。

市役所に何度も出かけたのは、 町内会名義のゆうちょ銀行通帳を作るための

書類を取得したり、防犯灯関係でも用があったからですが、主として雨水枡増設の

件で進捗状況がどうなのかを面と向かって問うためでした。まあ、この件を

依頼した人は電話一本で済んでいると思っているかも知れませんが、市役所や

区役所を動かすには直接押しかけないとどうにもなりません。彼らのほとんどが

なぜできないかの理由を組み立てる名人ばかりだからです。

ちなみに、ゆうちょ銀行通帳は「総合的に判断した結果」断られてしまいました。

理由については開示してもらうことができませんが、申請中の先月22日に

かんぽ生命が700社以上との間で、法令違反の疑われる法人向け保険契約を

結んでいたことが明らかになったため、とばっちりを受けたのだろうと思って

います。守りに入ったということですね。

昨年の続きの工作をやろうとすると、ジンちゃんの後部荷台のカバーを全部外さねば

なりません。しかし、再々、お出かけするとなると、その都度、カバーを外したり

取り付けたりしなければならず、そのことが、心理的にジンちゃんのお世話から

遠ざける理由となってました。

ところが、今日、後部荷台を外さなくてもできる作業があることに気づいて

しまいました。

右側にはカーテンがありますが、左側にはカーテンがありません。左側の

カーテンレールをまだ取り付けていないためです。

そのへんに転がっている木片のひとつに鋸を入れて

穴を開けて

次は、ジンちゃんの中での作業。

後部のアシストグリップに仮留めして位置関係を確認して

カーテンレールの留め具を取り付けた上で固定しました。

今日の作業はここまで。

防犯灯と町内会

意外と知られていない可能性が高いのが、町内会が防犯灯を保守したり

電気代を払っていたりすることです。しかしすべての防犯灯ではなく

一部の防犯灯は、市町村などが所有し電気代も払っています。他には

個人や法人が持っていたり、中には所有者不明で球が切れたまま放置されて

いるものもあります。

町内会が所有している防犯灯を一定の条件のもとに自治体への寄付移管を

認めるケースもないわけではありません。しかし、そのような自治体は非常に

珍しく、たいていは、電気代だったり、交換や新規取り付けの費用の一部を

補助する仕組みはあっても、町内会の所有する防犯灯の維持管理は町内会の

仕事です。ついでに市の所有している防犯灯が壊れていたりすると市に知らせて

直させるのも町内会の仕事です。

町内会が防犯灯を維持管理し、新設の判断もしていることによる最大の

問題は、町内会と町内会の境界となる道路への設置が少なくなってしまう

という点です。隣り合う町内会同士で話し合えばいいじゃないかと思われる

でしょうけど、こういう話は言い出しっぺが不利になります。ひとつの防犯灯を

複数の町内会が共有するという仕組みがないので、じゃあ、どちらが負担するか

となるとジャンケンに勝つのは必ず後出し側になります。それがわかっているから

どちらも言い出さない ⇒ 境界道路は暗くなるという仕組みです。

なぜ、防犯灯を町内会が維持管理するようになったのかは、私にとって長いこと

謎でした。2011 年頃から市の主導で防犯灯のLED化が始まり、11年経って

だんだんと輝度半減期を超えたものが増えてきたので、取り替えを始めました。

補助金申請のために区役所に出向いて、いろいろ話していて、市の防犯灯を

増やしてもらうためには、市役所の生活安全課に直談判したほうがよさそうだ

ということがわかりました。さっそく、市役所に向かって(といっても、区役所の

一部が市役所と同一の建物内にあったりするので、今回も、区の総務課と市の

生活安全課は同一建物内でした)ここでもいろいろ、話をしているうちに、

元々、岡山市の防犯灯は中国電力が無償で設置し、電気代も請求していなかったの

ですが、あるとき、市に買い取ってくれという話を持ち込んできたんだそうです。

市としても市内全域の防犯灯を維持管理していくだけの財政的余裕がなくて、

連合町内会のような組織と協議したのだと思いますが、市が1/3、町内会が 2/3 の

防犯灯を維持管理して電気代もそれぞれが中国電力に支払うということになった

というのです。なんだか、ぷぇ~な話ですが謎は解けました。

10年前に借地だった公会堂の敷地も譲渡と買い取りで町内会名義となり、

公会堂そのものも町内会名義になりました。(私が建物登記をしたので、当然、

自分がすると思っていた司法書士の機嫌を損ねました)防犯灯だけなら、

防犯灯管理組合みたいなものを作って移管すればいいかも知れませんが、下手に

不動産を所有してしまって町内が争族だらけ?になるかも知れず、え~いっ、

町内会なんか解散しちまえーっと言いにくい状況があります。

町内会 (03)

町内会を支える「人」の問題が行き詰まったら、町内会を解散すればいいという

議論が現役員からも出ています。 「町内会に入ることのメリットは?」の 問いかけは、

町内会役員の中にもあるのです。町内会役員の任期が、20年~40年にも及んで

いるということは、町内会を継続していくための後継者の育成に同じだけの期間、

失敗し続けているということです。この課題については、この記事の後半で再び

取り上げることにして、コロナ禍が町内会に与えた影響について触れます。

感染予防のために集会を開くことが困難になったのが2年前の3月頃で、ちょうど

毎年4月の町内会総会開催時期直前というタイミングでした。やむなく、公会堂に

集まる総会ではなく、書面による総会を開催しました。

この年は、資源ゴミの収集に町内会としてどのように関わるかという重要な議題が

ありました。実際の議案を引用します。

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長年、行ってきた資源ゴミ回収当番ですが、2020年4月の当番を最後に
無期休止としたいと思います。昨年10月をもって資源ゴミ回収業者が
契約解除をしたいと申し出てきたことで、回収による収入がゼロになったことが
きっかけですが、高齢化により、今後、ますます、資源ゴミ当番を組むのが
困難になっていくことも予想され、資源ゴミ回収当番の意義は理解できる
ものの、市の施策が今後変化しない限り、やむを得ないという判断に
至りました。総会においても承認されれば、今後は古紙、古布、ペットボトルのみの
収集となります。ビン・缶などは、公民館やスーパーなど収集している場所に
出すか、少量なら埋め立てゴミに出していただくことになります。

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今、読み直してみると ↑↑↑ の文章を読んで何が問題であるかを正しく

理解して判断することは至難のワザですね。しかし、ちゃんと理解して

反対意見をよこしてくださった方がいらっしゃいました。

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ビン・缶の回収がなくなり公民館・スーパーにもって行くのも
高齢者の方には困難があるように思います。
個人的には当番ができる人だけでもつづけて協力しあえば
高齢者の方も助かるのではと考えたのですが無理でしょうか.

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記名してのご意見だったので、お返事を書くことができました。例によって

長文です。

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数年前に比べると、資源化ゴミの回収量は、四分の一ほどまでに減ってきていました。
原因を調べてみると、国道△△号より南半分にお住まいの高齢者方の中は、ご指摘どおり
収集場所まで持っていくことがおっくうで、埋め立てゴミとして出しているケースが多く
なっていました。また、新聞やダーボールも含まれますが、玄関先に出しておくと業者が
回収してくれるサービスの利用も全区域で増えてきました。民間の古紙回収ボックスの
利用も増加していますね。

2018年に公園の清掃を取りやめました(隣町の○○町にお願いした)
今回、資源化ゴミ当番まで取りやめてしまったら、隣近所の人が協力して何かをやるという
ことをさらに減らすことになり、近所同士の結びつきを弱めることになる……そのことが
もっとも憂慮される点でした。一方、極寒のときにも酷暑のときにも当番はあるわけで、
一年に何回も当番するのは勘弁して欲しいというのも正直なところでしょう。
そのような背景から、年に11班(6や12で割り切れる数字だと、いつも暑いときとか
寒い時に当番になってしまう班ができるので、それを避けた)が持ち回りで当番に
あたることにしていました。しかし、高齢化で当番をこなすことが出来る人は減る一方で
班の編制は、実質3~4人の体制になってきていました。人数が少なくなると、
班の中に勝手な人や強引な人など、いわゆる困ったさんが、ひとりでもいると
せっかく、11ヶ月に一度とはいえ、ご近所同士の交流も兼ねた当番が、いがみ合う
元にもなりかねないという事態も出てきていました。班の構成員の数が減れば減るほど
困ったさんが目立つんですね。
岡山市の山上新最終処分場も、分別がきちんとできていなければ、それだけ早く満杯に
なって寿命を迎えます。それも含めてゴミ回収コストをさげるためには分別をしていくしか
ないことは、埋め立てゴミを手で分別する作業など岡山市が行っていることを
知っているだけに今回の議案提出は、苦渋の決断でした。
もうひとつの大きな要因として古紙を含む資源化ゴミの価格下落が大きな要因に
なっています。昨年の古紙下落に引き続き、今年になって、古紙問屋が回収業者から
仕入れる古紙買取り値段ボール 5円/Kg と、2006年10月以来の安値をつけています。
さらに、コロナ騒ぎで中国の爆買いも当分の間、期待できません。行政が何らかの
施策を発動しない限り、低迷する古紙価格は、回収業者の回収費用すら賄えない
危険数値になってしまっていることが、真の背景であると言えます。

最後になりましたが、ご意見、ありがとうございました。それなのに、グダグダと
回答にもならない回答を書き連ねてしまって、申し訳ありません。でも、本当に
ご意見をいただくというのは、ありがたいのです。今回、初めての書面議決を
とらせていただきましたが、ご意見らしいご意見は非常に少なく、つらい思いを
しています。ご意見をいただけないということは何も期待してないということですからね。
いえいえ、愚痴を言ってはいけません。ありがとうございました。

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もう一通、この議案とは別のことでご意見をいただきましたが、そちらにも

文書で回答をしておきました。SDGsに逆行するような判断ですが、上の回答にも

あるように、町内会に押しつけておけば、それで対策済みとして次の手を打って

来ない岡山市に対する抗議の気持ちが強いんですよ。といっても、ウクライナの

国旗同様、この抗議が届くというものでもないんですけどね。

ところで、書面総会をすれば、このようなご意見をいただけるという効用があることは

うれしい発見でした。それに、公会堂で総会を開催した場合、実際に出席して

くださる会員の数は役員を差し引くと全世帯数の10%程度となることが通例です。

40%くらいの世帯は委任状を出していただけるので、形式的には60%くらいの方が

議決してくださっていることになりますが、役員を入れても20%足らずの人で

決定していくのは、ちょっと危うい感じがあります。

ところが、書面総会だと80%前後の方が議決書を提出してくださるので、重要議案に

ついては、書面総会のほうが民意の反映度が高そうに感じます。それに、公会堂での

総会の場合は議案を提示されたその場で質問したり意見を述べたりしなければ

なりませんが、書面の場合は、じっくりと考えることができるし必要なら関連する

情報をネットなどで集めることもできます。

そのような気づきから、昨年の書面総会でも5年間の町内会費長期前払いを募集したい

という重要な議案を可決することができました。

そして、今年の書面総会では、

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毎月一回、岡山市や、その他団体から届く市民の広場などの
印刷物を受け取って仕分けして他の組の幹事さんや、担当する組の
班長さんに渡していただくという岡山市連絡担当員業務を町内会
会員の方に一年交替で担っていただきます。

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これまで役員が担ってきた業務を交代で行ってもらうという議案を提出します。

さらに、交代で行うよりも、ボランティア参加していただくほうが適している

業務については希望者を募集していきますよという議案も提出しました。

実際には、人に頼むよりも自分でやったほうがラクだし、確実だし、確認の必要も

なくていいのですが、町内会業務を伝承していくことと町内会は何をやっているかを

広報していくことが未来の町内会のリーダーを生み出すための遠回りなようであって

実は近道なんじゃないかと思い始めています。

町内会 (02)

町内に越してきた方に「町内会に入ってください」と声をかける係は

私です。何年か前に比べると、ちょっとずつ上手になってきてますが

まだまだ全戦全勝には、ほど遠い状況です。

何年も前のことですが、NHK の受信料契約や収納業務を代行する会社が

出張所を開いたので町内会への加入をお願いしに行きました。代表の方から

「町内会に入ることのメリットは何ですか?」という質問を受けました。

このとき、残念なことに即答できませんでした。

その後、ずっと、答えを探していますが、いまだにどう答えるべきか

定まらずにいます。町内会は徴収する町内会費に見合うサービスを提供する

団体ではなくて、入会したからといって何らかの利益が得られるという

ものではないのですが、じゃあ、何だ?と訊かれると答えに窮してしまうのです。

現時点で、うすぼんやりと思っていることは町内会に入会していただいた方に

利益を提供するというよりも、入会した方が町内の方々に対して価値ある存在と

なっていただくためのスタートを切ってもらうということなんだろうと思っています。

町内会の役割は、これだ!と思ったこともあります。2011 年 4 月に私は

気仙沼で生まれて初めてボランティア活動というものをしました。そのとき、

週に一回は活動を休んで自分のための日としようと決めていました。気持ちが

煮詰まったり、逆に日々の活動が単なるルーティンになってしまうことを防ぐ

ためです。2回目の休日は、バイクに乗って海岸伝いに北上してみました。

涙が出てきてしまったのは、↑↑↑ の光景を見たときです。鉄橋が流され、

引きちぎられた線路が力なくぶらさがっていました。写真撮影した時刻から

陸前高田を過ぎて大船渡へ向かう途中だったような気がします。釜石、

大槌町、山田町を経て昼食をとった宮古市で折り返しました。帰路は遠野を

経由する内陸部を通りました。

津波被害のむごいところは、ちょっとした土地の高低差で、まるごと家を

流されてしまった地域とほぼ被害ゼロの地域が隣り合っていたりするところです。

線路の写真をクリックしていただくと拡大画像になりますが、写真中央奥の

線路脇に数軒の民家が見えます。道路をはさんで左側にも民家が見えますし、

木立をはさんで右側にも民家が見えて、いずれもご無事だったように見えます。

しかし、手前の川沿いの線路の左側をよく見ると建物の基礎のようなものが

2ヶ所あるし、右側には、瓦礫が積み上げられています。これらの区画には、

何軒か民家があった可能性が高そうです。奥に見える民家からいえば、

お隣さんという位置関係になりますね。

気仙沼で過ごした18日間は、私の人生観を根底から揺るがした日々でした。

町内会への取り組み方も、この時を境にガラリと変ったのですが、防災、防災と

騒げば騒ぐほど空回りしてしまいました。

じたばたと手当たり次第に、いろいろやっていく中で防災とは結局、隣近所に

住む人が互いの顔と名前が一致していることで、町内会の役割は、顔見知りの

範囲を少しずつ広げていくことだと気づいたのです。

2017年5月に茶話会と麻雀、囲碁同好会を立ち上げました。月に一回公会堂で

午前中は、高齢者の方を中心にお茶を飲みながら、ボランティアの方の指導で

女性の方には小物づくりを楽しんでもらい、男性陣は昔話に花を咲かせて

もらいました。最後は、全員で軽く体操をします。午後は、健康麻雀と

囲碁で楽しんでもらいました。午前も午後も参加される方もおられましたが、

ほとんどの方は、午前組か午後組に分かれます。しかし、この集まりも、

2020年2月を最後に中断したままになっています。早く、再開して欲しい

という声は、ちゃんと届いているのですが、この状況では、なかなか困難で

もどかしい思いをかかえています。

町内会

ずいぶん、長いこと町内会の役員をやっているなあとは思っていました。

今日は、朝から雨でやる気も起きなくて、BOSCH/ボッシュという

タイトルの米TVドラマを観たり、録画溜めしていた 英雄たちの選択』のうち、

二宮金次郎の回を見たり、 カナダのTVドラマの『アボンリーへの道』を

観たりして時間をつぶしていました。

長くやっているとは言っても、果たしていつ頃から町内会役員をやっているの

だろうかと町内会のファイルをひっくり返してみました。見つけた中で、

いちばん古い記録では、2002年の2月に行われた役員会に出席していました。

町内会の役員になったきっかけは、ある日、死んだ父親の代わりに町内会の

集まりに出席するようにとの通知があり、何事だろうかと出席してみると、

その場で、防災部に入るようにと言われて防災部員になり、たぶん、その後、

2年も経たないうちに防災部長にスピード出世(というのか?)2006 年頃には、

Excel が使えることから会計事務を兼務し始めたようです。

まあ、その頃は現役だったし、できることしかやってませんでした。

町内会との関わりが変ったターニングポイントは、戦前からあったという

公会堂の天井が落ちてきたのと地主さんが土地を返して欲しいと言ってきたのが

重なって起きた 2009 年か、2010 年頃でした。

その時点での町内会の留保金額は知れたもので公会堂の建て替えに要する費用の

ほとんどを町内会員からの寄付でまかなわなくてはなりませんでした。

公会堂建設委員会を立ち上げて、どのような公会堂にするかを話し合い、

寄付金募集を2次、3次と重ねて集まった資金で建設可能なのは、平屋でした。

町内の高齢化が進んでいるので集会場は階上ではないほうが望ましいし

何よりも借金なしで建設できるほうが良いに決まってます。

しかし、公会堂建設委員会において公会堂を2階建てにするか平屋にするか

議論が、まっぷたつに分かれてました。立て替え前の公会堂には隣に祭りに使う

ダンジリの収納庫がありました。公会堂があった土地を明け渡すにあたって

土地の一部を譲渡してもらい、あわせて建物の撤去費用も地主さんに負担して

もらいました。しかし、譲り受けた土地の面積でダンジリ格納庫を設けながら

必要最小限であっても集会所を建てるには、建ぺい率60%の敷地では

不可能ではないにしても非常に使いにくいものになるため、平屋にするときには、

市の許可を受けた上で公園にダンジリ庫を設けるつもりでした。2階建てに

すれば、1階にダンジリを収容できます。

2階建てにしたい派の親玉役員と平屋派の私とでサシで話し合いました。

とことん、話し合った上で足らずの資金をどうやって調達するかについては、

その2階建て派役員が無利子かつ、ある時払いの催促なしで貸し付けるとまで

言うので(その前に、その役員の母親から、ポーンと250万円の大金を寄付して

もらってました。そのおかげで、敷地面積を5坪増やすことができて平屋にしても

2階建てにしても計画がしやすくなったという経緯がありました)私は折れることに

しました。しかし、いくら催促なしといっても、毎年いくら返済できるかを計算して

おかねばなりません。借金以外の資金調達手段として町内会費の10年前払いという

秘策を編みだして、毎年、町内会費を徴収しないことを返済に替えることにして

まず、140万円を確保し、それでも足りない200万円を借りることにして

2階建ての公会堂を建てました。

10年前払い期間は今年度で終了し、借金も今月残りの28万円を返して完済と

なります。前払いをしてもらうと集金の負荷が減るので新たに5年前払いを

募集したところ、71.6%の会員の方から、すでに払い込みいただきました。

ずいぶん、長いこと町内会の役員をやっているなあという話だけで完結するかと

思って書き始めましたが、書いてると、いろんな記憶がよみがえり、さまざまな思いが

湧きあがってきました。町内会についてポツリ、ポツリと書いて行きたくなったので、

新規カテゴリーとして「町内会」追加しました。