実は怖ろしい公図の罠(4)

投稿者: | 2025年5月2日

一旦は、泣く子と地頭と法務局には勝てぬと、隣接する土地の方々と

それぞれ、話し合って原状に回復するための手続きを進めようと

考えました。しかし、どうにも納得できないので改めて法務局の

筆界特定室の方に4月24日にお会いしました。(3月13日に

面接した方とは別の方です)話は平行線のまま1時間経っても

双方の主張が一致することはありませんでした。それでも、法務局との

話し合いも3度目となると少しずつ法務局の主張したいことや、

そこで使われる専門用語などへの理解が進みます。3回目の話し合いは

午前中だったのですが、その日の午後に法務局から電話があって、

私の住む地域の登記所備付地図作成作業が開始されるという情報を

提供していただけました。ありがたいですね。

法務局に勝てぬ私としてはすべて自費で原状に回復するための手続きを

進めようとしていたのですが、地図作成作業は国費で行われるので

少なくとも土地境界測定測量費の半分くらいは浮くことになります。

さっそく、今回のことを依頼している登記測量事務所の方に連絡したら

「安くなって良かったですね」と契約内容の変更を快諾していただけたので

ホッとしました。

筆界特定室での話し合いは物別れには終わったのですが、これ以上

話を続けるなら、法務局の西出張所と話をするしかないと再びタライを

回されたので、昨日、予約を取って西出張所に出かけました。

説明も4回目ですから、だんだんと論点をハッキリとさせた相談が

できるようになってきました。経緯を説明するのに必要な図や現況を

示すための写真なども用意して臨んだのですが、やはり、今回も

平行線をたどりそうな気配をはらみつつ、1時間以上かかりました。

でも、その話し合いの中で、なぜ、かたくなに法務局が一度決まった

筆界を動かすことができないと言い張るかの根拠みたいなものが

見えて来ました。

江戸時代では年貢制度でしたが、地租改正によって明治時代からは

土地の広さに応じて税金を徴収することになりました。このため、

土地の面積を確定しなければならなかったのですが、その測量を

村民たち自身の手で行わせました。測量の知識がない村民が行った上に

縄を引っ張って測って実際の面積より少なくするようなことも

横行していたようです。

これじゃ、さすがにまずいと思った明治政府は明治18年から22年にかけて

「地押調査」という再調査を行いました。が、これも 不備の多かった

地域については修正が施されたものの一部地域に限られてしまいました。

最初の地租改正によって定められた筆界を原始筆界と呼ぶそうですが、

その後、区画整理や土地の売買などで新たに設けられた筆界を創設筆界と

言います。この創設筆界は登記によってしか変更できないので、今回の

私がハマった罠のようになっているわけです。

法務局の方が口をそろえておっしゃるのは、創設筆界は動かすことが

できないというものでした。私の主張は、その創設筆界そのものが

あやしいというものです。

昨日も、これまで通り平行線をたどりそうな気配だったんですが、

そもそも、区画整理が行われたのが、いつだったのかということを

面接していただいた政田さんが途中、調べに行ってくれました。結果は

昭和26年でした。さすがに古くて、これを根拠に私の主張を門前払いするのも

いかがなものかと政田さんは考えてくれたのでしょうか。しばらく時間を

いただいて何か手があるかどうか調べてみてくれることになりました。

4回目にして、やっと小さいけれど一歩踏み出すことができました。

今日、この文章を書きながら、過去のいきさつを手元の資料から調べていくと

私の住む5-4の土地を父親が購入したのが昭和27年6月3日のことだった

ようです。区画整理の翌年ですから、さすがに区画整理を無視して売買が

行われたとは考えにくいですよね。

今後の展開についての作戦を立てていくべきところですが、まずは、

政田さんから、どのような返答がもらえるかをによって、じっくりと

考えたいと思います。

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