最初に物忘れ外来を受診したのは、 2015年2月25日 のことです。
なぜ、わかるかというとブログに記事をアップしていたからです。
その記事でも書いたように家系的にほぼ、100%の確率でアルツハイマー病を
発症すると考え、早めに情報収集を兼ねて受診したのです。当時、岡山県内で
「物忘れ外来」を検索してヒットしたのがお隣の倉敷市にある川崎医科大学
附属病院だけでした。ここには、2回か3回通ったのですが担当医師と
心が通わず、コロナもあって、3年に一回くらい受診しようという当初の
計画がくずれたままになっていました。
私の高校時代の同級生が滋賀で物忘れ外来のクリニックを開いていて
昨年の秋、軽キャンピングカーの旅で訪れた際、知らん顔して受診しようと
思いましたが予約が最速でも一ヶ月先になるというので、あきらめました。
今年の春になって能登のボランティア活動も終えた時期に再び受診予約を
取ろうとしたら院長と直接電話で話すことになり、内緒で受診しようとしたのが
バレて、そういうことなら信頼できる倉敷の個人クリニックを紹介するよと
言われました。私としては、受診そのものよりも50年ぶりに再会して
話をしたいというのが大きな目的でもあったので、その後、メールのやりとりを
重ねて5月に再会しました。琵琶湖のほとりの道の駅で3時間以上のほとんどを
思い出話に花を咲かせて楽しく過ごしました。
私が高校の同級生に聞きたかったことは、認知症とどう対峙していくべきか
その指針となるような考え方だったのですが、これは彼だけではなく誰も
答えられない質問でした。医師と患者は対面しているのであって同じ方向を
見ているわけではないからではなくて医師という立場に立った時点で医師としての
思考法で物事を考えていくから診断の材料が何もない状態で病気について
語ることはできないのです。つまり、無理ゲーでした。答えが出ない質問ではなく
質問自体が成立していなかったのです。
同級生との再会から2ヶ月あまり経った8月の始めに倉敷の片山内科クリニックを
受診しました。このことで、私の認知症への取り組みは大きく進路を変えることになります。