町内会 (02)

投稿者: | 2022年3月19日

町内に越してきた方に「町内会に入ってください」と声をかける係は

私です。何年か前に比べると、ちょっとずつ上手になってきてますが

まだまだ全戦全勝には、ほど遠い状況です。

何年も前のことですが、NHK の受信料契約や収納業務を代行する会社が

出張所を開いたので町内会への加入をお願いしに行きました。代表の方から

「町内会に入ることのメリットは何ですか?」という質問を受けました。

このとき、残念なことに即答できませんでした。

その後、ずっと、答えを探していますが、いまだにどう答えるべきか

定まらずにいます。町内会は徴収する町内会費に見合うサービスを提供する

団体ではなくて、入会したからといって何らかの利益が得られるという

ものではないのですが、じゃあ、何だ?と訊かれると答えに窮してしまうのです。

現時点で、うすぼんやりと思っていることは町内会に入会していただいた方に

利益を提供するというよりも、入会した方が町内の方々に対して価値ある存在と

なっていただくためのスタートを切ってもらうということなんだろうと思っています。

町内会の役割は、これだ!と思ったこともあります。2011 年 4 月に私は

気仙沼で生まれて初めてボランティア活動というものをしました。そのとき、

週に一回は活動を休んで自分のための日としようと決めていました。気持ちが

煮詰まったり、逆に日々の活動が単なるルーティンになってしまうことを防ぐ

ためです。2回目の休日は、バイクに乗って海岸伝いに北上してみました。

涙が出てきてしまったのは、↑↑↑ の光景を見たときです。鉄橋が流され、

引きちぎられた線路が力なくぶらさがっていました。写真撮影した時刻から

陸前高田を過ぎて大船渡へ向かう途中だったような気がします。釜石、

大槌町、山田町を経て昼食をとった宮古市で折り返しました。帰路は遠野を

経由する内陸部を通りました。

津波被害のむごいところは、ちょっとした土地の高低差で、まるごと家を

流されてしまった地域とほぼ被害ゼロの地域が隣り合っていたりするところです。

線路の写真をクリックしていただくと拡大画像になりますが、写真中央奥の

線路脇に数軒の民家が見えます。道路をはさんで左側にも民家が見えますし、

木立をはさんで右側にも民家が見えて、いずれもご無事だったように見えます。

しかし、手前の川沿いの線路の左側をよく見ると建物の基礎のようなものが

2ヶ所あるし、右側には、瓦礫が積み上げられています。これらの区画には、

何軒か民家があった可能性が高そうです。奥に見える民家からいえば、

お隣さんという位置関係になりますね。

気仙沼で過ごした18日間は、私の人生観を根底から揺るがした日々でした。

町内会への取り組み方も、この時を境にガラリと変ったのですが、防災、防災と

騒げば騒ぐほど空回りしてしまいました。

じたばたと手当たり次第に、いろいろやっていく中で防災とは結局、隣近所に

住む人が互いの顔と名前が一致していることで、町内会の役割は、顔見知りの

範囲を少しずつ広げていくことだと気づいたのです。

2017年5月に茶話会と麻雀、囲碁同好会を立ち上げました。月に一回公会堂で

午前中は、高齢者の方を中心にお茶を飲みながら、ボランティアの方の指導で

女性の方には小物づくりを楽しんでもらい、男性陣は昔話に花を咲かせて

もらいました。最後は、全員で軽く体操をします。午後は、健康麻雀と

囲碁で楽しんでもらいました。午前も午後も参加される方もおられましたが、

ほとんどの方は、午前組か午後組に分かれます。しかし、この集まりも、

2020年2月を最後に中断したままになっています。早く、再開して欲しい

という声は、ちゃんと届いているのですが、この状況では、なかなか困難で

もどかしい思いをかかえています。

町内会 (02)」への2件のフィードバック

  1. Shunpa

    大変ですね。私は出来れば役員は断りたい方で、「町内会に入るメリットは何ですか?」という役回りですが、私の所はマンション入居者はほぼ強制的にマンションの管理組合に加入することになり、役員も持ち回りで回ってくるので、順番が来たら仕方なくやるという感じです。

    返信
  2. 何処吹く風 投稿作成者

    コロナ禍で、ほぼ、すべての町内会活動が停止していて

    この2年間というもの、すっごくラクをしてます。

    一般の人にとって、町内会とは、いかに上手に(テキトーに)

    つかず離れずつきあうかというものだと思います。

    気がついてみれば、20年以上、町内会の役員をやっていて

    (それでも、8人の役員のうち、私より後に役員になったのは

    一人だけです。つまり、6人の役員が、30年、40年と

    役員をやってます)最初の頃は元老たちに食い下がることが

    多かったのですが、そのうち、大げさに言えば伝統と改革の

    ほどよい境界線のようなものが見えてくるようになって

    活動がやりやすくなりました。しかし、反面、反対が

    なければ、独善に走り、やがては独裁となり、腐敗しない

    独裁はないので晩節を穢してしまうことになりかねません。

    その前に、私自身が年をとりますからね。老害をまき散らして

    しまうっていうほうが現実的に起こりうることなので

    コロナ禍の中で、あれこれ策を練っているのはこの点ですね。

    返信

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