町内会

投稿者: | 2022年3月18日

ずいぶん、長いこと町内会の役員をやっているなあとは思っていました。

今日は、朝から雨でやる気も起きなくて、BOSCH/ボッシュという

タイトルの米TVドラマを観たり、録画溜めしていた 英雄たちの選択』のうち、

二宮金次郎の回を見たり、 カナダのTVドラマの『アボンリーへの道』を

観たりして時間をつぶしていました。

長くやっているとは言っても、果たしていつ頃から町内会役員をやっているの

だろうかと町内会のファイルをひっくり返してみました。見つけた中で、

いちばん古い記録では、2002年の2月に行われた役員会に出席していました。

町内会の役員になったきっかけは、ある日、死んだ父親の代わりに町内会の

集まりに出席するようにとの通知があり、何事だろうかと出席してみると、

その場で、防災部に入るようにと言われて防災部員になり、たぶん、その後、

2年も経たないうちに防災部長にスピード出世(というのか?)2006 年頃には、

Excel が使えることから会計事務を兼務し始めたようです。

まあ、その頃は現役だったし、できることしかやってませんでした。

町内会との関わりが変ったターニングポイントは、戦前からあったという

公会堂の天井が落ちてきたのと地主さんが土地を返して欲しいと言ってきたのが

重なって起きた 2009 年か、2010 年頃でした。

その時点での町内会の留保金額は知れたもので公会堂の建て替えに要する費用の

ほとんどを町内会員からの寄付でまかなわなくてはなりませんでした。

公会堂建設委員会を立ち上げて、どのような公会堂にするかを話し合い、

寄付金募集を2次、3次と重ねて集まった資金で建設可能なのは、平屋でした。

町内の高齢化が進んでいるので集会場は階上ではないほうが望ましいし

何よりも借金なしで建設できるほうが良いに決まってます。

しかし、公会堂建設委員会において公会堂を2階建てにするか平屋にするか

議論が、まっぷたつに分かれてました。立て替え前の公会堂には隣に祭りに使う

ダンジリの収納庫がありました。公会堂があった土地を明け渡すにあたって

土地の一部を譲渡してもらい、あわせて建物の撤去費用も地主さんに負担して

もらいました。しかし、譲り受けた土地の面積でダンジリ格納庫を設けながら

必要最小限であっても集会所を建てるには、建ぺい率60%の敷地では

不可能ではないにしても非常に使いにくいものになるため、平屋にするときには、

市の許可を受けた上で公園にダンジリ庫を設けるつもりでした。2階建てに

すれば、1階にダンジリを収容できます。

2階建てにしたい派の親玉役員と平屋派の私とでサシで話し合いました。

とことん、話し合った上で足らずの資金をどうやって調達するかについては、

その2階建て派役員が無利子かつ、ある時払いの催促なしで貸し付けるとまで

言うので(その前に、その役員の母親から、ポーンと250万円の大金を寄付して

もらってました。そのおかげで、敷地面積を5坪増やすことができて平屋にしても

2階建てにしても計画がしやすくなったという経緯がありました)私は折れることに

しました。しかし、いくら催促なしといっても、毎年いくら返済できるかを計算して

おかねばなりません。借金以外の資金調達手段として町内会費の10年前払いという

秘策を編みだして、毎年、町内会費を徴収しないことを返済に替えることにして

まず、140万円を確保し、それでも足りない200万円を借りることにして

2階建ての公会堂を建てました。

10年前払い期間は今年度で終了し、借金も今月残りの28万円を返して完済と

なります。前払いをしてもらうと集金の負荷が減るので新たに5年前払いを

募集したところ、71.6%の会員の方から、すでに払い込みいただきました。

ずいぶん、長いこと町内会の役員をやっているなあという話だけで完結するかと

思って書き始めましたが、書いてると、いろんな記憶がよみがえり、さまざまな思いが

湧きあがってきました。町内会についてポツリ、ポツリと書いて行きたくなったので、

新規カテゴリーとして「町内会」追加しました。

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