もらとりあむタマ子 (2013)

投稿者: | 2021年1月3日

タイトルが良い映画は、映画自体も良いことが多いので、ずいぶん前から

気になっていました。ここのところ、ハズレが続いたので、いい機会だと、

引っ張りだしてみました。

もし、日本語が全然わからなくて、英語も、私程度しか理解できない海外の方が

英語字幕だけで、この映画を観た場合、この映画の良さを感じることが

できるかというと、心許ないですね。この映画では、セリフが大切です。

といって、一言一句、聞き漏らさぬようにということではなく、偶然、

元同級生と出会ってしまったタマ子が、小さなウソをついてしまう場面や、

中学生の男の子とのやりとりなんかは、セリフがわからなくても

ストーリーに置いてけぼりになるわけじゃありません。しかし、この映画を

観る楽しみが相当、減じてしまうはずです。

大学6年生で、やっと卒業した私は、入学前の浪人生活も含めて、まさに

モラトリアムな7年を過ごしてます。さらに就職してからも、モラトリアムの

残滓がなかなか抜けなかったので、タマ子には、簡単に感情移入できました。

しかし、叱らない父親というのは、私自身は全く違うので、周囲にモデルを

探してみると、私の父親って、ここまでじゃないけど、どちらかというと

そうかなと。今、この文章を書いてて思い出しました。でも、その父親も

亡くしてから20年くらい経ってますからねぇ。

エンドロールに伊藤沙莉の名前を見つけて、ヒントを求めて検索したら

ウォーリーを探せ並みに目を凝らしてお探しくださいませ ! 」と

ありました。それをヒントに探したら、出演中、一度もピントを

合わせてもらってないのね。もうひとり別の元同級生がホームで

列車の到着を待ちながら泣いてるシーンは、秀逸でしたが、

海外のレビューや批評を10人分以上目を通しましたけど、

誰も、このシーンについて触れていませんでした。

私が 園子温の「風 (1998)」に対して、何か起こるゾ……起こらない。

じゃあ、最後にドカン!と……起こらない。何じゃそりゃ!と怒っていたのと

同じようなレビュー書いてる人はいて、親近感を感じました。

小津安二郎の作品と対比しながら批評を展開してるのもありましたが、

それは、さすがに違うだろって思いましたし、東日本大震災と原子炉の

メルトダウンで意気消沈としている日本が背景にあるから……な~んて真顔で

語られたりすると、どういう表情をすればいいのか窮してしまいます。

その点、私が海外の作品に対して、あれこれ書いてることが、その国の

人の目に触れる確率は限りなくゼロでしょうから、幸せなことです。

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日本語を使って書いてね。外国語わかんない。