全斗煥について何も知らないのに等しいことを思い知った私はネットで
検索しました。12.12 の粛軍クーデターと翌年の5.18 光州事件は、
全斗煥政権の正当性を脅かすもので、これをなんとかしたいと 「新時代」を
スローガンにして朴正煕政権下で長年続いてきた社会的な統制、規制の解除、
廃止に取り組みました。まず、カラーテレビ放送を1980年12月に解禁しました。
つまり、それまで韓国国民はカラーテレビは贅沢だと白黒テレビしか見ることが
できなかったのです。こんなことも今回、調べなければ知らないままでした。
カラーの化粧品広告によって女性たちが化粧をするようになったといいます。
驚いたことに、それまで化粧は限られた人が限られた場所でするものだったそうです。
しかし、カラーテレビをきっかけに、ほとんどの女性が化粧をするようになったので
街は一気に華やかになったでしょうね。
1982年1月に夜間通行禁止令が解除され、 ネオンサインが解禁になり、街灯も増え
さらに、中高校生たちの制服を廃止しヘアスタイルも自由化したというのですから
文字通り、街が明るくなりました。
夜間通行禁止令は、 国防・治安上の理由から、午前零時から4時まで外出や交通は
禁止され、屋外での活動は一切認めらなかったというもので、しかも、そういう生活を
40年間にわたって強いられてきたのです。 夜間通行禁止令、通称「通禁(トングム)」 の
解禁によって人々は「時間を気にしなくてもいい!」という自由を与えられ余裕も
生まれたことでしょう。
プロ野球やプロサッカー、プロ相撲(韓国ではシルムという)などプロスポーツも全斗煥時代に
始まりました。 韓国にとって史上初めての国際スポーツ大会となったアジア競技大会が
開催され、1988年ソウル五輪の招致にも成功して、スポーツが韓国人の日常の話題に
上るようになりました。物価高を抑え込むことに成功し、経済成長率も10%に近く、景気は
好調でした。景気が良ければ人々の表情も明るくなりますよね。
そしてとどめは、全斗煥政権は末期の1987年6月、民主化を求める反政府デモの盛り上がりを
受けて憲法改正の受け入れです。代議員による大統領間接選挙制だったのを直接選挙制に
変えるという大変革をやっちゃったのです。ただし、民主化最初の大統領選挙では、野党側が
分裂したため、ハナ会ナンバー2だった盧泰愚候補が当選してしまいました。
1989年には海外旅行も自由化。民主化後の盧泰愚政権になっても自由化の波はとどまらず
12・12と5・18を除けば全斗煥政権は政治をうまくやったのです。
次の大統領選で金泳三政権となって、 「12・12」や「5・18」の不法性を理由に全斗煥・盧泰愚は
逮捕・投獄されます。しかし、1997年に大統領となった金大中は当選直後に、二人を
赦免・釈放しました。