処分が発表されて、一週間ほど経ったとき、
1)会社が 税務調査を受けるという一大事が起きたので調査に協力したのに、
それを元に処分を行うというのはダマシ討ちである。
2)処分は賞与の減額につながり、その総額を概算すると今回会社が
修正申告で追加納税をした額を上回る可能性がある。
3)法人税の修正申告としたとのことであるが、実態から言えば闇給与として
扱うべきで、所得税として修正申告すべきであった。そうすれば、かなりの
減額ができたはずなのに、国税局の言いなりになってしまった責を社員が
負うのは、おかしい。
4)そもそも、私のケースでは私が所有していた車を処分したものであって、
使用目的、売却価格から見て、譲渡所得税が発生するものではない。
きちんと調査をしていれば、課税対象外であったケースが多く含まれて
いたことが判明していたはずである。
上記のような内容で文章を書き、USB メモリに保存しておいて、イントラネットの
掲示板にアップしました。共有のパソコンは1台だけなので、長時間占有することは
できませんし、アップ自体を上司に阻止されてしまっては意味がないので、一分以内に
済ませることができるように準備しておいたのです。
実は、今回、どのような文面だったかを確認するため、保有する多くの HDD を
片っ端から探したものの見つかりませんでした。何でもかんでも保存しておく
タチなので、どこかにあると思ったのですがねぇ。だから、このときの発言ではなく
その後、会社との話し合いの中で述べたことも入っているかも知れません。逆に
書いたのに忘れてしまったこともあるでしょう。しかし、主旨としては、会社に対する
抗議であったことは間違いありません。もちろん、発言は実名で行いました。
全社員に公開状態での抗議文は、前代未聞で大騒ぎとなりました。
まず、電話をかけてきたのは組合の委員長。かつて、私の部下であったこともある男です。
彼としては、一番重い処分でも懲戒免職者が出なかったので、私にかき回して欲しくは
なかったのです。彼からの情報で、同様の税務調査を受けたディーラーは我が社だけでは
なくて、全国にいくつかあって、中には懲戒免職処分を受けた者がいるという情報を
得ていて(彼の表現によれば「死人が出る」)それだけは避けたいがために、あえて
大量処分に対して組合としては正面切っての抗議はしないと決定していたということ
でした。さらに、三日後くらいに委員長は、例のダマシ討ち調査をした相談役から
発言を削除させろと言われていると伝えて来たり、まあ、策士ではありませんでした。
私としては、かなりの覚悟を持って発言をしたので自ら取り消すようなことはしない。
しかし、委員長の立場も理解したので、次の行動を起こすときには、事前に通知くらいは
してもよい。というようなことを伝えました。このあとも、必要なときに連絡をして
情報交換を何度か行いました。
掲示板に書き込みをしてから、一週間ほど経ってからでしょうか。組合委員長から
「すみません。やはり、発言を削除させてください」と電話があり、私は黙認という
立場を取ることにしました。さらに一週間くらい経過したときに会社から処分を
受けた者全員に再調査を行うという発表がありました。ひとりずつ、本社の会議室で
専務と常務と書記の総務部員の三人の前で、言うなれば「私は無罪」と語る場が
与えられたということです。7~80名が対象ですから、全員の面接が完了したのは
11月の末くらいだったと思います。
12月の半ばに新たな処分が発表されました。前回の処分で訓告だった者は、ひとりを
除いて全員無罪。それ以上の処分を言い渡された者の中にも無罪となる者、処分が
軽くなった者が多くいて、結局、処分を受けた者は、10人を切っていたと記憶して
います。訓告だけだったのに、減給か何か処分が重くなった者は、面接で(言葉の
上でですが)大立ち回りを演じて心証を悪くしたようでした。これも委員長からの
情報。もちろん、懲戒免職者も出ませんでした。さらに、今回の処分は、次の賞与に
影響させないという異例の通知付きでした。
年末ギリギリだったか、年明け早々だったか忘れましたが、社長から私に
「会いたい」と連絡がありました。社長は私より5歳くらい若い三代目です。
抗議の声をあげた私に対して一応の敬意を払うことと社長としての立場の説明を
したかったようです。
社長「勤務時間内の取引だから」
私「所要時間で言えば、5分程度ですよ。勤務中に私用電話がかかってきて
それに出たら処分の対象というような会社にしたいですか?」
社長「私が、どうしても許せなかったのは解体業者に対して会社の名前を
使ったことです」
私「あくまで個人としての取引ですよ。解体業者は私の住所と氏名を
古物台帳に書くべきところを面倒くさいからか、あとでわかりやすい
ようにするためか、それはわかりませんが、住所の代わりに、どの会社の
所属と書いただけではありませんか?」
社長の表情が凍りました。やっと、誤爆の原因がわかったのでしょう。
広島国税局と同じ勘違いを社長も犯してしまっていたのです。周囲の誰も
わざわざ猫に鈴を付けないから間違いに気づくことができなかったのでした。
会社の名前を使おうが使うまいが、そのときの相場で売却価格は決まるのだ
という根本のところを知らなかったがゆえの間違いです。
会社に引き取りに来てもらったのは、わざわざではなく、会社が売却した
車を何台か引き取るついでがあったからです。
私「そもそも、賞罰委員会によって処分が決定されるんですよね。罰があれば
賞もなければ、賞罰委員会と呼べません。罰しなければならない者がいたら
罰しなければならないけれど、罰する者と同数か、それ以上の者を褒めたほうが
会社としては発展するんじゃないですか?」
社長との面会が終わりました。
毎年4月には決起大会といって全社員が集まる大会があるのですが、次の4月の大会で
今まで一度もなかったプライベートで人命救助的な善行を行った者の表彰がありました。
その次の年も続いたのかどうか私は知りません。8月には定年退職で会社を去りましたから。