初めて、自宅からインターネットに接続できたのは、1996年3月の
ことでした。そのときの様子は、ここに記しています。
25年前のことだったんですね。英語が堪能な方なら別でしょうけど
当時のインターネットは、情報を得る場としては、なんだかなあの
状態でした。ニュースグループという情報交換の場はあったのですが
なんだか、エラそうな物言いの方が多く、その割に得られる情報の
質は低いという「使えない」場でしかなかったのです。
パソコン通信という親切で温かい雰囲気の中で交流するのが
当たり前だったので、よけいにそのように感じたのかも知れません。
その後、個人が「ホームページ」を設けることがブームになり、
インターネット上の情報が質も量も飛躍的に向上していきました。
一方でパソコン通信は、次第に閑古鳥が鳴き出して、ついには
廃止に追い込まれてしまいました。
こんなことを書いてると次々といろんなことを思い出して収拾がつかなく
なってしまいそうです。インターネットが情報ツールとして劇的に
化けたのは検索サイトができたことですかね。当時は、断然、Infoseek
でした。インターネットの大きな海の中から、たった一粒の砂を探すことが
できるというのは、完全にコペ転なんですが、あの頃って何から何まで
コペ転だらけで、識閾下の出来事だったかも知れません。
インターネット人口は、どんどん増えていきましたが、少なくとも
パソコンとネット環境が必要なので社会全体とは異なる生態分布で
パソコンに詳しい人とパソコンに関する悩みを抱えた人の人口比率が
世間の何倍とか数十倍といった濃度になっていて、さらに、検索サイトを
通じて需要と供給をマッチングさせることができるわけですから
パソコンに関する Q&A は、どんどん、インターネット内に蓄積されて
いきました。もうひとつ欠かせないツールとして、各Webサイトに設けられた
掲示板も、情報蓄積の一翼を担ったと思います。そこへ登場した 2ちゃんねるは
社会の各所に、さまざまな影響を与え、ネット社会の到来が何をもたらすかを
多くの人に知らしめたという点で特異な存在であったと思います。
こうしてインターネットが発展してくると、パソコン関係の情報は、すべて
ネット上に存在すると言い切ることができる時代を迎えました。他の分野に
ついても、ほぼ、同様ですがパソコン関係が最初に到達したと思ってます。
しかも、プロからマニアまで総動員で、ありとあらゆる事象についての
情報が蓄積されていきました。
ご近所サポートに出かけるとき、スマホひとつ持って行けば、どんなトラブルが
起きていても必ず解決方法がヒットします。必ずあるのだから、探せばいいだけ
なんです。
検索したとき、知恵袋などの教えて掲示板は、一切参考にしません。できるだけ、
プロが署名付きで書いてる記事を探し、見つからないときには個人のブログも
参照します。起きているトラブルを表す専門用語がわからないときには、まず、
その事象を表す専門用語から探します。それが見つからなければ、そのトラブルに
ついての記事に必ず使われるであろう専門用語を検索語にして探していきます。
ハードが絡んでいるトラブルのほうは、もっと、簡単です。ノートパソコンの
トラブルといえば、HDD とメモリしかないんです。昔は、バックライトが
切れた時の冷陰極蛍光管の交換というのもありましたが、LED に代わったので
完全になくなりました。いやいや、ノートパソコンのハードトラブルは他にも
あるゾとお考えでしょう。おっしゃるとおりですが、部品が入手できないものは
直しようがないんです。私にできることは、修理見積もりをとってみるべきか、
あきらめて次のパソコンを買うべきかという判断材料を示すことだけです。
デスクトップの場合は、これに電源が加わります。でも、電源を交換する場合って、
自作パソコンくらいですよね。市販のデスクトップは、電池が使われていないだけで
ノートパソコン同様交換不能というものが多いんです。
周辺機器のトラブルはあります。プリンターは比較的要請が多いかな。年賀状の
季節に集中します。ネットトラブルはハードの問題は意外と少なくて設定ミスが、
ほとんどなので直ります。ただし、最近は、家族全員がスマホを使うというケースが
増えてネット回線そのものを替えてもらうしかないといった事例もありました。
おはよおうございます。
当時私はアメリカにいて、会社ではネットワークに繋がったパソコンが1人一台有りましたが、OSはWindows3.1で自宅から気軽にインターネットに接続するなんてものではなく、Windows95が出てからインターネットが急激に普及した記憶があります。
私も英語版のWindows95PCを買って日本語化したり、子ども用にパソコンを組んでそれを家の中でLANで繋いで遊んでいましたが、インターネットは14.4Kbpsのアナログモデルで、すこしすると28.8Kになりその後56.6Kなんていうのが出て来て「おーすげー」なんて思っていました。
私の勤めていた会社がネットワークに繋がったパソコンが1人一台の
環境になったのが、いつ頃なのか、当時の記憶には、あいまいなことが
多くてわかりません。しかし、2000年問題の対応策を考えて社内に
通知を出したりしたので、少なくとも、1999年の年末までには、
イントラネットを構築して運用を開始していたはずです。ということは
いろいろ逆算して、少なくとも1998年には本部は1人一台環境に
なっていたと考えるべきかなと。この時代のことを考える場合、
年単位では網の目が大きすぎて、少なくとも月単位で考えなければ
流れを掴むことができないくらい予想を超えたスピードで事が進んで
ました。
ネット環境は、テレホーダイには加入していたはずですが、ISDN に
したのがいつだったか、ちょっと調べただけではわかりません。
2回線使用はしませんでしたが、 最大64kbps でも、テレホーダイで
23時から翌日1時頃まではネットの渋滞で非常に繋がりにくい
状態でした。(ISDN を入れる前は、私んちは、何度電話をかけても
話し中だという苦情が女房に寄せられてました。そこで、2回線のうち
1本は電話専用にしました)あまりに繋がりにくいものですから、
島根とか徳島とか仙台など回線がすいていそうなアクセスポイントを
探し回り、高額の市外通話料金を請求されて女房にこっぴどく
叱られたりしてました。