宮城谷昌光の三国志は、ただいま第六巻の終わりあたりを読んでまして
もうすぐ全十二巻の折り返しです。第六巻は私が宮城谷昌光著作を読む
31冊目で、すでに買ってあるけど読んでない本が、あと20冊あります。
赤壁の章は単行本第六巻の235ページから始まり、257ページあたりから
孫軍に有利な風向きに変わり、いよいよ戦いがスタートするのですが、
このとき、劉備と諸葛亮は
黄色い線のコースをゆっくりと進軍し、赤壁の戦いが行われた場所から 100km離れた
夏口(現在の武漢市)あたりでとどまっていたというのです。赤壁の戦いに加わらなかった
ばかりか、敗走する曹操軍を追撃すれば確実に仕留めることができたに違いないという
チャンスを逃したというのです。曹操軍が敗走したのは雲夢沢(うんぼうたく)という広大な
湿地で泥と密林が行く手を阻んで、まともには進めない道でした。軽兵に放火させれば
おりからの烈風にあおられて草木は灰になり泥と水が曹操軍の退路を断ったはずでした。
曹操軍は、実際に草を厚く敷いて道を造り馬を進ませたのでした。
戦いに参加しないばかりか曹操を屠るチャンスを逃してしまった劉備と諸葛亮。
吉川三国志とレッドクリフは、何だったんだっ!
二十隻の船に積んだ藁人形に敵の矢を
受けさせ、またたくまに十万本の矢を集めた話は
どうなった! 七星檀で祈り、東南の風を吹かせ
たんじゃなかったんかいっ!