菅浦にまつわるエピソードの8割を教えてくれたおばさんが塩津海道という
宿場町があり、うだつが上がった立派な家が今もあると教えてくれました。
その場所は、前の晩に泊まった道の駅のすぐ近くで、かなりの距離を引き返す
ことになるので、正直、気が進まなかったのですが、おばさんの菅浦愛を
裏付けにしたオススメの町に「じゃあ行ってみよう」と思ったのです。
ちなみに、菅浦 vs 大浦戦争の際、塩津は菅浦に合力したようです。
お稲荷さんの手前にも民家はあったのですが、例の《ちょっとおたずね》をしてみると
このあたりが古くからの宿場町だったという認識が薄そうでした。
カッコいい家があると、ついつい写真を撮りながら進むと
おお。これぞ海道の入り口!というかのような橋に出くわしました。
↑↑↑ うだつが上がった家もあります。この家の向かいが和菓子屋さんで
「くさもち」の文字が見えたので寄ってみました。残念ながら草餅は売り切れで
他の餅類もすべて売り切れ。栗まんじゅうが、たった一個残っていたので、
買った……あ。車に財布を置いてきてた……車は道の駅 塩津海道 あぢかまの里に
駐めてきたのです……あっ!そうだ。スマホケースに五千円札を入れておいたのだ。
150円の栗まんじゅうを一個だけ買って、お釣りを入れるものを持ってなかったので
あつかましくも封筒を一枚もらってしまいました。
店番は、この和菓子店の娘さんかな?うだつの上がってる家はどこにあるかを
尋ねると、お向かいさんもそうですが、公会堂の近くに庄屋さんの立派な家が
あります。と教えてもらいました。
まんじゅうを食べながら(大変においしゅうございました)海道散策を続行です。
元塩津郵便局舎。1968年まで約半世紀にわたって郵便電信業務を扱っていた。
屋号 沢屋。江戸期は造り酒屋で表通りに面した文庫蔵には当家の記録類が保管されている。
湖上水運が最盛期の頃は物資問屋と荷主の宿屋も行っていた。明治~大正期には郵便業務を
担っていた時期もある。
沢屋さんの軒先に不思議な飾り物が、ぶらさがっていたので、これは何のためのものか
雨戸のあたりを直していらっしゃる方がおられたので聞いてみました。
けげんそうに軒先に回ってくださって、私が指さした蛙がぶら下がった飾りを
見ると同時に「これは!」と笑い出されました。旅先かどこかで買ったもので
意味というようなものはないとのことでした。その話をきっかけに物資問屋として
栄えていた頃の思い出を語っていただけました。当時は今の国道8号線は
もちろんのこと沢屋さんの裏まで湖の入り江になっていて丸子船が直接
横付けされていたそうで、子供の頃に現役の丸子船を見たことがあるそうです。
丸子船の実物は道の駅に展示されていて、めちゃくちゃカッコいいです。
話を伺ったのは、沢屋さんの当主で御年88歳だそうなので丸子船の実物を
見たのは戦時中ぐらいということになります。積荷は薪だったそうです。
常夜灯に明かりがともる頃まで、塩津海道を堪能させていただきました。