藤吉久美子が路線バスに……アノ騒動その後

今日のTV番組欄を見てのけぞりました。

TV朝日よ。下劣すぎる。たぶん、本人に「真相を激白できる絶好の

機会ですよ」などと言って釣ったのでしょうが、それって「あの女優も

あのアイドルも、みーんな、身体を張ってのしあがったんだよ」

「プロフィール写真を撮るのに、どれだけかかったと思うの?返すこと

できるの?親にも迷惑かけるよね?」「今日、撮影ってことで、カメラマンに

ヘアメイクにスタイリストにメイクアップアーティストに、その他どれだけの

スタッフが集まってるかわかっててそんなワガママ言うわけ?」「こっちは、

契約だけあれば損害賠償請求できるけど、ちゃんと20歳の誕生日を

迎えるまで待って、赤字覚悟のソフト路線で今日まで育ててきたわけよ。

それを子供みたいにイヤだからって、それはあまりに大人としての責任が

なさすぎと思わない?」

などとAV強要するのとどこが違うの?

嫌なタイトルを見てしまいました。伊藤詩織さんの報道をした数少ない

マスコミということで買ってたのに台無しどころか返品じゃ-!

J計画 アイドリングストップキャンセル自作続き

本来は、A接点に接続すべきではなかったのかの疑惑に応えるため、

付け替えてみることにしました。

↓↓↓ を外すために

まずは、

↑↑↑ のコネクタを外しました。

コネクタの位置は矢印の裏側です。真下から覗くとよく見えます。両横を

つまむようにすると割と簡単に外すことが出来ます。このコネクタは

調べたわけじゃないけど、おそらく車載コンピュータに接続するための

ものだと思います。だとするととても重要なコネクタということに

なります。無理に引っ張って接続不良や断線させると大変です。

↑↑↑ ツメの数が多いので、かなりの力が必要でした。

自作リレーは厳重にビニールテープを巻いておいたので外すのに

ちょっとだけ手間取りました。

↑↑↑ B接点からA接点に付け替えました。

さっそく取り付けてエンジンをかけてみると、

が消えるだけで

は点灯しません。B接点に接続したときとの違いは、エンジンをかけずに

一度ONの状態にしてから始動した場合も同じように

が消えるだけです。

うーん。むしろ、B接点に接続したままのほうがマシだった?

だんだん、頭が煮えてきました。

eco IDLE OFF スイッチの ON OFF は、

ということになりますかね。エンジンをかけずに一旦 ON の状態にしてから

エンジンを始動した場合は

となりますから、B接点に接続したときには手動で eco IDLE OFF スイッチを

ON したときと同じ状態になるので

↑↑↑ が点灯したのでしょう。

「エンジンをかけずにON」ではなく、ACC 状態 → エンジン始動 → 走行でも

ちゃんとアイドリングストップキャンセルのインジケーターは

表示されるんでしょうね。うーん。こうなると元のB接点に戻したほうが

いいような気もしてきました。でも、A接点のままでもアイドリングストップ

キャンセルはできているような気がします。そのときには、走行中

ずーっと、eco IDLE OFF スイッチを押したまま指を離さない状態って

ことになるんでしょうけどね。

やっぱ、B接点に戻したほうがいいかな?ところで、いずれにしても

リレーのコイル部分には走行中電気が流れっぱなしってことになると

思うんですけど、リレーの寿命とか発熱とか問題はないんでしょうか。

どうも電気の世界は目に見えないので苦手です。

4月4日追記:


結局、B接点に戻して接続しました。3週間あまり経た今日、市役所まで

出かけたので走行テストできました。結果は、エンジンをかけると予想通り

 ←アイドリングストップインジケーターが

消えて、信号待ちや渋滞時中もアイドリングストップしませんでした。

成功……としておきましょう。

それはよいのですが、スマアシII の「車線を踏んだゾ警告」の

ピピピ音が鳴りません。その他の機能は街中運転では試しようが

ありませんでした。

今は後部荷台付近をバラした状態なので、できるだけ原状復帰できた

時点で動作確認のため入庫してみる必要がありそうです。

 

J計画 アイドリングストップキャンセル自作

アイドリングストップって、バッテリーやセルモーターに負担をかける

わけで期待される燃費向上や排気ガス削減に見合うのならガマンしても

いいけど、たぶん、排ガス規制か何かをクリアするためだけの方便だろうし、

排ガス規制そのものも温室効果ガス排出量削減か何かの方便と思えて

しまうんですよね。

主にメルヘン殺伐「アイドリングストップ常時オフリレー取り付け」

記事を参考に(実は丸呑み)エンジンをかけるとアイドリングストップを

キャンセルできるリレーを組み込みました。

パーツ屋で部品を買ってきました。ネットで買うより高めの値段ですが

送料とか振り込み手数料などがかかりませんからね。細かく言えば、

お店までの往復のガソリン代が3~400円かかりますからビミョーに

なっていきますけど。基板のICB-288 が 90円(税別)、スミチューブは

280円(税別)でした。

メルヘン殺伐」から引用

配線図に従って基板にリレーとダイオードを挿して

配線を繋ぎます。

きたないハンダ付けでゴメンナサイ。

↑↑↑ んな感じになります。スミチューブで固めて ↓↓↓

このリレーを eco IDLE OFF スイッチに結線します。

リレーの黄色い線をスイッチの空色のコードに、紺色の線は紫色のコードに

それぞれ割り込ませて、赤色の線は ACC に繋いで黒色の線はアースに

繋ぎます。

eco IDLE OFF スイッチの配線は非常に細いので、普通の電工ペンチではなく

細線用の電工ペンチが必要です。今回、買いました。

思ったほど作業は難しくありませんでしたが、間違えて空色の線ではなく

青色の線を切断してしまったので余分な作業をしてしまいました(苦笑)

ACC は、アクセサリーボックスから取りました。

実は、↑↑↑ の画像。よく見ると ↓↓↓

A、B 2本の ACC 電源を取ってます。ついでにドライブレコーダーを

取り付けたので、そのための電源です。

eco IDLE OFF スイッチの取り外し方ですが、

運転席用のカップホルダーは、ちょっときついんですけど上に抜くことが

できます。まず、二つのオレンジ色のツメを外しておいてから残り三つの

ツメを外します。カップホルダーのところから手が入るので中から

オレンジ色のツメを押してやると外しやすいです。

あ。でも、その前に ↓↓↓ は外しておかねばなりません。

これを外したのは去年のことなのでハッキリとは憶えていませんが

そんなに苦労せずに外すことができたと記憶しています。

アースは、すぐ近くの ↓↓↓ から取りました。

ここからアースを取るならリレー作った時にアース線にギボシ付ける必要は

ありませんでした。裸線をグルグルッと巻き付ければいいだけですから。

ところでアースの取り付け場所のナットのスパナ径は13です。ちょっと

ビックリしました。というのはトヨタ車ではスパナ径13というボルトや

ナットに出会ったことはありません。軽四の中身を見るのは初めてなので

いろいろ驚くことがありますねぇ。トヨタ車では、M8 のスパナ径は12です。

そんなことはさておき、組立完了後テストしてみました。

エンジンをかけてみると、

が消えるだけで

は点灯しませんでした。あれっ?

ただし、すぐにエンジンをかけずに、一度ONの状態にしてから始動すると

が点灯します。狭いガレージの中なので排気ガスが充満するため何度も

エンジンをかけて試すことができません。それに車内は

↑↑↑ という状態なので屋外で試すこともできません。

でも、この結果から、これはひょっとすると eco IDLE OFF スイッチの

空色のコードは、B接点じゃなくて A接点に繋ぐべきじゃなかったのかと

思えてきました。というのはリレーによるアイドリングストップ

キャンセルの仕組みはセルモーターを回したときに ACC電源が

OFF になることを利用したもの。だったら、通常は OFF 状態になる

ハイゼット キャディの eco IDLE OFF スイッチをキャンセルさせるためには

セルモーターを回したときに ON にさせる……つまり、空色のコードは

A接点に繋がねばなりませんよね?

 

J計画 12月

J計画の次なるステップに進むためにジンちゃんのお泊まりセットを

床の間に飾りました(どうせ床の間なんて使ってないし他に適当な

収納場所がなかった)

目指すは、

車内を空っぽにすること。簡単そーに見えません?でも……

まずは、運転席と助手席を取り外しました。

右側が運転席、左側が助手席です。それぞれ、4本のボルトで

留まっているだけなので、甘く見てました。固定するための

8本のボルトすべてにカバーがついてます。このカバーが

固いので無理に力を加えたら8個のうち2個を破損させてしまい

ました。

正常なものは、↑↑↑ のような形状をしてますが、

青色円のところには、正常なものと同様の白いクリップが

セットされますが、ハズした状態です。

オレンジの円内の台座から、赤色の楕円内の棒状部分が

ポキンと折れてしまいました。

そんなに高い部品ではないはずなので購入してもいいのですが、

この棒状部分はガイドの役割しかしてないので修理しました。

強力なエポキシ系の接着剤を使用しました。二液タイプなので

工具箱の奥に長年しまっておいたものなのに使用できるところが

良いところ。おまけに、A液はコニシのもの、B液はセメダインの

ものなのに、ちゃんと使えたんですからスゴイ!B液なんて、

おそらく30年モノくらいだと思います。A液は15年モノ?

↑↑↑ ちゃんと直りました(ピンボケごめんなさい)。

他にも、クリップの台座部分が割れたものもありましたが、

セメダイン・コニシ接着剤のおかげで復活しました。

とはいえ、壊れないに越したことはないので、

矢印方向へトントンとやさしく叩いてやると、安全に外れます。

座席外しのあと、Bピラーのカバーの取り外しも行いましたが

上半分のカバーを外すときにクリップの台座を割ってしまいました。

もちろん、接着剤で修復できたのですが、壊さないためには、

外し方のコツがあります。

周りがゴチャゴチャしていて、ちょっと見にくいのですが ↑↑↑ が左右の

Bピラーです。手前が下側です。まずピラーの上側を室内方向に引いて

上側のクリップを外し、上向きにずらすように持ち上げてやると下側の

クリップも外れます。そのとき、クリップは ↓↓↓ 柱側に残りますが、

クリップの受け部分が割れるよりは、相当にマシです。

インパネ系で外すのに一番苦労したのは、エアコンの吹き出し口選択と

風量調整のための二つのダイヤル式のつまみでした。手前に引っ張れば

外れる構造ですが、指でつまんで外すには、たぶん、かなりの怪力が

必要だと思います。

外すコツとしては、↓↓↓ のようにつまみ部分をマスキングテープなどで

養生してプライヤーでつまんで抜くと、あっけなく外れます。

あとは、カーペットを外すためにドアまわりの押さえやスペアタイヤ、

最後部のカバー類を外していくわけですが、

↑↑↑ んな感じのリムーバーがあれば、さほど苦労しなくても外すことが

できると思います。それと、いまさらですが、ラチェットハンドルタイプの

ソケットレンチセットは必須ですね。作業効率があがるだけではなく

ボルトの頭をなめたりしないためにも揃えましょう。ソケットは、

6角タイプよりも12角タイプのほうが使い勝手がいいと思います。

↓↓↓ が取り外したカーペットです。

取り付けに必要なクリップ類はビニール袋に入れて、くくりつけておりまする。

フロアが全部露出できて冒頭2枚目の写真状態になったのが、12月の7日。

年末の残りの日々は、床に断熱材を塗って過ごしました。

またまた、ごぶさたでした。

20日ほど前に仮復旧させたサーバーですが、いくつもの謎を

含んでおり、それらの解決に四苦八苦していた 20日間でも

ありました。

最大の謎は、論理ボリュームに対して何かをしようとすると

決まって現れる

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.

でした。これが現れると何にもできないのです。何にも。

この UUID の先には’/dev/vg_server90/lvol0′ [1.82 TiB] という

論理ボリュームが繋がっていました。「いました」と過去形なのは

どうにかこれを繋ごうと努力してるうちに、TestDiskの使い方を

間違えて吹っ飛ばしてしまったのです(涙)

元々、この論理ボリュームをマウントさせようとした時にも

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.

が、邪魔したんですっ!たぶん……

ともあれ、実体がなくなったので消すしかありません。

これがあると、LVM サイズ変更なんかもできませんから。

いろいろ、検索して試してみては、失敗してバックアップの

戻しをして、また、いろいろやって、失敗して……の繰り返し

でした。この20日間。

ところが、ついに検索し当てたのです。

Linux: LVM 論理ボリュームマネージャの情報が消えないとき

「これらのLVMに関する情報はどこに保存されているのか?
(中略)
どうやら,ディスクドライブの先頭からベタに書いてあるようです.」

このページに書いてある通りに

# dd if=/dev/random of=/dev/sda count=1024
0+1024 records in
17+1 records out
8750 bytes (8.8 kB) copied, 7800.73 seconds, 0.0 kB/s

先頭から 8750 bytes(?)を乱数で埋めました。

このあと、乱数で埋めた HDD1 に Centos6 を新規インストールして

仮復旧できてる HDD2 の sda2 を丸ごとコピーしれば、LVMに

関する情報を消去した HDD ができるはず……なのに、

間違えて HDD2 に Centos6 を新規インストールしてしまいました(涙)

泣いてても仕方がないので、元の sda2 のデータが残ってる HDD1から

HDD2 にバックアップの戻しをすることにしました。

HDD2 と HDD1のホスト名が同じだとそれぞれを

マウントさせることができないので、 HDD2 を別のホスト名で

Centos6 の新規インストールし直しました……つもりが、

あろうことか 間違って HDD1にインストールしちまっただよう(号泣)

要するに、せっかく仮復旧した HDD と、それを丸ごとコピーした

HDD の両方に Centos6 を新規インストールしてしまったということです。

泣けますよね。まあ、こういうこともあるだろうと元々の PATA の

クローンである HDD0 はとっておいたので、こうして復旧できて

いるわけですが、最初っからやり直しになりましたから堪えました。

話が横に思いっきりそれてしまいましたが、先頭を乱数で埋めた

HDD1 を仮復旧させたものと、それをコピーした HDD2 ができました。

以前なら、HDD2を繋げば、そのまま起動できていたのに read-only

なってしまいました。でも、こうなるほうが自然っていうか、

謎が少ないんですね。HDD1もHDD2も、まったく同じ fstab で

起動できるということは、

UUID=21d2512b-b978-45f3-92e6-0cc1bfe1e324 /boot ext4 defaults 1 2

の行が同じ。すなわち、HDD1の sda1 と HDD2の sda1 が

同じ UUID ってことになりますよね。それにも関わらず起動したのは

理屈はわからないんですけど HDD の先頭からベタに書き込まれた

情報が関係してたと考えるほうが……ねっ!自然でしょ?

他にも、先頭に情報が残ったままの HDD では、オンボードの NIC に

どうしてもネットワーク接続できなかったことも、おそらく

同じ理由だと思います。

# lvscan

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.
ACTIVE ‘/dev/vg_server90/lv_root’ [50.00 GiB] inherit
ACTIVE ‘/dev/vg_server90/lv_home’ [411.36 GiB] inherit
ACTIVE ‘/dev/vg_server90/lv_swap’ [3.91 GiB] inherit
inactive ‘/dev/vg_server90/lvol0’ [1.82 TiB] inherit

# lvremove /dev/vg_server90/lvol0

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.
Logical volume “lvol0” successfully removed

先頭の情報を消しても、Couldn’t find device with uuid Tmw81h-……は

出ますが、論理ボリュームを消すことはできたようです。しかし、

このエラーが出ると、どうしてもできなかったのが、物理ボリュームの

亡霊を消すことでした。しかし、

# vgreduce –removemissing vg_server90

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.
Wrote out consistent volume group vg_server90

と、エラーは出ても、

# pvdisplay

Couldn’t find device with uuid Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D.
— Physical volume —
PV Name /dev/sda2
VG Name vg_server90
PV Size 465.27 GiB / not usable 3.00 MiB
Allocatable yes (but full)
PE Size 4.00 MiB
Total PE 119109
Free PE 0
Allocated PE 119109
PV UUID 0wag5X-JPia-ydq6-130G-hoAU-FA8J-F79wGt

— Physical volume —
PV Name unknown device
VG Name vg_server90
PV Size 1.82 TiB / not usable 2.56 MiB
Allocatable yes
PE Size 4.00 MiB
Total PE 476931
Free PE 476931
Allocated PE 0
PV UUID Tmw81h-BcM1-1uZO-1kKs-oxQS-9tGk-L2RZ1D

↓↓↓

# pvdisplay

— Physical volume —
PV Name /dev/sda2
VG Name vg_server90
PV Size 465.27 GiB / not usable 3.00 MiB
Allocatable yes (but full)
PE Size 4.00 MiB
Total PE 119109
Free PE 0
Allocated PE 119109
PV UUID 0wag5X-JPia-ydq6-130G-hoAU-FA8J-F79wGt

あれほど悩ましかった /dev/vg_server90/lvol0 がついに消滅しました。

続いて、先頭情報があったときには、どうやってもできなかったのが

LVM サイズの変更でしたが、

# fsck.ext4 -f /dev/vg_server90/lv_home

e2fsck 1.41.12 (17-May-2010)
Pass 1: Checking inodes, blocks, and sizes
Pass 2: Checking directory structure
Pass 3: Checking directory connectivity
Pass 4: Checking reference counts
Pass 5: Checking group summary information
/dev/vg_server90/lv_home: 39/26959872 files (0.0% non-contiguous), 1742834/107836416 blocks

# resize2fs /dev/vg_server90/lv_home 27.16G

resize2fs 1.41.12 (17-May-2010)
resize2fs: Invalid new size: 27.16G

どうやら、整数指定しないとダメみたいです。

# resize2fs /dev/vg_server90/lv_home 27G

resize2fs 1.41.12 (17-May-2010)
Resizing the filesystem on /dev/vg_server90/lv_home to 7077888 (4k) blocks.
The filesystem on /dev/vg_server90/lv_home is now 7077888 blocks long.

# lvreduce -L 27G /dev/mapper/vg_server90-lv_home

WARNING: Reducing active logical volume to 27.00 GiB.
THIS MAY DESTROY YOUR DATA (filesystem etc.)
Do you really want to reduce vg_server90/lv_home? [y/n]: y
Size of logical volume vg_server90/lv_home changed from 411.36 GiB (105309 extents) to 27.00 GiB (6912 extents).
Logical volume lv_home successfully resized.

# lvextend -l +100%FREE /dev/mapper/vg_server90-lv_root

Size of logical volume vg_server90/lv_root changed from 50.00 GiB (12800 extents) to 434.36 GiB (111197 extents).
Logical volume lv_root successfully resized.

# resize2fs /dev/mapper/vg_server90-lv_root

resize2fs 1.41.12 (17-May-2010)
Filesystem at /dev/mapper/vg_server90-lv_root is mounted on /; on-line resizing required
old desc_blocks = 4, new_desc_blocks = 28
Performing an on-line resize of /dev/mapper/vg_server90-lv_root to 113865728 (4k) blocks.
The filesystem on /dev/mapper/vg_server90-lv_root is now 113865728 blocks long.

最後の vg_server90-lv_root のファイルシステムのサイズ変更は

40分くらいの時間がかかりました。でも、おかげで

と、このブログを格納している root の使用率が 47% だったものが

LMV のサイズを 50 GB から 434.36 GB 拡大できたために、6% に

下がりました。これで、当面は容量不足に悩まされずに済むでしょう。

2週間のごぶさたでした。

さんざんな年明けでした。

おまけに、このドコライフがある鯖が、ぶっ飛んでしまい、

その復旧に悩まされ続けた年明けでもあります。

最初は、いずれは寿命を迎える HDD のバックアップを

作っておいて、いざというときに備えておこうという

平和なものだったんです。

ところが、元の Centos6 起動ドライブが今は懐かしい

PATA だったので、これを丸ごとコピーしたSATA では、

起動しないだけではなく、Centos6 のインストールDVDにある

Rescue installed system で無理矢理起動させようにも

You don’t have any Linux parthisyon. Press
return to get a shell. The system will reboot
automatically when you exist from the shell.

となって前に進めません。

うーん。PATA から SATA にコピーするから起動できないんだ。

PATA から PATA にコピーしたら正常に起動するかも……と

思っちゃったんですね。(このときは直感でしかなかったの

ですが、最終的に、このカンは当たってたことがわかりました)

ところが、いくら物持ちがいい私でも、PATA をいくつも

持ってません。起動ドライブは 500GB でした。使えそうなのは、

不良セクタがあって 1.7GB くらい実容量が足りない 500GB の

PATA だけでした。

起動ドライブの sda2 は、論理ボリュームになってます。

今回、この論理ボリュームには、とことん、苦しめられるんですが、

このときは、起動ドライブの論理ボリュームを縮小させて

どうにか、1.7GB くらい容量が足りない PATA に丸ごと

コピーしようとしたのです。しかし、あえなく失敗。

そうこうしてるうちに肝心の起動ドライブが初期化さえ

できないほどに壊れてしまいました。

そこからが地獄の毎日。試行錯誤で思いつく限りの

方法を試していきました。でも試すたびに 500GB を

EaseUS Todo Backup でクローンするのですが、時間が

かかって仕方がありません。最終的にたどりついた方法は、

まず、SATA に Centos6 をインストールします。sda1 は

そのままに、元の起動ドライブのクローンの sda2 を

上書きします。まあ、木に竹を接いだ状態ながら、これが

起動できるんです。ただし、sda2 が Read-Only になるので

# mount -o remount,rw /dev/mapper/vg_ホスト名-lv_root

で再マウントさせると書き込みができるようにして

/etc/fstab の /boot の UUID を正しいものに書き換えます。

こうすると、木に竹SATA は見かけ上、正常に起動できる

ようになります。しかし、ネットワークの設定をして

# /etc/rc.d/init.d/network restart

再起動させると、

Shutting down loopback interface: [ OK ]
FATAL:Could not load /lib/modules/2.6.32-696.e16.x86_64/modules.dep: No such file or directory
Bringing up loopback interface: [ OK ]
Bringing up interface eth0: Dvice eth0 does not seem tobe present,delaying initialization.
[FAILED]
FATAL:Could not load /lib/modules/2.6.32-696.e16.x86_64/modules.dep: No such file or directory

実は、このときには、Centos6 の64ビット版がインストール

されているとばかり思っていたのです。だって、サーバー機の

CPU は 64 ビットですから。

その後、/lib/modules の中を見ることができるようになり、

# ls -l /mnt/lib/modules
合計 20
drwxr-xr-x. 7 root root 4096 9月 14 03:54 2017 2.6.32-696.10.2.el6.i686
drwxr-xr-x. 7 root root 4096 9月 29 03:32 2017 2.6.32-696.10.3.el6.i686
drwxr-xr-x. 7 root root 4096 10月 8 04:47 2017 2.6.32-696.13.2.el6.i686
drwxr-xr-x. 7 root root 4096 11月 17 03:48 2017 2.6.32-696.16.1.el6.i686
drwxr-xr-x. 7 root root 4096 1月 6 04:26 2018 2.6.32-696.18.7.el6.i686

だとわかり、32ビット版であることを確信するのですが、

この中に、2.6.32-696.el6.i686 というディレクトリは

ありません。そこで、sda1 の中身を書き換えたり、GRUB の

設定を変えたり、2.6.32-696.18.7.el6.i686 をリネームしたり

しましたが、いずれも失敗。

そして、今朝の未明に

新規インストールした 32ビット版 Centos6 に修復中の SATAを

USB接続してマウントして、新規インストール側から修復中

SATAへ /lib/modules /2.6.32-696.18.7.el6.i686 を

# cp -r /lib/modules/2.6.32-696.el6.i686 /mnt/lib/modules/2.6.32-696.el6.i686

コピーしました。そして、ついに仮復旧できたのです。

最後に、仮復旧できた SATA のクローンを作って起動させて

みました。てっきり、Read-Only になって、再マウントが

必要になると思いましたが、スルスルっと立ち上がって、

ネットワークもhttpd も問題なし。あれっ?っていう感じです。

自動的に fstab を書き換えてくれた?謎でしたが、あとで

クローン元とクローン先の fstab を比べてみたら、まったく

同じ(当然と言えば当然ですけど)

同じ SATAコネクタに繋げば、HDD を替えても同じ UUID に

なるということでしょうか?それなら、PATAからPATAへ

コピーできていたら、同じ IDE コネクタのスレーブなら

スレーブに繋ぐわけですから、同じ UUID になって、

何もしなくても、そのまま起動できたってことですよね?

最後まで、UUID の概念がよくわかっていない私でした。

結局、2週間にもわたって鯖を止めてしまい、塗炭の苦しみの

中で復旧作業をした割には、レアなケースで今回の経験から

得た知識なりテクニックは、あまり他の方の役に立つ物は

なかったということでしょうかね。むろん、私自身も

理解できていないので役立たせることが難しいし、ほぼ、

8割がたは忘れてしまってるし……

クライマックスの論理ボリュームをマウントさせるところ

なんかも、google 先生の言うとおりに進めていたら、

その通りにならないので、あせりましたがマウントできて

いました???ひょっとして、自動マウント?

起動ディスクに PATA を使ってる人は少ないのでしょうけど

Centos6 を使ってる人も少なくなってきているのでしょう。

サーバーがこけてた期間中「メンテナンス中です。」と

告知させてたサーバーなんて、Centos5 ですからね。

ググっても、ほとんど情報がありません。

14日ぶんですから愚痴は、まだまだありますが、WordPress の

バックアップについての研究に取りかかるためのモチベーションを

どうやって上げるかというのが次の課題でしょう。

仙仁温泉

もう20年以上前の話ですけど、信州方面を放浪してるときに夕刻に仙仁温泉の前を

通りかかりました。当時は、道路添いの塀はなくて駐車場に直接乗り入れることが

できました。

すぐに宿のスタッフが門から迎えに出てきました。

「今夜、空きがあります?」

と、私が訊くとスタッフはフッっと笑って(そのように見えたか感じた!)

「いえ、あいにく満室でございます。」

と答えました。あとで調べてみると、当時は、二年先とか三年先でも予約がとれるか

どうかわからない宿だと知りました。そのとき、「いつかは、泊まってやる~っ!」と

決意したのですが、二年後だろうが三年後だろうが、空室があれば即予約するためには

私も女房も退職してないと無理だと思ったものですから女房が退職するまで待って、

さらに半年ほど退職後の生活パターンが安定するのを待ちました。昨年の11月に

仙仁温泉に電話して訊ねると、毎月1日から、11ヶ月後の予約を受け付けるシステムに

なっていると教えられました。つまり、翌年の11月の予約を12月1日から受け付けて

予約が埋まり次第終了。翌12月の予約受付は、1月になってからということに

なります。

昨年の12月1日に、私は予約開始の時刻(a.m. 8:00 からだったと思う)から、ずっと

10:00頃まで、話し中→再発信→話し中→再発信→話し中……を延々と続けて

やっと繋がった電話で予約をとりました。この方法以外で予約を取るには、

電話をかけたときに、たまたま、キャンセルが出てないと取れないということになります。

こうして予約が取れた11月7日を目指して、ジンちゃんの改造に取り組んだ様子は

J計画に書きましたが、11月5日 a.m. 2:30 頃、口を開けて寝ていても

通りがかりの人に見られずに済むカーテンと足が伸びてラクラク寝返りを

打つことができるベッドをなんとか用意できました。

11月5日 p.m. 0:30 頃、出発。買い物や給油を済ませて高速に乗り、三木小野SAを

p.m. 3:00 頃(意外とめんどくさいので以後24時間表記に変更)に通過。途中、

西宮名塩でトイレ休憩をして草津PA着が、17:30 給油所が混んでて、出発が

18:00 でした。三木小野SA-草津PA間は、100km ちょっとしかありませんから、

通常の2倍くらい時間がかかってます。これは、神戸JCTの渋滞で車線選択を

誤ったせいです。

新名神の亀山JCT前のトンネル内事故による渋滞のせいもあって、

東海環状道の鞍ヶ池ハイウェイオアシスに到着したのは、22:00 過ぎ。

ジンちゃん最初の車泊地は、ここに決定。初めての車泊仕様セッティングには、

30分以上かかったと思います。

翌日の宿泊地は、小布施ハイウェイオアシスでした。11月7日は別所温泉で

観光と十数年前に食べておいしくてもう一度食べたかった釜飯を食べて

仙仁温泉にチェックインしたのは、16:00頃でした。(草津PAから、ここまでの

説明が、省略が多いというか、おざなり?なのは、このままでは、タイトルの内容に

合った内容にたどりつくのがいつになるのかわからないので、思いっきり端折りました)

名物と言われている洞窟風呂に、ゆっくりと入るために夕食は 18:30 からと

お願いして、さっそく、浴場へ。洞窟風呂の湯温は、34℃くらいと聞いて、

内湯でたっぷりと暖まってから行くと女房が待ってました。

男女とも紙パンツのような使い捨ての下着と男は腰巻き女は胴巻きの

着用が義務づけられていて混浴でも問題なさそうです。でも到着した日と

翌日と2回洞窟風呂に入りましたけど、中で会ったのは、男性も含めて

女房だけでした。洞窟内は暗いし、湯浴み着をつけているので、

期待(何の期待?)するようなことは起きないのですけどね。

夕食は、18:30 に始まり、デザートと食後のコーヒーを飲み終えたのが、21:00 頃でした。

お客さんごとに割り当てられた個室での食事で、ゆったりと食べたのですが、

次の料理が出てくるタイミングがスゴくいいのです。早すぎもせず、待たせることもなく、

ちょうどいい頃合いに出してくれました。だから、2時間半、ずっと、飲み食いしてた

感じで、腹一杯になりました。それでも、とてもおいしい料理だったので余さず食べました。

料理の説明に「ウチの畑で採れた何々」が、何度も出てきたので翌朝の散歩の時に、

その畑を見に行きました。かなり広い畑(目測ではわかりませんが、ざっと、3反はあると

思いました)のぐるりをイノシシ除けの高圧線で囲ってありました。リンゴの木が10本くらい

かな?畑として利用できてるのは、敷地の十分の一もなかったようなのが、ちょっとだけ

残念な感じでした。でも、たとえば、近隣の農家の人に畑の管理を託しているのではなく、

宿のスタッフ(主として厨房スタッフと聞きました)が管理しているというので、

作付面積としては、限界かなあとも思えました。果樹を増やせば、さほどの手間を要さず、

せっかくの広い敷地を有効利用できるのかなあとも思いました。

大規模リニューアルは平成元年頃だと聞きましたが、建物は、スゴイの一言。

ぜいたく、豪華というのではなくて。センスがとてもいいのです。心地よさを建築で

表現したら、こんな感じかなあと思いました。以下、いくつか写真で紹介します。

↑↑↑ 駐車場と玄関の間にある待合。

駐車場と宿の建物の間には川が流れていて玄関には、↑↑↑ の橋を渡って行きます。

↑↑↑ 館内の廊下。

↑↑↑ 湯屋へのアプローチ_1

↑↑↑ 湯屋へのアプローチ_2

↑↑↑ 部屋への階段。

↑↑↑ 半屋外の渡り廊下。

↑↑↑ 朝食用の個室から見た中庭。

おそらく、使ってる素材やデザインに合わせた造りなどから、建設費は十億円を超えてるのでは

なかろうかと。貸し切り露天風呂も、いいですよ。でも、この宿の一番の売りは、ほぼ、

完璧な接客でしょう。そりゃ、個人差はありますよ。作り笑顔に見えちゃう人もいれば、

言葉づかいの一部にコンビニ言葉が入ったり。でも、なんとか、お客さんに喜んで

いただこう、快適に過ごしてもらおうという気持ちが伝わってくるんです。

決して安いとは言えない宿泊料金が、いや、この内容でこの値段なら、

むしろ、安すぎるのではと思わせてしまうところが、スゴイと思いました。

コストをかけるところと、さほどでもないところのバランスをよくして、よくこの値段で

ここまでのおもてなしができたなと感じさせてくれたのでしょう。

私たちと顔を合わさないスタッフ、たとえば、夜具を敷いてくれるスタッフが、

ちゃんと、トイレのチェックまでしていってくれてるところなど、隅々まで行き届いていて、

おそらく、そうした心遣いのうち、半分も私は気づかないままだったんでしょうけど、

これが、おもてなしを受けているということなんだと常に感じさせてもらいました。

スタッフは、総勢50名くらいとのことでしたが、お見かけしたのは、そのうちの

十数人だけです。時間帯で交代する要員もいれば、サニタリーの管理や厨房内で

働く方々など直接お見かけしなくても、きちんとした仕事をしていただいたことは

感じさせてもらいました。この宿なら、また、訪れたいし、今度は少なくとも

2泊や3泊は連泊したいものだと思いました。

J計画 ギリギリ

就寝スペースの続きです。

運転席は後ろに、助手席は前に畳みます。各席に、↓↓↓の橋脚代わりの工作物を置きます。

運転席の橋脚の裏側には、↓↓↓のように厚い板を貼り付けて座席面の形状に合わせました。

次に、運転席、助手席の橋脚に板を渡します。

この板の上面とプラ収納カゴと、最後部の木製収納箱は、同じ高さになっていてベッドボードを

水平に支えることができます。

まず、ベッドボードの左側を敷いて、

↓↓↓右側も敷きます。

次に、フロントのカップホルダーに立てた柱にフロントウィンドウ用のカーテンを掛けます。

外から見ると、↓↓↓んな感じ。

サイドのカーテンも閉じると、↓↓↓んなふうになります。

後ろ半分は、↓↓↓んな感じ。

ちなみに、左側だけベッドを敷くと、

ベッド常設の単独放浪バージョンになります。以上の工作ができたのは、出発日の

早朝?a.m.2:30頃のことでした。

実際、使ってみての感想は、ベッドメイクの時に寝袋やふとん類を右や左に

移動しなければならず、積み込んだ荷物の一部を車外に出す必要がありました。

ただし、ダッシュボードが広いので、夜間に使う物や貴重品などを置くことが出来て

便利でした。

カーテンレールを支える中央の柱は、運転席の背もたれを倒したり起こしたりするときに

金具部分がジャマになったので、ベッドメイク時に、よけいな時間がかかりました。

それに、晴天時なら問題が少ないけど、雨天時にベッドメイクするとしたら、大変だし、

引き出し式の台所部分などができたとき、どうやってベッドの板を降ろしたり収納したり

するかについても、アイデアが固まっていません。前途多難ですが、ボチボチと

進めて行こうと思ってます。

恥知らず

嫌なニュースが続けざまに二つ入ってきました。

ひとつは、唾棄すべき男の山口敬之が、「月刊Hanada」(飛鳥新社)に

レイプ被害者の伊藤詩織さんに対して、印象操作と陰謀論を使って

卑劣な反論をしたというのです。しかも、肝心な部分については、

「ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの

行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです」

と、伊藤詩織さんへの配慮という衣を着せての逃げを打つという

あきれた内容だと言います。

とにかく、この男には吐き気が止まりません。検察審査会が

伊藤詩織さんの事件に対し「不起訴相当」の議決をしたことは

残念でなりませんが、その結果、山口敬之が、厚顔無恥

(この男の場合、睾丸無知)な反論なるものを発表しただけではなく、

「安倍総理の“どす黒い孤独”」というアレゲな文章をアレゲな

WiLLに掲載してもらったらしいのです。

書けば書くほど腹が立って来るので、もうひとつの嫌な

ニュースについて。

「生まれつき髪が茶色なのに、教諭らに校則を理由に黒く染めるよう

強要されて不登校になったとして、大阪府羽曳野市の府立懐風館

高校3年の女子生徒(18)が府に対し、慰謝料など計約220万円の

損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたことが27日、分かった。

同日開かれた第1回口頭弁論で府側は請求棄却を求め、全面的に

争う姿勢を示した。」というものです。

28日付の読売新聞に詳細が掲載されるかと期待していたら、なんと、

記事が載っていませんでした。海外のBBCやTIMEなどが続々と

取り上げてるというのに、詩織さんの記者会見も取り上げなかったし、

そろそろ、読売も見切り時かな?

それはさておき、学校と府の教育庁が総掛かりで、女子高校生を

いじめているというこのニュース。文部科学省が公表した2016年度の

「問題行動・不登校調査」で、教職員が原因の小中学生の不登校が、

3,653人にのぼったとされてますが、今回の黒染め強要事件を

見ると、高校では、比率で考えたとき、教職員が関わった不登校は

もっと多いのではないかと思えてきます。黒染め強要にあたって、

「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と

平然と言い放つ教師を指導するどころか、全面的に支援する

学校も教育庁も、あきれるを通り越して狂ってるとしか思えません。

民事訴訟ではなく、強要罪とか、頭髪頭皮に傷害を負わせた

傷害罪に問えないものかと本気で思います。いえいえ、集団的

暴行罪ですね。

 

あ゛ーーーっ!腹が立つ!

J計画ふたたび

J計画って、何?と質問が来そうです。

三代目キャンピングカーを自作しようという例の計画です。

2月の記事以来、まったく、J計画についての記事をアップして

いませんからねぇ。記事を書かなかったのではなく、記事の元となる

自作工作が進んでいなかったのですから事態は深刻です。

これは、いつものように大風呂敷広げただけか?と思った方も

いらっしゃるでしょう。

11月7日の長野・仙仁温泉に間に合うように 、室内の就寝用

フラット化工作を仮設でもいいから完成させなければなりません。

ついでに、夫婦揃って口をあけて寝ているところをあまり他人には

見せたくありませんから、全周カーテンぐらいは設置したいところです。

計画では、こんなものも作ってました。の電話台が完成したら、

すぐさま、J計画に取りかかり、何とか間に合うだろうという希望的

観測がありました。ところが、痔の手術後、社会復帰にかかる時間を

甘く見ていて、そうでなくてもギリギリなのに、10日ほどロスして

しまいました。もう、泣きそうです。でも、泣いてちゃダメなので、

10月16日に、↑↑↑んなものを作りました。

10月22日には、↓↓↓んな工作をしてました。

10月22日に作っていたものは、10月24日には、↓↓↓んなふうに

なりました。

そして、今日、運転席と助手席の上に置かれたあやしげな工作物の

上に板を渡し、新たに作った箱状の物を最後部に置きました。

hana ちゃんから降ろしたマットをその上に敷くと

まず、一人分の就寝スペースを確保!

このマットは、もう一枚ありますから運転席側にも ↓↓↓のように敷けば

もう一人分の就寝スペースも確保!

といっても、このマットを二枚並べるだけの室内幅はありませんから、

ぴったり収まるように加工が必要です。

11日かかって、やっと、ここまで。

残り9日!果たして間に合うのか?