Monthly Archives: 10月 2024

昔、72歳だった僕 【0007】

夏休みの友を制覇するには、二日もあれば楽勝と思ったが

結局、三日かかった。しかし、これに没頭したことで

家族から僕の様子が変だということに気づかれずに

済んだようだ。とはいうものの、まだ、夏休みを半分以上

残しながら夏休みの友を済ませてしまうのは充分に異常だが。

午後から県営プールに出かけた。

家にいて母親と顔をつきあわせてるのも苦痛だし

まさか近所の下級生と遊ぶわけにもいかず、何しろ暑いので

手っ取り早く涼しいところというと、プールしか思いつかなかったのだ。

入場料を払い着替えてプールに浮かんだところで

「ん?もし、同級生に声かけられたら、どうする?」

と頭をよぎったが、いい考えが浮かばない。

まあ、そのときはそのときだと、ゆら~り、ゆらゆら、ほとんど

プールの中で漂って時間を過ごした。

さすがに身体が冷えたらプールサイドの観客席に腰掛けて甲羅干し。

そんなことを繰り返して3時間ほど時間つぶしをしながら今後のことを考えた。

元の令和に戻る方法については不思議と考えなかった。

むしろ、このまま昭和で生きていきたいと思った。

だから、間違って令和に戻らずに済むようにパソコン部屋で過ごす時間を

2時間程度までとする。最長でも、こちらに来た朝の時刻を超えないことが

大切だと考えた。

だから、長時間にわたって調べものをするなど、もってのほかだ。

つい、うっかり居眠りでもしたら万事休すだ。

昭和にいると、まず、耳鳴りが止まる。夏休みの友をやってて、とにかく

頭が軽いというか回転がいいし記憶する力が段違いだということに驚かされた。

覚えようとしなくても、2時間前でも、昨日のことでも、思い返すだけで、

その場面が脳内で動画再生される感じだ。

気にもかけなかった通りすがりの人の顔も建物の形も花壇に咲いてる花まで

すべて正確に再生されていくのだ。まるで脳内防犯カメラで記憶を

呼び起こすというよりも単に必要な時刻に合わせて再生ボタンを

押しさえすれば細部まで記憶として

昔、72歳だった僕 【0006】

算数とか国語とか社会や理科などの教科は簡単だった。

図画や工作は、ちょっと時間がかかる。明日やろう。

問題は自由研究。当時も、これには悩まされた。

「自由」などというものは子供には与えられていなくて

親や先生の目を盗んで、それらしいことをしても監視の目を

くぐってる時点で、それは不自由なのだ。

パソコン部屋に入って検索してみる。

OLYMPUS が「自然科学観察コンクール」(通称:シゼコン)を

昭和35年から続けていて過去の入賞作品のアーカイブもある。

ただし、2000年以降のものだけだ。そのまま、パクっても

盗作がバレることはなさそうだが、とりあえず、小学校4年生の

作品を検索してみた。その中に、「目もり式体重計のしくみに

ついての研究」というものがあった。家にある体重計や台ばかりを

分解して仕組みを研究したというものだ。うむ。これなら

かったるい観察を何日も続けたり、野山を歩き回って採集したり

しなくても済む。まんまでもいいのだが、体重計をバラして元に

戻らなくなったら母親の機嫌が悪くなるだろう。何かないかな。

それに、元祖体重計の研究家が、万一、僕のせいで盗作疑惑に

巻き込まれでもしたらかわいそうだ。

そうだ。モーターにしよう。当時、男の子にとってマブチモーターは

夢を実現する魔法の小道具だった。それに、モーターは下手に

分解すると元通りに組み立てることができないので、分解さえも

必要ない。家にある百科事典で関連する事項を調べて終わりだろうと

思ったら、平凡社の国民百科事典は1966年4月の第36刷版を

購入していた。残念、これは使えない。図書館まで出かけなければ

ならないだろう。直流モーター、交流モーターと調べていって、

三相交流モーターにたどりつき、三相交流とはどういうものなのかを

調べれば小学校4年生の自由研究としては上出来のはずだ。

もちろん、上出来である必要はなくて宿題をしたと認められれば

それでいいのだが。

ところで、なぜ、我が家の百科事典が1966年4月以降に

購入したものだったかがわかったかというと、その百科事典全七巻は、

パソコン部屋に保管されているのだ。他に日本の野生植物図鑑五巻もある。

これは、1989年以降のもの。

パソコン部屋は、もともと、書庫でもあったのだ。

昔、72歳だった僕 【0005】

二度寝したようだ。

母親にドヤされて、やっと起きた。

真ん中の部屋を横切ってちょっと幅が広めの縁側のような板間に出て

洗面台の前に立つ。板間の横は鯉を飼ってるコンクリート製の池だ。

池は父親の自作。

小さめの歯ブラシが、たぶん、私の…じゃなく僕のだろうと

見当をつけて歯磨きした。ちょっとひよわな感じの僕が

鏡の中にいて目線が合った。

顔を洗ってダイニングに向かった。

今、何時だろう。今朝から時計というものをまだ見ていない。

ダイニングの壁に時計があった。10時7分。

食卓に茶碗と汁椀が置いてあった。ご飯は、保温ジャーの中に

あるのかな。味噌汁はガスレンジの上の鍋の中だろう。

そうか、まだパン食じゃなかったんだ。

とにかく朝飯を済ませて「僕の部屋」に向かう。パソコン部屋には

家族の眼がない時間帯を選んだほうがいいだろう。逃げ帰りたい

気持ちは高いけれど。

ふと学習机の上を見ると夏休みの友が置いてあった。中身を見ると

案の定、2~3ページしかやってない。毎年、新学期が迫る中、

家族総動員で何とか埋めていたような気がする。

やることもないし、取り組むことにした。算数や国語などの

教科のページは、あっという間にできていく。まあ、当然だろう。

昼休みをはさんで夕方までで、ほとんど埋まった。それにしても

暑い。エアコンなんてないから扇風機しか頼れない。

当時は涼しかったと記憶していたが、この日の最高温度は

33.5 ℃ だった。ただし、この頃の岡山地方気象台は

2024年現在の市街地ではなく郊外の山裾にあって自宅付近よりも

気温は低めになっていた。だから、それを考えると8月5日は

猛暑日だっただろう。なのに、窓から入る風と扇風機だけで

何とか夏休みの友に取り組むくらいはできた。きっと、若い肉体が

それを可能にするのだろう。

そろそろ夕飯と告げに来た母親が夏休みの友に取り組んでいる

僕を見て驚きの声をあげた。振り向くと少しうれしそうな表情だった。

昔、72歳だった僕 【0004】

自分の(に違いないと思われる)布団に寝っ転がって

天井を見た。記憶にない、さほど古びていない天井。

タイムスリップという言葉は脳裏にあった。しかし、いざ、

自分がその状況に放り込まれると「まさか」と思ってしまう。

これは、きっと夢なんだ。明け方近くまでパソコン部屋にいて

寝落ちしたんだ。ずいぶん、昔に夢の中でこれは夢だと気づいた

ことがある。夢なんだから何をやってもいいんだとやりたい放題

した覚えはあるのだが、どんなことをやったのかは忘れてしまった。

もっと、幼いときに夢の中でオシッコをすると寝小便をしてしまう

ということに気づいたことがある。それから、しばらくして

夢の中でオシッコをしかけたとき「これは、夢だ。起きろ!

起きなきゃ、おねしょをしてしまう!」と必死に夢の中で自分を

揺り起こし、なんとか目を覚ますことに成功してトイレに行った。

それ以降、寝小便はしなくなったと記憶している。

しかし、今回は違う。夢にしては、あまりにもリアルなのだ。

なぜ、夢の中で夢と気づくかというと辻褄が合わないことに

気づくからだ。時系列や場所の位置関係などが明らかに現実離れ

していて、なんか変だゾと気づくのだ。けれども、今はどうだ。

部屋の中の勉強机にしろ壁や窓、天井、すべてが何のデッサンの

狂いもなく存在する。

畳を触れば畳の感触だし、タオルケットはタオルケットの

肌触りだ。枕も布団もパジャマも。おや、そう言えば眼鏡を

かけていないのに周囲がボヤけていない。そうか、小四のときは

まだ仮性近視で日常生活に不自由するほどではなかったんだ。

あくまで、リアル。南向きの窓は雨戸が閉められている。

北向きの窓には雨戸がなく、一番上のガラスだけが透明で

あとは磨りガラスだ。窓には防犯用の鉄格子がはめられている。

一度、就寝中にドロボウに入られたことがあったので、そのあとで

対策したのだろうか。父も母も、ぐっすりと寝ていて気づいたのは

朝起きてから机やタンスの引き出しが、すべて引き出されて

積み上げられているのを見つけたからだ。でも、ヘタに目を

覚ましてドロボウに気づいて騒いだりしたら居直って強盗になり

ケガをさせられていたかもしれない。

窓の外は小さな庭で父親が作ってくれた鉄棒があるはずだ。

たぶん、この鉄棒のおかげで逆上がりができるようになった。

少しずつ、昔のことを思い出してきた。

部屋は元々六畳間であったものをいちばん西の部分を

一畳半の板間にしてあって、間仕切りが途中まである。

そこは、姉の勉強スペースとなっているはずだ。寝る時は

東隣の部屋に行って布団を敷いて寝ていると思う。昼間は

南側の物干し場や洗面スペースに行く家族の動線となるので

いつまでも姉は寝ているわけにはいかず、さっさと着替えて

布団をあげなければならない。その苦労はあっても中学生にも

なって四畳半に弟と枕を並べて寝るよりは、よっぽどマシだと

考えたのだろう。そうこうしてると母親の起す声がフスマ戸の

向こうから聞こえた。「うーん」とうなって、さらにいろいろ

頭の中に浮かぶ思念を追い続けた。