Monthly Archives: 10月 2017

恥知らず

嫌なニュースが続けざまに二つ入ってきました。

ひとつは、唾棄すべき男の山口敬之が、「月刊Hanada」(飛鳥新社)に

レイプ被害者の伊藤詩織さんに対して、印象操作と陰謀論を使って

卑劣な反論をしたというのです。しかも、肝心な部分については、

「ここから先、何が起きたかは、敢えて触れないこととします。あなたの

行動や態度を詳述することは、あなたを傷つけることになるからです」

と、伊藤詩織さんへの配慮という衣を着せての逃げを打つという

あきれた内容だと言います。

とにかく、この男には吐き気が止まりません。検察審査会が

伊藤詩織さんの事件に対し「不起訴相当」の議決をしたことは

残念でなりませんが、その結果、山口敬之が、厚顔無恥

(この男の場合、睾丸無知)な反論なるものを発表しただけではなく、

「安倍総理の“どす黒い孤独”」というアレゲな文章をアレゲな

WiLLに掲載してもらったらしいのです。

書けば書くほど腹が立って来るので、もうひとつの嫌な

ニュースについて。

「生まれつき髪が茶色なのに、教諭らに校則を理由に黒く染めるよう

強要されて不登校になったとして、大阪府羽曳野市の府立懐風館

高校3年の女子生徒(18)が府に対し、慰謝料など計約220万円の

損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしたことが27日、分かった。

同日開かれた第1回口頭弁論で府側は請求棄却を求め、全面的に

争う姿勢を示した。」というものです。

28日付の読売新聞に詳細が掲載されるかと期待していたら、なんと、

記事が載っていませんでした。海外のBBCやTIMEなどが続々と

取り上げてるというのに、詩織さんの記者会見も取り上げなかったし、

そろそろ、読売も見切り時かな?

それはさておき、学校と府の教育庁が総掛かりで、女子高校生を

いじめているというこのニュース。文部科学省が公表した2016年度の

「問題行動・不登校調査」で、教職員が原因の小中学生の不登校が、

3,653人にのぼったとされてますが、今回の黒染め強要事件を

見ると、高校では、比率で考えたとき、教職員が関わった不登校は

もっと多いのではないかと思えてきます。黒染め強要にあたって、

「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる」と

平然と言い放つ教師を指導するどころか、全面的に支援する

学校も教育庁も、あきれるを通り越して狂ってるとしか思えません。

民事訴訟ではなく、強要罪とか、頭髪頭皮に傷害を負わせた

傷害罪に問えないものかと本気で思います。いえいえ、集団的

暴行罪ですね。

 

あ゛ーーーっ!腹が立つ!

J計画ふたたび

J計画って、何?と質問が来そうです。

三代目キャンピングカーを自作しようという例の計画です。

2月の記事以来、まったく、J計画についての記事をアップして

いませんからねぇ。記事を書かなかったのではなく、記事の元となる

自作工作が進んでいなかったのですから事態は深刻です。

これは、いつものように大風呂敷広げただけか?と思った方も

いらっしゃるでしょう。

11月7日の長野・仙仁温泉に間に合うように 、室内の就寝用

フラット化工作を仮設でもいいから完成させなければなりません。

ついでに、夫婦揃って口をあけて寝ているところをあまり他人には

見せたくありませんから、全周カーテンぐらいは設置したいところです。

計画では、こんなものも作ってました。の電話台が完成したら、

すぐさま、J計画に取りかかり、何とか間に合うだろうという希望的

観測がありました。ところが、痔の手術後、社会復帰にかかる時間を

甘く見ていて、そうでなくてもギリギリなのに、10日ほどロスして

しまいました。もう、泣きそうです。でも、泣いてちゃダメなので、

10月16日に、↑↑↑んなものを作りました。

10月22日には、↓↓↓んな工作をしてました。

10月22日に作っていたものは、10月24日には、↓↓↓んなふうに

なりました。

そして、今日、運転席と助手席の上に置かれたあやしげな工作物の

上に板を渡し、新たに作った箱状の物を最後部に置きました。

hana ちゃんから降ろしたマットをその上に敷くと

まず、一人分の就寝スペースを確保!

このマットは、もう一枚ありますから運転席側にも ↓↓↓のように敷けば

もう一人分の就寝スペースも確保!

といっても、このマットを二枚並べるだけの室内幅はありませんから、

ぴったり収まるように加工が必要です。

11日かかって、やっと、ここまで。

残り9日!果たして間に合うのか?

こんなものも作ってました。

電話台+本棚です。

主に合板で作ってます。↓↓↓は、底板の製作途中の写真です。

トリマーの使い方も慣れてきました。この溝は中仕切り板を立てるための

ものです。上板にも同様の溝を彫ってます。

底板に壁紙を貼ると本などの出し入れで汚れたりスリ切れたり

するかなと思って貼らなかったのですが、

実際に物を入れてみると、底板の下のスカート部分ぐらいは壁紙を

貼ったほうが良かったかなという印象です。電話のコード類が

思ったより、ゴチャゴチャした感じになってしまったことも誤算でしたが、

本棚内に置いた小引き出しの上あたりのスペースを使えば

なんとかなりそうなので工夫してみようと思います。

この本棚を作ろうと思ったきっかけは、プロに壁を塗り直して

もらったので、今まで使ってた本棚では、壁面を傷つけて

しまいそうなのがイヤだったからでした。このスペースは元々

温水ヒーターを置いてた場所で配管のための穴があいてるので

何も置かないといワケにもいかず、背の高い物を置くと

地震で倒れたときに危険です。自分で作れば、寸法も

ピッタリ収まるし、その他、諸々の条件もクリアできるので

作ったのですけど、思った以上に手間取ってしまったことが

最大の誤算でした。痔の手術の予後もあるし、ジンちゃんの

お世話ができないまま、毎日が過ぎています。11月7日に、

仙仁温泉を予約してるので、それまでに、せめて足を伸ばして

仮眠ができるように改造したいのですが、このままでは、

間に合いませーん(泣)

実は完成していた妄想計画B

ほい。

最初の計画と違うところは、左側のタンスとタンスの間の空間。

仮完成状態で使ってたとき、もし、就寝中に地震があれば、この位置に

タンスがあって倒れてきたら、ひとたまりもないよねという話になって

圧迫感もあるし、じゃあ、タンスをどこに移すかと考えているうちに、

いっそ捨てたほうがいいという結論に達しました。

捨てると言っても私ひとりでは、階下に運ぶことができませんから、

現場で解体しました。このタンスを捨てるなら、これもこれもと、

結局、全部で5棹のタンスを捨てることになりました。

実際に運ぶときにはロープがけしましたが、ほぼ、こんな状態で粗大ゴミ

集積場に運びました。

ところで、部屋に残された2棹のタンスも、倒れたら頭部を直撃する

危険は少ないとはいえ、危険であることには違いないので、タンスの

上面と天井の間につっかえ棒機能を持たせつつ、収納もできるような

ものを作らねばならないかなと思ってます。

それに、この部屋の照明器具がシャンデリアを意識したような

デザインでガラスをふんだんに使ったものなので、重いし、

落下したときにガラスが割れて危険なので、もっと、軽くて

危険度が小さい照明に交換しなければなりません。

その他、眼鏡や懐中電灯などの非常時に備えたグッズを枕元に

揃えておくことも考えなければならないんだろうなあ。

痔の手術(後編)

今朝は、排便時の痛みが小さくて済みました。腰掛けた状態なら

ほとんど痛みはありません。

さて、手術室から病室に戻されたとき、下半身は完全に麻痺してました。

ときどき、看護師さんが見回りにきてくれて、麻酔がどこまで覚めたかを

確かめるのですが、その確かめ方というのが、足をつねって痛いか

どうかを聞くのです。麻酔は、太ももから足首方向へと覚めていきますから

それに沿って、最初は太もものつけねあたりから、数センチきざみに

つねっていって、どこから痛みを感じないかで覚め方を測定するのです。

なんだかねーでしたね。

腰から下の感覚がないので、膝を曲げたり伸ばしたりとか、ちょっと、

半身になるとかは、まったくできません。病室に運ばれたときに

セットされたベッドの傾きに全身をゆだねた仰向けのまま、寝返りも

不可能です。痛みも何にもありませんが、ただただ、安静にしてても

眠気が来ないのです。しかし、目を閉じていると、めまいのように

身体がふわふわしました。そのうち、身体が下降してるような感覚に

なり、目の前が濃いブルーに染まりました。目は閉じたままです。

それは、しだいに海の中のような光景になり、いつのまにか、

空中……といっても、雲よりも高い位置にあり、水平線まで

いくつもの雲が浮かんでました。非常に精緻なCGで描いたような

景色なのですが、全体的に暗い印象で光が足りない感じでした。

廊下で看護師さん同士がする会話がはっきりと聞こえます。

自分では、意識がある状態と思っています。宙に浮いた状態から

下降を始め、今度は眼下にビル群が見えてきました。これも

非常に精緻に描かれていて、360° 完璧に描かれたCGの世界の

中にいる感覚です。ビルの壁面近くを飛ぶときには、空だけが

見えていたときよりも光量が増えて細部までくっきりと見えました。

ビルの壁面をいつのまにか透過してエレベータ昇降路を

下降してました。ところが下降してたはずが途中で上昇してることに

気づきます。このあたりから、徐々にどちらに進むかを自分で

制御できるようになり、非常にリアルに描かれた3D映画の中を

自由に飛行できてるような感じになっていきました。

ビルの外壁に、どんどん近づいていくと、壁に凹凸があり、

凹んだ溝に沿って飛ぶと四角な穴が見えたので、その中に

入っていくと……けっこう楽しい体験で、わくわくとしながら

自由に飛べる版の金縛りみたいな状況を楽しみました。

その間も周囲の話し声や物音は、しっかり聞こえるものですから

意識がある状態という自覚のままです。ベッドごと飛んでる感じ

なので、よけいにリアル感が強かったのでしょう。

要するにラリった状態だったと思います。この昂揚感と見事な光景、

自由な飛行を毎回楽しめるとしたら、麻薬におぼれる人の気持ちが

わからないでもないなと思ったのでした。

手術後、病室に運ばれたとき、手術着の下は、パンパースでした。

シーツの上には持参したバスタオルを敷いてありました。

翌朝見てみると、手術着も、バスタオルもバスタオルの下のシーツにも

血がついていました。それほど大量ではありません。翌朝の点滴の時に、

手術着を持参の寝間着に着替えるようにと看護師に指示されました。

パンパースのまま、寝間着代わりの作務衣に着替えたら、これにも

血がつきました。水色の作務衣だったので、目立ちましたが、

もう一着持って行ってたパジャマに着替えて、これにも血がつくと

いやだったので、退院まで、この作務衣で通しました。

午後の回診のときだったか、医師からパンパースをやめて、

持参のパンツに履きかえるように言われていない?との質問だったので

言われていないと答えました。作務衣の血のこともあって、最初の

排便までは、パンパースのままでいたいと思いました。

でも、パンパースといっても、太もものところにゴムが入っているような

タイプではなく、ほぼ、一日履いてると、紙のフンドシ状になって

しまってました。

最初の排便までは、持参のパンツに履きかえたくなかった理由の

ひとつに、手術の時に肛門内に押し込んだガーゼが排出されるので

それを便器の中から自分で拾って汚物入れに入れなきゃなんないと

トイレ内に書いてあって、それもイヤだし、ガーゼが含んだ血が

パンツに付くのもイヤでした。この悩ましいガーゼは回診にきた

医師が薬を注入するときに除去してくれました。

ガーゼ問題が解決したので、パンツに履きかえましたが、病院で

渡されたナプキンの使い方が、わからないのです。聞けばいい

ったって、花も恥じらうおっさんが、ちょっと、ブサイクとはいえ、

看護師さんに聞けったって、聞けるもんじゃないですよ。

とりあえず、お尻にナプキンをはさんで固定した状態で

パンツを履いて、ナプキンの裏側のテープがパンツに貼りつく

まで、引き上げるという方式で、三日目までは通しましたが、

この方式だと、ナプキンが棒状になって、なんだか横漏れに

弱い感じなんです。といって、あらかじめパンツに貼っておく

という方式も、ナプキンの位置が適正になるという保証もなく

悩ましいんですよね。

退院後に女房に買ってきてもらったナプキンは、34cm も

長さがあり幅も広く、おまけに羽根つきなので、最初に羽根部分を

パンツに貼ると、ぴったりと位置が決まりました。今では

ナプキン貼りに関しては、かなりの腕前です。

毎日、ごろごろしてるのも飽いてきたのですが、立った姿勢だと

肛門部分に圧がかかるのか、痛みがあるので、ついつい、腰掛けて

過ごすことが多くなります。円座クッションも買ってきました。

さらに、続報があるかどうかは、わかりませんが、術後報告は

このあたりで、一旦、おしまいです。

痔の手術(前編)

ことの起こりは、今年の7月に高校時代からの友人たちと

飲んだときのこと。

「年に一回ぐらいのペースで便失禁に悩まされるんだ」

と私が言うと、友人A は、

「俺たちの年齢で、それはないぞ」

友人B は、

「たとえば、括約筋付近にガン細胞があると、ガン細胞は縮むことが

できないから、その結果、便失禁が起こることもあり得る」

などと言い、異常なことが3回あれば病院で診てもらうべきだという

結論になり、内科で腹部のCTスキャンやら血液検査、大腸スコープの

検査の結果、ガンは発見されず、小さなポリープを一個、ついでに

切除しただけでした。

診断を終えて内科医が言うには、「痔がありますね。こっから先は

肛門科を受診するかどうかですね」そういえば、10年以上前に

人間ドックで検便に潜血反応があり、最初の大腸スコープによる

検査を受けたとき「異常なし。潜血反応は痔によるもの」という

結果でした。

なーんだ、痔かぁ。と、そのときは放置し、今回もひょっとしてガン?

という受診だったので同じくスルーしかけたのです。

しかし、ひょっとして10年以上、ずっと抱えていた痔?という疑問から

痔って、どういう病気?とネットで検索してみたのです。

まったく自覚症状がないことから、どうやら内痔核のようです。

私の場合は、無い自覚。

いくつかの記事を読むうちに、最近、不愉快な残便感があるよなあと

思い返したり、案外、痔こそ、便失禁の真犯人かもしれないと考えて、

外出時の便失禁って、とても困りますからね。肛門科を受診してみようと

思ったわけです。

内科医に紹介状を書いてもらって肛門科を受診しました。

内痔核というのは、要するにイボですから自然治癒することはない

ということも、受診を決意した理由のひとつでした。

初診時に、これはもう、手術しましょうという話になり、括約筋の強度、

心電図、胸部X線検査も済ませて、手術予定日まで待つだけ

ということになりました。

10月3日、指示された下剤を前夜に飲んで、朝から何度も

トイレにこもり、それでも出し切れていない状態ながら指定された

10時半までには病院に到着し、入院のためのオリエンテーションを

受けて順番に病室に案内され、着替えると点滴が始まりました。

当日の順番の関係で、手術開始時刻は16:30を過ぎていました。

手術前の説明の中で、いちばんビビった脊髄くも膜下麻酔も

無事に済んだようで、手術は始まりました。下半身の麻酔の

せいで、お尻あたりを触られてる感触もなく当然痛みもないままに

切除手術自体は10分足らずで完了したようでした。あとで

受けた説明によると内痔核は、ふたつあったのでひとつは、

切除。もうひとつは根元をくくって壊死?させる方法をとった

そうです。

麻酔や後処置などを含めても全部で30分程度だったような気がします。

手術室に運ばれた時刻、病室に戻された時刻などは見て

いませんでしたが、終始意識はハッキリしてたので大きな間違いは

なかったハズです。絶飲食ですから、点滴を受けたとはいえ、

手術後はノドが非常に乾きました。これが、歩けるようになった

23時ごろまで続きました。

食事も手術日前夜の食事が最後でしたが、空腹感は、あまり

ありませんでした。歩けるようになって一番にしたことは

熱いお茶を飲むことでした。おいしかったぁ。麻酔が残って

いたせいか排尿がウマクいかなくて、手術当夜は、トイレの

横のラウンジで、1時頃まで過ごして夜更かししてしまいました。

そういえば、手術室から病室に戻されて麻酔が覚めるのを

待つために安静にしてるときに見た夢の話。。。は、続編に書くことに

しよう。書いてるとだんだん長くなってしまって。書き続けるのが

めんどくさくなってきました。

手術日を含めて、三泊四日の入院生活は、痛みもほとんどなく、

おおむね快適でした。出された食事はすべて完食。ただし、

下痢は退院する前日まで続きました。

退院日は、待ち構えていた女房に栗拾いに派遣されました。

雨が降っていたので、イガは、ひとかたまりにしておくだけにしました。

回収はしなくても、けっこう腰にくるんだよね。4日間放置したわりには

栗の収穫量は少なくて、ピークを越しちゃったようです。

この日は夕食もおいしくいただきました。大好きな栗おこわだったので

何杯もおかわりしました。

これが、完全に間違った痔後処理だったんですね。

翌朝、トイレに行くと、うまく排便できない。便意はあるんだけど

すんなり出てこない感じでした。キバるのは、お尻によくないので

出ないのなら無理せずに次の機会にと立ち上がると強い便意が

襲ってくる。座っても出ない。立つと便意が……これを繰り返してると

吐き気がしてきました。座る。出ない。立つ。便意。座る。出ない……

常に吐き気に襲われ、エライ目に遭い続けること、体感で30分?

実際には、もう少し短時間だったに違いないと思うのですが、

ハンパない苦しさでした。

でも、やっと出始めたと思ったら、これが、いつまでも出続けるんスよ。

しかも、一回では済まずに、断続三回、大量の便が出ました。

退院時の調子が良くて、調子にのりまくった事への最悪の結果でした。

さすがに、その後は食べ過ぎないように注意してますが、排便には

毎日苦労してます。薬による軟便コントロールはウマクいってますが、

とにかく、アサイチの排便時の痛さがたまりません。キバらないように

してるので、毎日、3~4回排便します。その間、アサイチの

排便時にできた痛さが続きます。排便時ではなくても立ってるだけで

痛みを感じます。さいわいなことにガマンできないほどの痛さでは

ないのですが、夜まで続いて、朝には消えてます。そして、次の日も

排便で痛い一日が始まります。むろん、座ったり横になってると

痛みはやわらぐので、退院後も一日のほとんどを横になるか座って

過ごしてます。で、ついつい、寝入ってしまうと起きたら排便タイムが

来ます。こうして、日に3~4回の排便は午前いっぱいかかります。

午前中に、横になってのうたた寝タイムがないと、午前中だけでは

済まずに、すべての排便が完了するのが夕方くらいになることも

あります。こうなると、一日の活動時間の計画が立たないんですね。

退院後、便失禁はありませんが、軟便なのと肛門付近の感覚がちゃんと

しないので、オナラと実の判別がしにくいのです。オナラかなと思っても

便座に座ってしないと危険なので、結局、トイレから10m以上

離れることができません。

ということで、前編はこのあたりでおしまい。生まれて初めての

ナプキン生活とかも続編で書くつもりです。