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SPRING BREAKERS (2012) と Girls (1980)

アズミ・ハルコは行方不明(小説)のエピローグで少女ギャング団の女子高生が

さびれた商店街の映画館を満員御礼にして観る映画が、SPRING BREAKERS (2012) です。

少女ギャング団が観た映画ということで、この映画を知り、この映画を観ました。

<allcinema> の解説は、以下のとおり。

ラリー・クラーク監督作「KIDS/キッズ」の脚本で鮮烈的なデビューを飾った「ガンモ」
「ミスター・ロンリー」のハーモニー・コリン監督が、人気アイドル女優たちを起用し、
非日常の刺激を求めて犯罪の世界に足を踏み入れていく女子大生4人組の危険な春休みの行方を
セクシー&ポップに活写した青春クライム・ムービー。出演はディズニー作品出身の
ヴァネッサ・ハジェンズとセレーナ・ゴメス、TV「プリティ・リトル・ライアーズ」の
アシュレイ・ベンソン、監督の妻でもある「ミスター・ロンリー」のレイチェル・コリン。
彼女たちが出会う謎の男エイリアンに「127時間」のジェームズ・フランコ。
退屈な日常にうんざりしているフェイス、キャンディ、ブリット、コティの仲良し女子大生
4人組。誰もが浮かれるスプリング・ブレイクがやって来るというのに、お金がなくて遊びに
行くこともできない。ならばと4人は、ゲーム感覚で深夜のダイナーを襲撃、まんまと大金を
手に入れる。こうして念願のフロリダ旅行に繰り出した4人。降り注ぐ太陽と美しいビーチに
テンションも上がりまくりで、パーティ三昧の日々を満喫する。ところがハメを外しすぎて、
ついに警察の厄介に。そんな窮地を、見るからに怪しげなドラッグ・ディーラー、エイリアンに
救われる4人だったが…。

…… ↑↑↑ の解説で、あらかじめイメージすると見誤ります。とは言っても私なりに解説すれば、

<allcinema> よりもはるかにひどい誤誘導をしてしまいかねません。

この映画のラストで、キル・ビルや高倉健を私が連想したのは確かですが、そのことから

何かを伝えることができるわけでもありません。この作品は、おそらく、映画の形状をした

アートなので、言葉に置き換えて伝えると作品価値を損なってしまいかねないという危惧が

筆の運びを重くしているのかなあと思えたりします。

この膠着状態を打破するために、同じく4人の若いコを軸とした映画である Girls (1980) を

先に紹介します。<allcinema> の解説は、以下のとおり。

4人の少女を主人公にした青春映画。物語は、現代のパリを舞台に4人の少女たちの様々な恋愛を
通し、彼女たちの友情やその成長を繊細なタッチで描いてゆくというもの。「エマニエル夫人」で
日本でもセンセーショナルを巻き起こした、ジュスト・ジャカン監督が、少女の世界を舞台に
描いたちょっぴりほろ苦い青春映画の佳作。

<allcinema> を丸ごとコピペしないで、自分なりに書けと言われそうなので、プロットは

自前で書きます。

4人の少女の内訳は、遊び仲間の3人組と、その中のひとりの妹を合わせて4人です。

姉たちのマネをしたわけでもないのでしょうが、ちょっと背伸びした恋をした妹は、

妊娠してしまいます。責任を取ろうとしない相手に対して職を失うような仕返しをしたあと、

3人は中絶のための資金を集めるためにある作戦を実行します。作戦の失敗により

3人組の中の一人が3人の男によってレイプされてしまいます。つまり、「ちょっぴり

ほろ苦い」では済まない悲惨な体験をしてしまうわけですが、彼女たちは、

彼女たちの方法で、ふたつの体験を乗り越えたことを示して映画は終わります。

SPRING BREAKERS の4人も、Girls の4人も、遵法精神に富むとは言いがたいのですが、

逸脱の度合いにプロとアマくらいの歴然とした差があります。しかし、その逸脱の

結果、受けた被害が、SPRING BREAKERS は、一人が腕に銃創ひとつ。Girls は、中絶と

輪姦。銃創ひとつへの復讐が皆殺しで、輪姦への復讐は、果たしてなし得るのかどうか…… 。

SPRING BREAKERS を観ていて連想した、もうひとつの映画が イージー・ライダーですが、

イージー・ライダー は殺され、SPRING BREAKERS は皆殺しにしたあと、ランボルギーニで

次の旅に向かう。ユーザーレビューこそ、賛否両論といった様相を示しますが、

興行的には大成功。BBCの21世紀の最高の映画100 の 74 位。多くの映画評論家から

好意的なレビューを受け、多くの賞にノミネートされ、いくつもの受賞を果たしました。

一方、Girls は、注目の度合いも低く論争を引き越すこともなかったようですが、

あの「エマニエル夫人 (1974)」を世に送り出した確かな力を感じずにいられない

作品で、途中では、いろいろ、突っ込みを入れたくなっても、あのラストシーンに

たどり着けただけでも観る価値のある作品だったと思えました。

私は、かねがね思っているのですが、秀でた映画は言葉がわからなくても心に

響いてきます。その意味で言うと、SPRING BREAKERS も、Girls も、

日本語字幕がなくても、十分に没入できます。セリフやナレーションがないと

伝えることができないなら、それは、映画ではなく小説や演劇といった

他の手段を使ったほうが効率が良いということになりませんか?

(あ。だからなのかな?邦画を観ると、どうしてもセリフやナレーションが

耳から入ってきてしまうので、ついつい、せっかく本来の映画力を使った

シーンを見逃すってことがあるのかも知れない。「セリフが聞き取れない」

なんて、イライラするのは、間違った態度?)

圧倒的な映像力の SPRING BREAKERS との出会いを導いてくれただけでも、

アズミ・ハルコは行方不明(小説)に、感謝!感謝!

アズミ・ハルコは行方不明 (2016)

映画の冒頭で混乱します。しかし、時間差のある二つの時系列に沿った

二つの物語がパラレルに進行しているんだとわかれば、映像を追うのが

ぐっと楽になります。主役は、蒼井優の『百万円と苦虫女』以来の

単独主演となっていますが、高畑充希主演の映画という見方をすれば、そのストーリーに

出てくる「ハルコ MISSING」の画像についての説明部分が 蒼井優演じるストーリーと

見えなくもない?まあ、無理か。でも、ハルコよりも、アイナのほうが哀しみは深く、

より古典的な女性のステレオタイプと言えなくもない?要は、ハルコのストーリーと

アイナのストーリーと女子高生ギャングのストーリーがあって、これらをもし時系列順に

描けば、女子高生ギャングだけが荒唐無稽の存在になって物語の全体を壊しかねないので

あえて、時系列と三つのストーリーを切り貼りすることを選んだのか?というふうにも

考えました。そう考えれば、三つのピースによるジグソーパズルということになり、

さほど組み立てが困難というわけでもないのですが、よく聞き取れないボソボソとした

セリフと時間差混在による混乱を解くためには、何度か巻き戻ししたり音量を上げて

二度聞いたりという作業が必要だったので、つくづく、この映画を劇場で観なくて

良かったと思ったのでした。同時に、そのあたりのことを原作ではどうなって

いるんだ?という疑問もわき起こったので、Amazon でポチりました。

でもまあ、もう少し、そういった不満の発生を抑える撮り方もあったとは思うし、

そうすれば、この映画のテーマである若い女性の生きにくさに対して、どう対処するのが

ベストなのかという問いが、もっとずっとハッキリと鑑賞者に伝わり、その重さに

共感できる人が多ければ、作品の評価も、もっと高いものになったのではないかと

ちょっぴり残念なので、うだうだ書き連ねているわけです。だって、このストーリー

なのに、蒼井優と高畑充希だけじゃなく、誰も脱がずに撮り終えたということだけ

見ても、この映画の監督は、タダモノではないですよ。

それと、この映画の主題をそのまま、男性に置き換えて映画を作ったら

果たして、蒼井優や高畑充希や花影香音のような魅力ある登場人物として

描きうるかというと、とても無理!ってことになると思うんです。

しかし、最後の最後で見間違いを犯してしまいました。蒼井優が抱いてる

女の子をハルコの子と思ってしまったのですが、今井エリの子なんですってね。

SEXマシーン 卑猥な季節(2005)

ダラダラとTVなんぞを見て、いつのまにか時間を無駄遣いしてることに気づいたとき

「おっと、こうしちゃおれん」と独り言を吐いて起ち上がることがよくありますが、

今朝は、ふと、「こうしてても」いいやと、思ったのです。無職生活も4年を越えると

ついに、この境地に達するものかと、感慨深いものが…といっても、くるぶしぐらい

までの深さですけどね。

山村境界基本調査が、hana ちゃんを置いてる里山でも実施されることになり、

今日は、仮のくい打ちが行われるということなので、昨日の電柵設置の続き

なんぞをして、杭打ち作業に出くわしたくないし、女房のアッシー君以外は、

ほぼ、何もせずに過ごす計画(何もしないという計画も計画と呼べるのだろうか)で

その計画に従ってダラダラと過ごしていたら、「SEXマシーン 卑猥な季節」を

拾っちゃったので、鑑賞しました。

この作品って、月間シナリオ 第2回ピンク映画シナリオ募集の入選作を

映画化したものなんだそうで、その脚本を書いた守屋文雄という人は、

「UNDERWATER LOVE -おんなの河童-」の脚本も いまおかしんじ と

共同執筆しており、しかも、死神役で出演もしています。「おんなの河童」の

主演女優は正木佐和さんで、前々回の記事で取り上げた「ヴァージン 」(2012) の

三番目「ふかくこの性を愛すべし」でも主演してます。撮影当時、30代だったのね。

てっきり、アラフィフと思ってました。失礼。さらに驚いたのが、「おんなの河童」が

2011年で、「ヴァージン 」が 2012年。たった、一年しか違わないことを今回

知りました。両者は10年ぐらいの間隔があると思っていたものですから。

「おんなの河童」では、ちゃんと、30代、それも前半に見えます。役作りなのかなあ。

正木佐和さんは、「おんなの河童」で、ファンタスティック映画祭(米・テキサス州)の

ベストアクトレス賞を受賞してます。

「おんなの河童」も、ぶっ飛んだ映画でしたが、「SEXマシーン 卑猥な季節」は、

さらにその上を行きます。SEXシーンは、何度もありますから、確かにピンク映画に

属することができると思うんですが、とにかく湿度ゼロ。からりと晴れすぎて

エロさもゼロなんです。それに、すぐそばに橋があって、ヒモのヒロシも、冒頭で

その橋を渡ってるのに、なぜ、「俺、泳げないから」なんて、わざわざ、川の下を

トンネル掘って渡ったのか、そのナンセンスさが不自然でないくらい全体的に

荒唐無稽なのに、その荒唐無稽さが、これまた不自然でないという不思議さ。

つまり、この映画はピンク映画ではなく、ファンタスティック映画なのね。

君の名は。(2016)

先日、用があって近所のお宅におじゃますると、その玄関先近くで

二人の女子高校生が、それぞれ自転車にまたがった状態で

おしゃべりしてました。用はすぐに済んだのですが、話の一部が

聞こえてきたので

「ひょっとして、それ、君の名は。の話?」

「そうそうそうです!」

「今上映中なのかなあ。面白かった?」

「面白かった!」

と、目をキラキラさせながら答えてくれたので

今日、観に行きました。さすがに面白かった。イマドキだから、CGで描くことも

できるのだろうけど、やはり、アニメだからこそ描写できるものがあると

雄弁に語ってくれる映画でした。高校の放送室から流れる防災放送を

信じて避難して命を救われるように、この記事を信じて観に行けば、

なるほどと思ってもらえるはず。しかし、市原悦子だったとは…

山の焚火 (1985)

北海道から帰って、5日も経つというのに、やらなければならぬことも

一日に一つできたら良いほうで、だらだらと過ごしてます。女房が

お出かけで、昨夜は自分で夕食を作らねばならなかったのですが、

いたずらに時間だけが過ぎて、やっとコンビニに菓子を買いに行き

これを肴にビールだけで済ませました。KitKat 玉露味を

食べ過ぎたので胸がムカツキました。

無為に過ごしていても、時間だけはたっぷりあるわけで、まあ、

映画でも見るかとファイルを開いたのが、Alpine Fire (1985)

邦題は、「山の焚火」というスイス映画です。意外とスイス映画なんて

観る機会は少ないのです。スイス製のポルノ映画って、珍しくて

見たけれど、特に印象もなくて、どんな映画だったか忘れました。

それ以来ですね、スイス映画。

ところが、この映画。スゴイ秀作でした。私の中では、いきなり、

トップ10入り。念のため英語字幕をつけておいたのですが、

これが必要だったのは、姉弟が会いに行ったのは、祖母だった

と言うところくらい。ほとんど、セリフを聞き取る必要がないんです。

内容的には重いですよ。他のサイトでは、やれ、ギリシャ悲劇だとか

宗教的な寓話だとか、スゴイこと書いてる人もいますが、私は、

人生というものは、重いものなのだというふうに感じました。

登場人物は、6人だけです。

Bub は、直訳すれば、「少年」ですが、この映画の中では、「坊や」とか、

「僕」といった使われ方です。Mutter は「母親」、Vater は「父親」、

以下、「祖母」「祖父」です。姉だけが、固有名詞の Belli という

名前を与えられています。↓↓↓ が、Belli です。

なぜ、彼女だけが名前を与えられたかなどと深読みする必要は

ないのでしょう。しかし、映画を見終わった者としては、やはり、

特別な意味を感じてしまうのです。彼女は教育も受けているし、

おそらく、街に出ても自活できる能力があるように見えます。

そのことは、逆に街に暮らしていたのに、何らかの運命によって

社会から隔絶された地に住む家族の中に放り込まれてしまった。

それゆえに悲劇は起こるが、その悲劇も苛酷な大自然の中では、

さほど特殊ではなく、むしろ、普遍的なことなのだと語られて

いるような気がしました。

北海道の広大な土地の中にも、車がないと隣家を訪ねるのも難しい

という環境の中で住んでいる人たちがいるし、四国にも、なぜ、

こんな山奥までというほど隔絶された地に民家があります。でも、

それらは、私が車で走っていて見かけたのだから、まだ、社会と

近いのかも知れません。

いやあ、これは、良い映画を観たと満足したところに、もうひとつ

ヴァージン (2012) が、面白かった。オムニバスになっていて、

3人の女性の処女喪失を描いていますが、ある種のこっけいさを

漂わせながらも女性って大変だなぁと、心から思わせてくれるのです。

それは、山の焚火の Belli も、当然そうだし、もっと言うと、それらの

女性を演じる女優さんも大変だなあと思うのです。それは、つまり、

今まで出会った、すべての女性も大変なんだなぁと言うことに

なるのでしょう。

愚か者の日(1981)

あいかわらず、やらねばならぬことを放り出して、パソコンと向き合う

引きこもりな毎日ですが、だらだらと映画を観るだけではなく、

パソコン内の整理というか、データの見出し付けみたいなことに

着手したら、昔観た映画を再び観るハメになりました。前回は、

原語のままで観たのですが、どうせなら、せめて英語字幕だけでも

つけてみようかと作業を始めて見ると、なんと、すでに英語字幕が

ついてるだけではなくて、フランス語、イタリア語、スペイン語、

ポルトガル語の字幕がついていて、足らないのは、ロシア語、

中国語、日本語ぐらいなもの(笑)

で、ひょっとして…と調べて見ると、手持ちの他の動画にも、あらかじめ字幕が

ついてるものがあったので、拡張子が .mkv の映画を拾ってきたら

必要に応じて、確認の必要がありますね。

それに、この動画を GOM PLAYER で再生すると縦横比が

くずれちゃうけど、VLC media player なら、ちゃんと表示されるのね。

他にも、字幕を選択できたり、.vob ファイルを再生するのに便利だったり

するのだけれど、コマ送り、コマ戻し、ちょっと前に進む、戻すが

キーボードで操作できる GOM PLAYER も捨てがたいのね。

でも、最近、アップデートしようとすると、不要なソフトを入れようと

したり、めんどくさい面もあるので、ちょっと前のバージョンのまま

使ってます。

VLC と GOM PLAYER の両方の良いところを持ったソフトってないかなあ。

ところで、「愚か者の日」は、狂気を描いた作品ですが、いったい、

誰の狂気を描いているのか。

↑↑↑ のような映画の舞台化とか、

街頭の映画セット化とか、どこかで見た記憶がありません?

私は、ラース・フォン・トリアーの作品が思い浮かんだのですけど。

どちらかが、どちらかに影響を与えたというのではなくて、互いに

意識下で影響を受け合ったのかなと思いました。その結果、

ついには、「機会の土地アメリカ三部作」として結実したと。

Wasington 作ってくれないかなあ。

どんどん、話が横道に入りますが、「愚か者の日」は難解です。

英語字幕つけても、字幕なしで観たときに比べ、さほど理解が深まったとは

思えません。日本語字幕が入手できても、きっと、理解できて

いないことが明らかになるだけで、さらに理解から遠ざかってしまう

可能性が大です。ときどき、前のカットで映っていた人物が

いなくなったり、ベッドの下の靴がなくなったり、死んでるはずの役者の

まぶたが動いたり、あれ?って思うシーンがいくつかあって、

これは、ミス?見間違い?監督のいたずら?何かの意図?と

いろいろ考えてしまいます。

「鏡」と違って、最後まで観ることができたのは、ときどき入る

エロいシーンのおかげだけではないと思えるのです。

トリコロールに燃えて(2004)

雨のせいにしてますが、映画漬け生活続けてます。ほどほどにしないと

廃人化突入しかねません。気をつけねば。

クリストフ・ガンズ監督に圧倒されたので、まずは、サイレントヒル(2006) を

観ました。面白いですよ。画面もさすがです。でも、つまんない。

これじゃあ、単なるハリウッド映画じゃないですか。制作に日本が

関わったから?続編のサイレントヒル: リベレーション3D では、

日本が制作から外されたのは、そのせい?いえいえ、何の

根拠もなく憶測でさえありません。一種のジョークです。

制作総指揮じゃないけど、リベレーション3D でも、山岡晃は

共同で音楽制作に携わってるし、あの世界観を創り上げたのが

日本人だというのは、小気味良いところがあります。

でも、日本、カナダ、フランスも加わっていても、結局、

ハリウッド映画味しか残りません。

では、美女と野獣(2014) は、どうだ?と観てみると、あいかわらず、

映像は、すばらしいのひと言に尽きます。でも、これだけCGが

発達してしまうと、どれほどスゴイ映像を見せられても、所詮

CGじゃんって思ってしまうのは、悲劇ですね。といって、

ウルトラQの特撮の世界には戻れぬ我々は、道の果てまで

来てしまったのか、あるいは、単に道に迷っただけなのか。

プロメテウス(2012) も、CG多用の作品だし、ハリウッド映画伝統の

突っ込みどころ満載ながら、最初のエイリアンを観たときと

ニアイコールのワクワク感を提供してはくれたんですが、結局、

超えてはいません。

ノオミ・ラパスでは、シガニー・ウィーバーを超えられないとか

そういうのじゃないですよ。アンドロイドが首だけになって

しゃべるシーンってパロディ?って思いました。

中身的には「エイリアンも、プレデターも実はね」というネタばらし

でしかないので、CGとデザインを楽しむしかないか…

そういう鬱々とした気分を抱えているときに観たのが

トリコロールに燃えて(2004) でした。思わず、のめり込みました。

フランス組曲(2014) と完全に時代が重なっているからでしょうか?

やはり、映画は、なんと言っても脚本が一番だ!と叫びたくなって

しまいました。でも、考えて見れば、1940年前後のケンブリッジや

パリを描いて何の違和感も感じさせなかったのは、巧みにCGが

使われているからだろうなとも考えました。ところで、これだけの

脚本には、さぞや、スゴイ原作者がいるんだろうなと調べてみると

監督も兼ねてるジョン・ダイガンのオリジナルのようなのです。

それじゃあってんで、さっそく、

監禁 (2000)監督/脚本
キャメロット・ガーデンの少女 (1997)監督のみ
泉のセイレーン (1993)脚本/監督

あたりを拾い集めてきたものの、脚本に興味がある作品ですから

セリフがわからなければ、意味がありません。日本語字幕の

しかも、誤訳がない美しい日本語のものでないと味わえないと

思ってしまうのです。英語字幕や、まして、原語版では、あらすじさえ

読み間違えてしまいかねません。このあたりが、はがゆいところですね。

しかし、「トリコロールに燃えて」に、おおいに満足した私は、

ドラマ性のある作品をということで、容疑者(2002) を鑑賞しました。

題材は申し分ないし、なんってったって、ロバート・デ・ニーロなので

演技にも、何の不満もありません。しかし、しかし、これだけの

良い題材を、あやうく、B級作品スレスレの凡作にしてしまった犯人は

誰だ!で映画を撮ったほうが、よっぽどミステリーとしていいかも。

いやいや、脚本をジョン・ダイガン、監督をクリストフ・ガンズで

リメイクして欲しい…

かな?

秘愛 Secret Love (2005)

英題は、他にも「The Intimate Lovers」「Aein (Lover) Please Don’t Walk Away」

「The Intimate (Lover / Aein)」があり、映画の中では

「愛人」という文字も見えます。ちなみに、このタイトルは、このあと、

というふうにフェードアウトします。おしゃれでしょ?この作品は、挙式寸前の女と、

会社を倒産させてしまって、明日はアフリカへと飛び立とうとしてる男が偶然出会って、

恋に落ち、セックスを重ね、そして…という内容で、感情の襞を描くより、美しい画面と

しゃれた会話で描くことに重きをおいてます。私は、原語版を観たので、全く会話の

内容はわからなかったけど、subtitle を入手してみると

What’s your name?
It’s Girl
Cute
Yours?
BOY
So corny

というふうです。セックスシーンも、どこか、カッコいいのです。

ちなみに、エッチしてる場所は、

↑↑↑んな場所です。↓↓↓んなアトリエの一角です。

随所に恋のテクニック的なものが、男用も女用も、ちりばめられていますから、そういう

テキスト代わりにしてもいいし、主演女優の ソン・ヒョナ が、2010年2月と3月に

3回にわたって、起業家と「性売買」をし、5,000万ウォン(当時約490万円)の

報酬を受け取っていたとして、2013年12月に起訴され、一審と二審では、

罰金200万ウォンの有罪判決を受けていたけど、今年の2月に最高裁で

原審を破棄する無罪判決をかちとったという芸能ニュースに興味を持っても

いいし、まあ、どうでもいいよね。

クリーピー 偽りの隣人(上映中)

3ヶ月くらい前から、公開を楽しみに待っていた作品をついに昨日鑑賞して

来ました。作品に対する予備知識は一切仕入れずにぶっつけ本番で

観ました。なぜ、観に行きたかったかというと、藤野涼子ちゃんが出演する

という、その一点だけが動機です。誰が出るかで観に行くというのは、

今年2作目ですね。刑事フォイルのサム役の女優が主演してると勘違いして

観に行った「フランス組曲」。映画を見始めても、全然気がつかず、

おそらく、半ばあたりまで話が進んだ頃に、やっと、別人かもと感じて

帰宅して調べてからやっと、別の女優であると確認できたという

おそまつ。でも、その勘違いがなければ「フランス組曲」は観に

行かなかったし、これほどの作品に巡り会える幸運も得られなかった

わけです。

では、「クリーピー 偽りの隣人」においても、再び、同様な幸運に

会うことが出来たのかというと、けっこう、複雑なのです。

まず、最大の動機だった藤野涼子ちゃん。ソロモンの偽証のときより、

幼く感じてしまったけど、今年の2月で、16歳になったばかりということ

なので、年齢相応ということかな。むしろ、ソロモンの偽証のときの

役柄から、当時年齢以上にしっかりした感じに見えすぎてたのかも

知れません。それに、1年以上と思われるブランクのせいか、演技も

さらに下手になった感じで、将来を楽しみにしている私にとっては、

ちょっとばかり、ヤキモキした気持ちを抱いてしまいました。

藤野涼子ちゃんは、私の大好きな若い頃の紺野美沙子と、演技力で

独特の人物像を描くことができる蒼井優の二人に似ていて、すごく

期待してるんですけどね。次回作に期待を順延します。

肝心な作品のほうは、Yahoo!映画のレビューなんかを読むと

賛否両論というよりも、どちらかというと酷評が目立つのですが、

私自身の感想は、日本映画も、ここまで来たかというひと言に

尽きます。それだけでは、何のことか全然伝わらないと思うので

若干、説明させていただくと、アメリカ映画を観ているような

突っ込みどころ満載感が、鑑賞の邪魔をしないどころか、

むしろ、「少々のことはどうでもいいから、とにかく、この状況を

楽しもうぜ」的な、それはそれで、映画の描くシーンの中に

入っていく手助けになっているのでした。あの ぁゃιぃ 薬も、

角田美代子事件を知ってる我々は、学校に通いながら、

香川照之にマインドコントロールされたままの藤野涼子ちゃんの役柄も

リアリティを感じるのですが、知らない人(たとえば、発売されたDVDを

観るアメリカ人とか)にも、必要最小限の説明になっていると思えば

意外と細やかな心配りが随所にあることに気づかされます。

でも、その部分が過多に傾くと肝心のストーリー展開が遅くなり

枯れ葉マークの(あるいは、四つ葉マークの)じいさんの車に

後続しているような気分になってしまうのです。

そういうところの思い切りの良さが、ハリウッド映画的であり、

ずっと、日本映画の足かせとなっていた説明的リアリティから

解き放たれたという意味でも、「ここまで来たか」なのです。

でも、それは、突っ込みどころ満載となって、酷評を書くための

材料を与えるわけで、ひいては、私のようにハリウッド映画と

聞くだけで、一定の距離を置いてしまうことになりかねないのです。

ラスト・ナイツで、紀里谷監督が、つい、いつもの日本映画のクセで

主人公とその妻の関係性について説明を加えたことが、ラストの感動を

そぎかねない残念な結果になったことを考えれば、少々の突っ込みなど

跳ね返さなくても、全身に突き刺さったままでも気にしないというのが、

ハリウッド的だと思うんです。じめじめした日本家屋の中の描写を

あれだけ正確に描き出す表現力とか、冒頭のサイコパスが警察署内で

起こす事件の物語性とかを生み出した黒沢清監督が、60歳と知って

若いなあ、ズゴイなあと、そこは感じ入りましたが、力業ばかりが前面に

出るとハリウッド離れと同様なことになってしまいかねません。

鏡 (1974)

わけがわからん映画です。惑星ソラリスも、難解そうだなあと、

観ることなく放置しているのですが、アンドレイ・タルコフスキー監督の

作品っていいかも。とススメられて、まずは、「鏡」を観てみました。

現代と過去(といっても、どこが現代かがわからない)が断片化し、

パッチワークのように繋ぎ合わされる作品は、他の監督の作品にも

よくあるけれど、ロシアだけではなく、スペインや中国や日本の歴史的な

フィルムまでもちりばめられるものだから、さらに混沌としていくのです。

上映時間の108分のほとんどを、「早く終わらないかなあ」と

ひたすら待ち続けました。救いは、日本語字幕も入手してたのと、

入手した avi には、英語の字幕がついていたので、両方を

見ることによって、「ああ、これは、わけがわからん映画だ」と、

確信できたことがひとつ。字幕なしでこれを見てたら、きっと、

ナレーションやセリフがわかれば、もう少し理解できたかもと

勘違いしたかもしれません。

もうひとつの救いは、冒頭に2回、終盤に3回(終盤の3回のうち

1回は同じ映像をモノクロにして繰り返したもの)の風のシーンが

あって、どれも見事だったことでした。