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山の焚火 (1985)

北海道から帰って、5日も経つというのに、やらなければならぬことも

一日に一つできたら良いほうで、だらだらと過ごしてます。女房が

お出かけで、昨夜は自分で夕食を作らねばならなかったのですが、

いたずらに時間だけが過ぎて、やっとコンビニに菓子を買いに行き

これを肴にビールだけで済ませました。KitKat 玉露味を

食べ過ぎたので胸がムカツキました。

無為に過ごしていても、時間だけはたっぷりあるわけで、まあ、

映画でも見るかとファイルを開いたのが、Alpine Fire (1985)

邦題は、「山の焚火」というスイス映画です。意外とスイス映画なんて

観る機会は少ないのです。スイス製のポルノ映画って、珍しくて

見たけれど、特に印象もなくて、どんな映画だったか忘れました。

それ以来ですね、スイス映画。

ところが、この映画。スゴイ秀作でした。私の中では、いきなり、

トップ10入り。念のため英語字幕をつけておいたのですが、

これが必要だったのは、姉弟が会いに行ったのは、祖母だった

と言うところくらい。ほとんど、セリフを聞き取る必要がないんです。

内容的には重いですよ。他のサイトでは、やれ、ギリシャ悲劇だとか

宗教的な寓話だとか、スゴイこと書いてる人もいますが、私は、

人生というものは、重いものなのだというふうに感じました。

登場人物は、6人だけです。

Bub は、直訳すれば、「少年」ですが、この映画の中では、「坊や」とか、

「僕」といった使われ方です。Mutter は「母親」、Vater は「父親」、

以下、「祖母」「祖父」です。姉だけが、固有名詞の Belli という

名前を与えられています。↓↓↓ が、Belli です。

なぜ、彼女だけが名前を与えられたかなどと深読みする必要は

ないのでしょう。しかし、映画を見終わった者としては、やはり、

特別な意味を感じてしまうのです。彼女は教育も受けているし、

おそらく、街に出ても自活できる能力があるように見えます。

そのことは、逆に街に暮らしていたのに、何らかの運命によって

社会から隔絶された地に住む家族の中に放り込まれてしまった。

それゆえに悲劇は起こるが、その悲劇も苛酷な大自然の中では、

さほど特殊ではなく、むしろ、普遍的なことなのだと語られて

いるような気がしました。

北海道の広大な土地の中にも、車がないと隣家を訪ねるのも難しい

という環境の中で住んでいる人たちがいるし、四国にも、なぜ、

こんな山奥までというほど隔絶された地に民家があります。でも、

それらは、私が車で走っていて見かけたのだから、まだ、社会と

近いのかも知れません。

いやあ、これは、良い映画を観たと満足したところに、もうひとつ

ヴァージン (2012) が、面白かった。オムニバスになっていて、

3人の女性の処女喪失を描いていますが、ある種のこっけいさを

漂わせながらも女性って大変だなぁと、心から思わせてくれるのです。

それは、山の焚火の Belli も、当然そうだし、もっと言うと、それらの

女性を演じる女優さんも大変だなあと思うのです。それは、つまり、

今まで出会った、すべての女性も大変なんだなぁと言うことに

なるのでしょう。