3ヶ月くらい前から、公開を楽しみに待っていた作品をついに昨日鑑賞して
来ました。作品に対する予備知識は一切仕入れずにぶっつけ本番で
観ました。なぜ、観に行きたかったかというと、藤野涼子ちゃんが出演する
という、その一点だけが動機です。誰が出るかで観に行くというのは、
今年2作目ですね。刑事フォイルのサム役の女優が主演してると勘違いして
観に行った「フランス組曲」。映画を見始めても、全然気がつかず、
おそらく、半ばあたりまで話が進んだ頃に、やっと、別人かもと感じて
帰宅して調べてからやっと、別の女優であると確認できたという
おそまつ。でも、その勘違いがなければ「フランス組曲」は観に
行かなかったし、これほどの作品に巡り会える幸運も得られなかった
わけです。
では、「クリーピー 偽りの隣人」においても、再び、同様な幸運に
会うことが出来たのかというと、けっこう、複雑なのです。
まず、最大の動機だった藤野涼子ちゃん。ソロモンの偽証のときより、
幼く感じてしまったけど、今年の2月で、16歳になったばかりということ
なので、年齢相応ということかな。むしろ、ソロモンの偽証のときの
役柄から、当時年齢以上にしっかりした感じに見えすぎてたのかも
知れません。それに、1年以上と思われるブランクのせいか、演技も
さらに下手になった感じで、将来を楽しみにしている私にとっては、
ちょっとばかり、ヤキモキした気持ちを抱いてしまいました。
藤野涼子ちゃんは、私の大好きな若い頃の紺野美沙子と、演技力で
独特の人物像を描くことができる蒼井優の二人に似ていて、すごく
期待してるんですけどね。次回作に期待を順延します。
肝心な作品のほうは、Yahoo!映画のレビューなんかを読むと
賛否両論というよりも、どちらかというと酷評が目立つのですが、
私自身の感想は、日本映画も、ここまで来たかというひと言に
尽きます。それだけでは、何のことか全然伝わらないと思うので
若干、説明させていただくと、アメリカ映画を観ているような
突っ込みどころ満載感が、鑑賞の邪魔をしないどころか、
むしろ、「少々のことはどうでもいいから、とにかく、この状況を
楽しもうぜ」的な、それはそれで、映画の描くシーンの中に
入っていく手助けになっているのでした。あの ぁゃιぃ 薬も、
角田美代子事件を知ってる我々は、学校に通いながら、
香川照之にマインドコントロールされたままの藤野涼子ちゃんの役柄も
リアリティを感じるのですが、知らない人(たとえば、発売されたDVDを
観るアメリカ人とか)にも、必要最小限の説明になっていると思えば
意外と細やかな心配りが随所にあることに気づかされます。
でも、その部分が過多に傾くと肝心のストーリー展開が遅くなり
枯れ葉マークの(あるいは、四つ葉マークの)じいさんの車に
後続しているような気分になってしまうのです。
そういうところの思い切りの良さが、ハリウッド映画的であり、
ずっと、日本映画の足かせとなっていた説明的リアリティから
解き放たれたという意味でも、「ここまで来たか」なのです。
でも、それは、突っ込みどころ満載となって、酷評を書くための
材料を与えるわけで、ひいては、私のようにハリウッド映画と
聞くだけで、一定の距離を置いてしまうことになりかねないのです。
ラスト・ナイツで、紀里谷監督が、つい、いつもの日本映画のクセで
主人公とその妻の関係性について説明を加えたことが、ラストの感動を
そぎかねない残念な結果になったことを考えれば、少々の突っ込みなど
跳ね返さなくても、全身に突き刺さったままでも気にしないというのが、
ハリウッド的だと思うんです。じめじめした日本家屋の中の描写を
あれだけ正確に描き出す表現力とか、冒頭のサイコパスが警察署内で
起こす事件の物語性とかを生み出した黒沢清監督が、60歳と知って
若いなあ、ズゴイなあと、そこは感じ入りましたが、力業ばかりが前面に
出るとハリウッド離れと同様なことになってしまいかねません。