阿蘇です。

4月26日の夕刻に岡山を出発して、27日は道の駅「ゆふいん」で

泊まりました。その夜、ネットで情報を集めてみると、由布市では、

26日でボランティア募集を終了してました。それでも

あきらめきれずに、翌28日に由布市社会福祉協議会の湯布院支所や、

避難所の湯布院B&G海洋センターに行きましたが、迷惑そうに

市役所で聞いてくれと言われて、これ以上のゴリ押しをせぬように

竹田市に向かいました。荒城の月で有名な竹田市は

岡城にちなんでということでしょうが市庁舎もお城風の作りでした。

ここでは、社会福祉協議会で聞いてくれと言われ、

そちらに行くと、ちょうど竹田市民を集めて、5月1日から

南阿蘇を支援するための説明会を開いているところでした。

ボランティアを受け入れるどころか、自らボランティアを

熊本に送り込むための前線基地として活動しようと

していたわけです。

なんとか大分で活動したいという意図を持っていたのですが、

やむなく、熊本入りしました。ここでも、観光案内所で聞いた私も

アホでしたが、阿蘇市役所→ボランティアセンターの経路を

たどって、翌29日の活動ができる道筋がつきました。

九州地方の方に限るという条件がありましたが、来た者を

追い返すようなマネはいたしません。

かくして、念願の?活動第一日目は、瓦の片付けで、

前日もボランティアが入った継続ということもあって、

11時頃には作業を完了してボラセンに帰着してました。

すでに、ニーズをボランティアのほうが上回っていて

並んでいても、ありつけそうにないと早々と見切りをつけて

この日の活動を終了することにしました。

夕方、昼寝から目覚めて、とりあえず、県境なき PIRIKA 団活動を

してみました。通りかかった女子中学生二人から元気な

挨拶をもらって、私のほうも元気が出ました。

ちょっと写真では見にくいですが、今回のために作ったゴミ拾いグッズ2号です。

20リットルと45リットルのゴミ袋に対応してます。

拾ったゴミは、自衛隊さんが処理してくれると言ったので助かりました。

ゴム長片方とか、そこそこ大物もあったし、誰も、PIRIKA したことない

と思えるほど、数%は土化したような吸い殻多数とか、空き缶10本入りの

ビニール袋などもあり、岡山まで持って帰るのは正直ツライなあと

思っていたので、自衛隊さんがバックについてくれるなら、

明日以降も、また PIRIKA できるかも。

今日は、阿蘇神社の真ん前が活動場所でした。

昼休みに崩壊したと何人かのボランティアさんから聞いていた

阿蘇神社に行ってみると、

正面門と拝殿が見事に崩壊していました。他にも大きな石灯籠や、石柱の塀なども

被害を受けていました。

道の駅ゆふいんで、わずか震度1という規模ながら初めて直下型地震というものを

体験しました。コツンと真下から突き上げられる感じで、それでおしまいです。

横揺れというものが、まったくなかったんです。阿蘇市で震度7を体験した

今日のボランティア先の方によると揺れるというよりもグルグルと回されるという

感じだったとおっしゃってました。

ゴミ拾いグッズ

最初に東急ハンズで、↓↓↓ を買いました。

そう。私は PIRIKA さえも、カタチから入るのです。ウワサにたがわず、

ゴミをはさむ能力は高いのですが、時に先端が交叉してしまうのが

ちょっとした難点ですかね。

次に ↓↓↓ を作りました。ゲジゲジ足の端材があったので、わりと簡単に

できちゃいました。

これの使い方は、

というふうに、左右にレジ袋を下げて、燃えるゴミと燃えないゴミに分別して

収集します。片手にゴミ拾いトングを持ってるので、もう片方の手で二つの

レジ袋を口を広げた状態で持つためのゴミ拾いグッズです。

今後、使っていくうちに、マイナーチェンジやフルモデルチェンジを

していくかも知れません。

PIRIKA ではゴミの種類別に個数を報告するので、ゴミを拾ったときに

カウントしていくためのメモはさみを先っぽに固定しました。

PIRIKA アプリにもカウンターはついてますが、両手がふさがった上に

スマホまでは操作できません。それに、この時期は分厚い手袋をして

ゴミ拾いしてますから、手が空いててもスマホ使えません。

メモするときは、トングを脇にかかえて、Tally で数えます。

Tally とは、西洋式の正の字ですね。タバコの吸い殻なんかは、

一気に十個ぐらい拾うときもありますから、そのときには、Tally じゃなく

数字で書きます。

ところで、なぜ、PIRIKA を始めたかというと、以前から気になっていた

日頃の運動不足の解消。中でも歩く習慣を身につけるための

動機付けとして、これはいいぞと、ピーンときたからです。

3月4日の高LDLコレステロール血症3ヶ月経過検査で何の改善も

見られなくても、果たして続けることができるでしょうか?

その前に、それまでちゃんと続けることができるでしょうか?

だって、寒いんだもん。一回のゴミ拾いは、小一時間というところですが、

終わって報告の投稿をする前に、かじかんだ指先をズボンの中で

融かそうとするのだけれど、5分程度じゃ解凍できません。

PIRIKA

PIRIKA に初投稿しました。

PIRIKA のホームページ では、↓↓↓のように紹介されます。

20分も経っていないのに、4人の方から「ありがとう」が寄せられました。

PIRIKA というのは、ゴミ拾いアプリです。世界中の誰かが毎日どこかで

ゴミを拾ってます。ゴミを拾ったら、PIRIKA に投稿して、報告します。

その投稿を見かけた方が「ありがとう」と励ましてくれます。

このアプリが、ちょっとずつ、広まればいいなと思ってます。

初めてのキャラ弁

女房が在職中に一度は作ろうと思ってたキャラ弁を

やっと作りました。

できあがった時には、なかなかじゃないかと思ったけれど

あらためて画像で見るとイマイチだねぇ。

中の人?は、油ミソ+コチュジャン焼きめしです。

女房は、今年3月で退職予定なので、最初で最後のキャラ弁かな?

セキュリティ対策ツールが起動できていなかった!

たまたま、NTTのスタートアップツールが起動していないことに

気づいたので、起動させて、メニューからセキュリティ対策ツールの

ウィンドウを開こうとしたら開きません!なぬー?と

調べたら、NTTセキュリティ対策ツールサポート情報に

「Windows 10 にて、セキュリティ対策ツールが起動できない」という

情報があり、修正モジュールが用意されていたので適用させました。

そこで止めておけばそれまでのことだったかも知れませんが、

気になって、Windows Defender が停止されていないかもと

PC設定 → 更新とセキュリティ → Windows Defender の項目を

見てみると

リアルタイム保護のオンオフボタンがグレーになっていて操作できなく

なってます。なんじゃこりゃあ!いつもいつも、言いたくないけど(実は

声を大にして言いたい) Microsoft のこーいうところがキライです。

勝手にいろいろ変更するわ、変更したことを言わないわ、元に戻せと

言っても言うことを聞かないわという部下が会社にいたらイヤでしょう?

ちなみに、私はそういう社員でした。人は、自分と同じ欠点を持つ者を

嫌うのかも知れません。

そこで、これをオフにしようと、gpedit.msc を検索して起動させましたが

起動させるのにエライ時間がかかって二重起動させたりして、また

起動させ直したりしたけれど、項目を展開しようとしたところで、

「応答ありません」となりました。とりあえず、放置させておけば

気を取り直して動き出すかもと、メイン機以外のノートパソコン2台に

NTT の修正モジュールを適用させて、gpedit.msc を検索すると

ありません。あれー?と調べたら、HOME エディションは、

ローカル グループポリシーエディターをサポートしていないのね。

ところで、2台のノートパソコンのうち一台は、Windows Defender の

リアルタイム保護がオンでしたが、もう一台はオフでした。

どういう違いなのか調べてみる気力もなく、レジストリを変更するほどでも

ないかと再びメイン機のデスクトップ(これは、pro)に戻りました。

ローカル グループポリシーエディターは、「応答なし」のままだったので

いったん閉じて再び起動させると

というようなヤな感じのダイアログが出ます。さっきも、出たのかな?

しかも、このダイアログは二回消さないと、ローカル グループポリシー

エディターをスタートさせることができません。

重いながらも、前回よりは、ちゃんと動いて、管理用テンプレートも

Windows コンポーネントも展開できました。展開できましたが…

Windows Defender という項目がありません。またまた、検索してみると

英語版 Windows10 Pro には、この項目があるようですが、日本語版の

それにはないみたいなのです。

もう、この件に関して(この記事を書く時間も含めて)3時間ぐらい

消費してます。とりあえず、この件についての残りは先送りとすることに

いたします。ブツブツ…

2016 始動

DANCER IN THE DARK を観た夜のことだったので、非常に

驚きました。寝床の準備をしようと二階への階段を上ってると

右目の端に光の線のようなものが走るのです。階段の電気は

点けていなかったのですが、周囲に何か光るものがあるかと見回しても

何もありません。何しろ、DANCER IN THE DARK などという

どこまでも救いのない暗い映画を観たあとなので、これは、

ひょっとして網膜剥離の前兆?失明する?という恐怖にかられて

しまいました。翌朝になっても、右の眼の隅に何かが見えるという

症状は消えていませんでした。ただし、周囲が明るいせいか

前夜のような光の線ではなく細く黒いものがチラチラします。

うつむいて頭を左右に振ると必ず視界の限界あたりに何かが

見えます。さっそく眼科を受診しました。

矯正視力検査、屈折検査、細隙燈顕微鏡検査、精密眼圧測定、

精密眼底検査、静的量的視野検査、眼底三次画像解析などの

検査を受けた結果、医師の診断は加齢による硝子体の萎縮時に

癒着している箇所が引っ張られて光や黒いものが見えているという

ものでした。

はぁ~。また、加齢による変化ですか。眼科医は、白内障が

始まっていることも、ついでに教えてくれました。この先、どれだけ

老齢化による身体の変化があるのでしょう。できれば、一覧表にして

教えてほしいものです。

老齢化に拍車がかかってるとなると、終活のほうも進めていかねば

なりません。

今朝は、↑↑↑だけの粗大ゴミを岡山市に引き取ってもらいました。

先日の資源化ゴミの日にも、今後着ることがないであろうスーツや

ネクタイなどを大量に出しました。

すべて捨てられるといいのですが、見てると心ときめくガラクタも

大量に所持していて、これらを収納するために妄想計画C を

発動しました。

↑↑↑のガラクタを分別して、

畳も引っぺがして(その畳がさっきの粗大ゴミ)、この部屋を

ガラクタ収納部屋に改造するというのが、妄想計画C です。

妄想計画進行中

年末に妄想計画A と妄想計画B が仮完成しました。

妄想計画A のウォークインクローゼットに、洋間8帖を

占拠していた衣類を移さないと、妄想計画B に

着手できないので、まずは、妄想計画A を仮完成させ、

妄想計画B に取りかかったのです。

↑↑↑ が、仮完成したウォークインクローゼット。照明が

白熱球で、しかも、一ヶ所しかないため LED 化して

複数設けることと、各柱をクサビで止めてるだけなので

梁を渡して強度を持たせることなどを考えております。

妄想計画B は、

洋間にスノコを敷いて

置き畳すれば、なんちゃって洋室→和室の仮完成。

この部屋を作らないと年末年始に帰郷した娘夫婦二組と

孫三人を泊めるスペースがなかったのです。

これらに加えて hana ちゃん内で加湿器を使うための

固定具作りなどタイムリミットの日の p.m. 10:00 頃まで

残業して、やっと間に合わせたのでした。

今度はシマンテックに撃たれた。

土曜日に、ある方から

「ドコライフに、http://dokolife.serveblog.net/dokolife.html で

アクセスすると『危険な Web サイトを遮断しました』と

ブロックされてしまう」という情報をいただきました。

ゲゲゲゲーッ!去年の7月に、Microsoft の誤爆により

何日間か接続不能状態に陥った悪夢がよみがえり

ました。

今回は、ノートンセキュリティを使ってる方が、特定の

サブドメイン名でドコライフに繋ごうとした場合のみ、

ブロックされてしまうという現象です。

前にも書きましたが、ドコライフには、推奨の

http://dokolife.net/dokolife.html 以外にも、

http://doko.sytes.net/dokolife.html

http://dokofuku.hopto.org/dokolife.html

今回の http://dokolife.serveblog.net/dokolife.html

などなど、幾通りもの URL を使ってアクセスできます。

なぜ、ひとつに絞らないのかという疑問を

持つ方もいらっしゃるでしょうが、大げさに言えば、

これまでの歴史的経緯もありますし、私の個人的な

事情もあります。それに、私だって、できるだけ

統一したいのですが、推奨以外の URL で

アクセスされる方が、一定以上いらっしゃる限り、

なかなか、ふんぎりがつかないというのが実情です。

それはさておき、危険な Web サイトというレッテルを

貼られたままでは、たまりませんから、月曜日まで

待ってシマンテックに電話しました。でも、電話するだけでも

大変で、最初に見つけた電話番号では、「10月から、

事業部門ごとに別々の会社になった」という説明のあと、

早口で、長々しいURLを会社別に、エイチティティピー

コロンスラッシュスラッシュ…と一回だけ言って一方的に

録音テープによる電話を切ってしまうのです。

もう一度かけて、URL をメモする気にもならないので、

主に法人相手のサポート担当電話番号をなんとか見つけて

かけました。

ところが、電話に出たお姉さんに事情を説明しようとしても、

どうにも、通じません。だって、DDNS なんて、どうやって

説明すればいいのでしょう?東京への市外電話なので

通話料が気になるけど、ひかり電話だから気にしなくても

いいのかな?でも、同じことを何度も説明してるのに

「遠隔操作によるサポートもありますが…」って、うわあ!

と、大声をあげたくなります。

ついに、「せめて、ネットワークについて知識がある方に

電話を代わって」というと、「かしこまりました。技術担当から

かけ直させていただいてよろしいでしょうか?」よろしい。

「その場合、海外から電話をおかけすることになりますが

不都合はございませんか?」日本語ですか?

「日本語です」じゃあ、そうして。

2時間ぐらい経ったかなあ。中国から電話が入りました。

少しだけアクセントがおかしいけれど、東京のお姉さんより

ちゃんとした日本語を使います。かなり詳しく状況を

述べて、私のサイトの再評価をしてもらうことにしました。

その際、dokolife.serveblog.net だけではなく、

dokolife.net や、IPアドレスに直に繋いだ場合も

評価してもらうように依頼しました。というのは、

私としては、dokolife.serveblog.net だけが危険な

サイトとしてブロックされて、他のものはブロックされない

ことから、なんらかの誤検知に起因すると考えていたの

ですが、実は、評価されていていたのが、

dokolife.serveblog.net だけで、その他のものは、

まったく、未評価の状態だったからブロックされなかった

ということが、サポートのお姉さんと話していて、

わかりました。この際、ちゃんと評価してもらって

おいたほうが、この先、他の URL が評価を受けたときに

またまた、誤検知されるリスクを少しは減らすことが

できるかもと思ったのです。それに、私のサイトに

まったく危険が無いと言い切れるわけでもなくて、

なんらかのマルウェアに感染していたり、最悪、

バックドアから侵入されて改竄されている可能性だって

あるわけですから、きちんと調べてもらうに越したことは

ないと考えたのです。

中国のお姉さんと長々と話をして、以上のことを伝えました。

最初の情報をいただいた方から、月曜日の夜には、

危険な Web サイトとしてブロックされなくなったとの

連絡をもらってましたが、シマンテックからの正式な

回答は、火曜日の昼頃になりました。

電話は、やっぱり、中国のお姉さんからで、一応は、

申し訳ないと言いながら、内容は淡々と解除したという事実を

伝えようというものだったので、ちょっと待てよと言いました。

再発防止は、どうなってるの?被害者救済はできるの?

ある方が知らせてくれなかったら、私のブログが

危険サイトとされてることに気づかないわけで、

いつも来てくれた方が急に訪問しなくなった理由が

シマンテックにあったとしても知り得ないのですね。

いやあ、けっこう、ゾゾッとする話です。

それに、もし、サイトを訪れなくなった人に

「実は、ノートンの誤爆で危険サイトとされてました。

安心して帰ってきて下さい」なんてメールしても、

かえって、「ぁゃιぃ」てことになりそうじゃないですか。

訪問しなくなった理由がそれと確定できるもんでも

ないですし…

まあ、一方的に苦情を言いつのって、私の電話が

終わるまで、相手は、申し訳ございませんを

繰り返すだけという不毛な申し立てに終わったと

思いますが、言わずにはいられません。

調べてみると、ノートンだけじゃなく、トレンドマイクロには

一年八ヶ月にわたって、対応もせず、被害者は、疲れ

果てて自らのサイトを閉じてしまったという例もあって、

なんとも言えない気持ちになりました。

たとえ話で言えば、シマンテックにしても、トレンドマイクロに

しても、「これをかけてネットを歩けば、誰が悪人か

わかりますよ」という眼鏡を売ってるようなものです。

その眼鏡の性能が悪くて、悪くない人が悪く見えた

ところで、眼鏡をかけた人は、その時点でだまされようが

だまされまいが、さほど大きな被害は受けないと

思われますが、悪人という色眼鏡で見られてしまった人の

被害は、毎日のように訪れてくれていた人が、ある日

突然、訪問をやめてしまっても、その原因が

あるメーカーの眼鏡の性能のせいと知ることは、

難しいことにあります。

しかし、一方で、たとえ、性能に問題があろうと、何も

見えない状態でネットを歩くというのは、もっともっと、

危険なので、眼鏡をかけないという選択肢はないのです。

ここに、ジレンマがあります。

今回の件で、いろいろ調べていく中で、自分のサイトを

含め、危険なサイトかどうかチェックしてくれる無料の

Webサービスがいくつかあることを知りました。

中には、危険と判断されたけど、どういうサイトか見たい

という人のためにサイトを画像にしてプレビューできる

というサービスもありましたし、サーバー証明書をどこが

出しているかという情報まで教えてくれるサービスも

ありました。

ということで、ブックマークは、

http://dokolife.net/dokolife.html

にしてください。心から、お願いします。

ドコ立

退職日から3年と4ヶ月が経過しました。残った有給を使い切って

辞めたので実質的には三年半が経ちました。

その間、ずーっと、晴れやかな気分で過ごしています。

中には、曇り空だったり、パラパラッと雨が降る日があったかも

知れませんが思い出せません。

35年間勤めている間には、何度か青空の日もありましたが、

たいていは曇り。数年も雨続きだったことも3回ほど

あったし、口惜しさに明け方まで寝付けない嵐の夜も

幾度となくありました。

なんで、こんなに勤めていたときと退職後では心の平和が

違うのだろうと漠然とした疑問は、ずっと持ってました。

結局、会社勤めに向かない性格なのだろうか、協調性に

問題があるのだろうかと、いろいろ考えていました。

しかし、退職後も町内会の活動など協調性を必要とする

場面がなくなったワケではありません。

利害関係がない?いいえ、生活者でいる限り、日常的に

利害関係は発生します。企画、営業、会計処理…

その他、会社でやっていたような活動は、いくらでも

ありますし、ちゃんとやっていかねばならないのも

同じです。

誰にも命令されない?そんなこともありません。町内の

長老からのブーイングを受けたら、おわびしたり、

説明したり、方向修正したり、その前に未然に防ぐための

根回し的なこともやらねばなりません。近隣のマンションの

オーナーや管理会社、岡山市などとの交渉ごとも

日常的に発生します。

でも、心が曇る場面がないのです。

なぜ?という疑問が最近になって解けたような気がします。

戦後の吉田茂の活躍とサンフランシスコ講和条約締結に至る

ドキュメンタリーの再放送を見ていて、はたと気づいたのです。

あ、そうか。会社勤めをしてるということは、占領下にあるのと

同じなんだ。経営者や役員はGHQ。上司たちには、G.I. も

いれば、官憲もいて、理不尽な要求をしてきたり、アホな決断を

したり、不当な評価をしたり…

それでも、営業をしていた頃に、いろんな会社を訪問してるので

比較的マシな会社ではあったと思うのですが(アメリカではなく

ソ連や北朝鮮、アサド政権の占領下にあるような会社が、

数多くありました)それでも、他人が決定し他人から評価を

受けるということは、独立している社会人とは言えないんですね。

では、出世の階段をキチンと登って経営側になったら良かった

のでは?という意見もあるでしょうけど、出世する人って

自分の意見は決して言わず、間違ったことだろうが、

正しくないことだろうが、平気で飲めちゃう人が多いんですよ。

それに、勤めていた会社は同族経営だし、親会社は絶対権力

持ってるしで、ヒラなら雨が降れば傘をさすこともできるし、

少なくとも退社後や休日は自由だけど、仮に経営側になったら、

隷属度は、さらにアップしたことでしょう。

会社勤めに向かないし、といって脱サラして何かができるという

能力があるわけではなし(これまた、営業時代に、いろんな

商売人と会ってみて、自分は商売には向かないことが

ハッキリとわかったし、企業内起業みたいなことを二度やって

二度とも大失敗したので、事業を起こすことにも向かないと

知りました)結局、私の天職は無職です。