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妄想計画B 再開

仮完成とは名ばかりで、単にスノコを置いて、その上に

畳を敷いただけでは、仮設でしかありません。この計画は

ヒートショック対策とは違って、夏対策として進めております。

昨年の夏までに、なんとかカタチにしたいと思ってましたが、

北海道旅行の準備があることを言い訳に中断したままでした。

風呂場のヒートショック対策で、せっかく私のエンジンが

かかったので冷えないうちにと取りかかりました。

去年までに、↑↑↑ のように隠し釘などを使って枠部分の

加工は、ほぼ、終えていました。

今年は、その枠木を現場合わせで長さを調整したり、

スノコの寸法を合わせたり、

木枠同士を突き合わせて接続したり、

木枠に隅のスノコを固定したりして、

畳を敷いてみました。

おりょ?畳の上面と木枠の高さが合いません。

スノコを2枚重ねて、その上に畳を敷くとピッタリでした。たぶん、

こういう設計だったのでしょう。1年以上かけて工作してると

最初の設計なんて、完全に忘れてます。スノコが、もう6枚

必要になったので、ニトリに買いに行くと店頭在庫が5枚しか

なかったので取り寄せてもらいました。入庫予定日は、

2月の17日だと言うので、妄想計画B は、その日までお休み~♪

でも、そのころには、ジンちゃんの工作に取りかかってるなあ。

まあ、夏までにできればいいんだし…

暮らし方改革

ふだんは見ないのですが、昨夜は、たまたま、「カンブリア宮殿」に女房が

チャンネルを合わせていました(本人は、そのまま、うたたね)何となく見ると、

これが面白かったのです。

テーマは「ブラックからホワイトへ!”働き方革命”最前線」

働き方改革です。

私も、現役時代、残業が月に100時間超えは、あたりまえ。さいわい、

100時間を超えたぶんは、閑散月につけることを上司が許してくれたので、

サービス残業はしなくても良かったのですが、本来は、残業時間が100時間を

超えないように労務管理しなければならなかったということですね。

しかし、当時は、そういう考え方自体がありませんでした。しかし、時代が

進み、退職前には、有給休暇を取るための届け出に理由を書く欄が

あることに噛みついて、そもそも、有給休暇は、理由がどうであれ、

使用者側は拒否できないものなので、理由を問うこと自体がおかしいと

主張して届出書の変更を求めたりしました。窓際族どころか、窓の縁に

掴まって身体は窓の外にある身だったので、要求は通りませんでした。

7項目ほどから理由を選ぶ形式だったので、本当の理由がどうであれ、

常に、「7.その他」を選びますよということで折り合いました。当然、

その理由は問わないという条件だけは呑ませました。

まあ、こうした小競り合いをいくつも持ったおかげかどうか、最終の繁忙月だけは、

営業所内の誰もが労使協定以内の残業時間で収めることができました。

退職時に、残った有給休暇をすべて消化して辞めたのも、私が最初か、

せいぜい二人目くらいだったのではないかと思います。

こんな話を書くのも、働き方を改革するどころか、正常な状態にするのでさえ

末端の社員が行うのは、ほぼ、不可能なのものだと言いたかったわけです。

ところが、番組の中でSCSKの相談役 中井戸 信英氏は、新入社員の

頃から、有給休暇の取得に文句を言った上司に対して反論するなど

自分の働き方を考え実践し、その働き方を続けていくための努力を

惜しまなかった方でした。

そういう方がトップになったとき、行った働き方改革は、残業を1~2割減らす

といった小手先の物ではなく、残業を減らした者には、報奨金を与えるなど

まさに改革と呼べるものでした。この方の偉い点は、残業を無理矢理減らせば

業績が落ちるだろうなと覚悟していた点です。さらに、残業を減らして浮いた

人件費は、すべて社員に還元するという決意を持っていたことです。

結果として、月180時間の残業をこなしてきたリーダーを始め、社員が残業を

減らすための業務改革に真っ正面から取り組み、クライアントとの関係性にも

踏み込んで改革を進めて業績悪化どころか、右肩上がりの売り上げ増大と

営業利益率の向上を手に入れたのでした。

もうひとり、ソウ・エクスペリエンスの西村 琢 社長は、子連れ出勤OK、副業OK

という働き方を認めることで、たとえば、子供が何に興味を示すかを見て新しい

ニーズに気づくヒントを得たり、副業を通じて得た人脈や情報を自社の業績

向上に結びつけることができたと述べました。しかし、実際は、Aというやり方が

Bという結果を生んだといった単純なものではなく、社員が生き生きと働ける環境を

整備したことで、ひとりひとりの社員が持てる力を発揮できたので業績が

向上したんだと思います。

上のようなことを、今朝、寝床から出る前に思い巡らしていて、おお!そうだ!

我が家の暮らし方改革に取り組もう!と思いついたのです。たまたま、

昨日は、先日買ったトレーニングウェアを着て、一時間ほどウォーキングを

女房としました。昨年末の人間ドックの結果が思わしくなく、高脂血症対策として

始めてみようかということだったのですが、やってみると中身は散歩ですから

いろいろ発見もあって面白いのです。

夜には、ふれあいセンターのアスレチックコーナーで指導員に運動相談に

乗ってもらい、とりあえず、明日から始めることを決めてきました。

このふたつだけを書けば、悪玉コレステロール値を下げるために、やっと、

重い腰をあげただけみたいです。しかし、これを暮らし方改革という面から

見れば、ちょっと、感じが違ってきます。

◎ ウォーキングもアスレチックも楽しそうだ。楽しいから始めるというのなら

改革と呼べるだろう。

◎ 健康への取り組みというのは、暮らし方改革の主要な柱だ。その点でも OK!

◎ 我が家はツートップ体制(っていうか二人しかいない)なので、女房発案の

「少しは運動したら」に、そのまま乗っかることで、抵抗されるどころか応援を

受けることができるのだから、これに越したことはない。

◎ とりあえず、三ヶ月続けてみよう。三ヶ月後に検診結果をふまえての

受診をするので、運動に取り組んだ結果も見える(指導員の方は

はっきりと数値効果が得られると請け負ってくれた)

とういうように、単に高脂血症対策としての運動ではなく、暮らし方改革のための

運動と考えるとモチベーションもあがり、取り組み方も積極的になります。

今週は、長年できていなかった献血を実に17年ぶりに再開したり、初めて

ご近所麻雀を開催してみたりと、暮らし方改革につながりそうなことを

やり始めています。

PIRIKA も、どんどん、間遠になって、最近は月に一度がやっとですが、

それでも、形式的には一年続きました。これも、2年目の活動を開始しなければ…

間違いだらけのショウガ健康法

いえ、間違ってたのは、私なんですが…

タマネギ健康法 +α+β+γ で、ショウガを毎日30g程度

食べようとしていると書きました。その目的は、ヒザの

軟骨がスリ減るのを遅らせようということにあるわけですが

大きな勘違いがありました。ショウガオールを摂取すれば、

効果があると思い込んでました。ところが、本当は

ジンゲロールを摂らねばならなかったのです。

それに、これまでの調理法では、ショウガオールさえも、

壊れてしまってた可能性が高く、毎日、せっせと食べていた

ショウガでしたが、ほとんど何の効果もない食べ方だった

ようです。加熱すれば、ジンゲロール → ショウガオールに

変化するというくらいの知識はあったのですが、80℃ 以上に

加熱すると壊れてしまうことは知りませんでした。タマネギの

甘さを十分引き出して、ショウガの辛さに対抗するため、

これでもかというくらい強火で長い時間炒めていたのでした。

おまけに、朝食前に食べた残りを昼食前に食べていたので、

中華鍋に残しておいたタメネギ+ショウガをさらに加熱して

完膚なきまでにショウガオールを破壊していたのです。

でも、ショウガオールの一日の摂取量って、2~3g が

適量らしいので、かろうじて生き残ったショウガオールだけでも

このくらいの量はあった可能性も?でもでも、仮に適切な

調理をして最大限にショウガオールを生成できたとして

ショウガ何g を使えば、2~3g のショウガオールが摂取できるのか

そこのところがわからないと、意味なさげですね。

前置きが長いのは、いつものことですが、さて、どのように

調理法を変えたかというと、

1)まず、タマネギをできるだけ薄く千切りにする

2)オリーブオイル+ゴマ油を引いて熱した中華鍋に
タマネギを入れて弱火で加熱する

3)ショウガをできるだけ細く千切りにする。長さも、3cm
くらいに揃える

4)味噌を少量の料理酒で溶いてタマネギに味付けをする

5)中華鍋の火を止めて、ショウガを生のまま混ぜて完成

あとは、ひと匙ひと匙、アマニ油をかけて食べるわけですが、

弱火でも、ショウガを刻むのにかかる時間をかけているので

タマネギは甘くなってます。弱火加熱には細胞膜を破壊しない

という効用もあるようですし。熱を加えないので、ショウガが苦く

なることもありません。でも、炒めて体積が減ったタマネギと

ほぼ同量のショウガを混ぜるので、生ぬるくなってしまいます。

アマニ油のオメガ3脂肪酸が破壊されにくくなりそうなのは

いいのですが、生ショウガが勝ってしまって、これまでに

比べると味は相当に落ちました。今後、思いつくことや、

情報があれば調理法には工夫を加えたいと思いますが

意味のない食べ方をしていたのが是正できたのは、

とても良いことだったと思います。

タマネギ健康法 +α+β+γ

原則として、一日一個の割合でタマネギを食べるという習慣は、

2年近く続いてますが、半年前あたりから、これに加えてショウガを

毎日30g程度食べようとしています。

ずっと、タマネギは粗みじんに切っていたのですが、ショウガを千切りに

するので、タマネギも千切りにしたほうが、ショウガの辛さが、まろやかになって

おいしくなることを発見したのです。

鉄製のフライパンにオリーブオイルとゴマ油を半々入れて油を引きます。

弱火~中火で、しっかりとタマネギに火を通して甘みを引き出します。

味噌は、減塩タイプなので、このくらいの量。味噌と等量か、ちょっと多いくらいの

料理酒で溶きながら、まんべんなく味が行き渡るように混ぜます。

できあがったタマネギとショウガの味噌炒めには、アマニ油をかけて食べます。

実際には、上のように皿に盛るのは女房用だけで、私はフライパンから

直接スプーンで食べます。このとき、ひと匙、ひと匙、アマニ油をかけて

食べるのです。熱に弱く酸化しやすいですからね。かけては、すぐ食べる

ようにしています。

ということで、タマネギ健康法の α、β、γ は、ショウガと、オメガ3脂肪酸と、

フライパンから摂る鉄分でした。ショウガは、一日、60gぐらい食べると

膝の軟骨がすり減るのを防止できるらしいのですが、さすがに、その量を

食べるのは難しいので、せめて、半分を摂取することを目標にしています。

上の写真は新ショウガなので、わかりにくいのですが、ショウガはタワシで

汚れだけ取って皮ごと使うようにしています。

 
※ ところが、調理法に重大な間違いがあったことがわかり、

調理法を変更しました。

間違いだらけのショウガ健康法

をご参照ください。

阿蘇です。

4月26日の夕刻に岡山を出発して、27日は道の駅「ゆふいん」で

泊まりました。その夜、ネットで情報を集めてみると、由布市では、

26日でボランティア募集を終了してました。それでも

あきらめきれずに、翌28日に由布市社会福祉協議会の湯布院支所や、

避難所の湯布院B&G海洋センターに行きましたが、迷惑そうに

市役所で聞いてくれと言われて、これ以上のゴリ押しをせぬように

竹田市に向かいました。荒城の月で有名な竹田市は

岡城にちなんでということでしょうが市庁舎もお城風の作りでした。

ここでは、社会福祉協議会で聞いてくれと言われ、

そちらに行くと、ちょうど竹田市民を集めて、5月1日から

南阿蘇を支援するための説明会を開いているところでした。

ボランティアを受け入れるどころか、自らボランティアを

熊本に送り込むための前線基地として活動しようと

していたわけです。

なんとか大分で活動したいという意図を持っていたのですが、

やむなく、熊本入りしました。ここでも、観光案内所で聞いた私も

アホでしたが、阿蘇市役所→ボランティアセンターの経路を

たどって、翌29日の活動ができる道筋がつきました。

九州地方の方に限るという条件がありましたが、来た者を

追い返すようなマネはいたしません。

かくして、念願の?活動第一日目は、瓦の片付けで、

前日もボランティアが入った継続ということもあって、

11時頃には作業を完了してボラセンに帰着してました。

すでに、ニーズをボランティアのほうが上回っていて

並んでいても、ありつけそうにないと早々と見切りをつけて

この日の活動を終了することにしました。

夕方、昼寝から目覚めて、とりあえず、県境なき PIRIKA 団活動を

してみました。通りかかった女子中学生二人から元気な

挨拶をもらって、私のほうも元気が出ました。

ちょっと写真では見にくいですが、今回のために作ったゴミ拾いグッズ2号です。

20リットルと45リットルのゴミ袋に対応してます。

拾ったゴミは、自衛隊さんが処理してくれると言ったので助かりました。

ゴム長片方とか、そこそこ大物もあったし、誰も、PIRIKA したことない

と思えるほど、数%は土化したような吸い殻多数とか、空き缶10本入りの

ビニール袋などもあり、岡山まで持って帰るのは正直ツライなあと

思っていたので、自衛隊さんがバックについてくれるなら、

明日以降も、また PIRIKA できるかも。

今日は、阿蘇神社の真ん前が活動場所でした。

昼休みに崩壊したと何人かのボランティアさんから聞いていた

阿蘇神社に行ってみると、

正面門と拝殿が見事に崩壊していました。他にも大きな石灯籠や、石柱の塀なども

被害を受けていました。

道の駅ゆふいんで、わずか震度1という規模ながら初めて直下型地震というものを

体験しました。コツンと真下から突き上げられる感じで、それでおしまいです。

横揺れというものが、まったくなかったんです。阿蘇市で震度7を体験した

今日のボランティア先の方によると揺れるというよりもグルグルと回されるという

感じだったとおっしゃってました。

ゴミ拾いグッズ

最初に東急ハンズで、↓↓↓ を買いました。

そう。私は PIRIKA さえも、カタチから入るのです。ウワサにたがわず、

ゴミをはさむ能力は高いのですが、時に先端が交叉してしまうのが

ちょっとした難点ですかね。

次に ↓↓↓ を作りました。ゲジゲジ足の端材があったので、わりと簡単に

できちゃいました。

これの使い方は、

というふうに、左右にレジ袋を下げて、燃えるゴミと燃えないゴミに分別して

収集します。片手にゴミ拾いトングを持ってるので、もう片方の手で二つの

レジ袋を口を広げた状態で持つためのゴミ拾いグッズです。

今後、使っていくうちに、マイナーチェンジやフルモデルチェンジを

していくかも知れません。

PIRIKA ではゴミの種類別に個数を報告するので、ゴミを拾ったときに

カウントしていくためのメモはさみを先っぽに固定しました。

PIRIKA アプリにもカウンターはついてますが、両手がふさがった上に

スマホまでは操作できません。それに、この時期は分厚い手袋をして

ゴミ拾いしてますから、手が空いててもスマホ使えません。

メモするときは、トングを脇にかかえて、Tally で数えます。

Tally とは、西洋式の正の字ですね。タバコの吸い殻なんかは、

一気に十個ぐらい拾うときもありますから、そのときには、Tally じゃなく

数字で書きます。

ところで、なぜ、PIRIKA を始めたかというと、以前から気になっていた

日頃の運動不足の解消。中でも歩く習慣を身につけるための

動機付けとして、これはいいぞと、ピーンときたからです。

3月4日の高LDLコレステロール血症3ヶ月経過検査で何の改善も

見られなくても、果たして続けることができるでしょうか?

その前に、それまでちゃんと続けることができるでしょうか?

だって、寒いんだもん。一回のゴミ拾いは、小一時間というところですが、

終わって報告の投稿をする前に、かじかんだ指先をズボンの中で

融かそうとするのだけれど、5分程度じゃ解凍できません。

PIRIKA

PIRIKA に初投稿しました。

PIRIKA のホームページ では、↓↓↓のように紹介されます。

20分も経っていないのに、4人の方から「ありがとう」が寄せられました。

PIRIKA というのは、ゴミ拾いアプリです。世界中の誰かが毎日どこかで

ゴミを拾ってます。ゴミを拾ったら、PIRIKA に投稿して、報告します。

その投稿を見かけた方が「ありがとう」と励ましてくれます。

このアプリが、ちょっとずつ、広まればいいなと思ってます。

初めてのキャラ弁

女房が在職中に一度は作ろうと思ってたキャラ弁を

やっと作りました。

できあがった時には、なかなかじゃないかと思ったけれど

あらためて画像で見るとイマイチだねぇ。

中の人?は、油ミソ+コチュジャン焼きめしです。

女房は、今年3月で退職予定なので、最初で最後のキャラ弁かな?

2016 始動

DANCER IN THE DARK を観た夜のことだったので、非常に

驚きました。寝床の準備をしようと二階への階段を上ってると

右目の端に光の線のようなものが走るのです。階段の電気は

点けていなかったのですが、周囲に何か光るものがあるかと見回しても

何もありません。何しろ、DANCER IN THE DARK などという

どこまでも救いのない暗い映画を観たあとなので、これは、

ひょっとして網膜剥離の前兆?失明する?という恐怖にかられて

しまいました。翌朝になっても、右の眼の隅に何かが見えるという

症状は消えていませんでした。ただし、周囲が明るいせいか

前夜のような光の線ではなく細く黒いものがチラチラします。

うつむいて頭を左右に振ると必ず視界の限界あたりに何かが

見えます。さっそく眼科を受診しました。

矯正視力検査、屈折検査、細隙燈顕微鏡検査、精密眼圧測定、

精密眼底検査、静的量的視野検査、眼底三次画像解析などの

検査を受けた結果、医師の診断は加齢による硝子体の萎縮時に

癒着している箇所が引っ張られて光や黒いものが見えているという

ものでした。

はぁ~。また、加齢による変化ですか。眼科医は、白内障が

始まっていることも、ついでに教えてくれました。この先、どれだけ

老齢化による身体の変化があるのでしょう。できれば、一覧表にして

教えてほしいものです。

老齢化に拍車がかかってるとなると、終活のほうも進めていかねば

なりません。

今朝は、↑↑↑だけの粗大ゴミを岡山市に引き取ってもらいました。

先日の資源化ゴミの日にも、今後着ることがないであろうスーツや

ネクタイなどを大量に出しました。

すべて捨てられるといいのですが、見てると心ときめくガラクタも

大量に所持していて、これらを収納するために妄想計画C を

発動しました。

↑↑↑のガラクタを分別して、

畳も引っぺがして(その畳がさっきの粗大ゴミ)、この部屋を

ガラクタ収納部屋に改造するというのが、妄想計画C です。