私に内示された異動先は、外車の販売拠点でした。すでに50歳を
迎えてましたので、この年齢で現場の最前線に異動ということは、
完全に「おまえに出世はない」という宣言となります。
しかし、事件が起きました。なんと、その内示を受けた異動先の
所属長が私の着任を拒否したのです。何でもありの人事ですが、
さすがに、これは初めてのことで「おまえ、何をしたんだ」と
私に聞かれても……
だんだん、この連載も残り少なくなっているので、種明かしすると
その所属長は、国産車の販売しか経験がない私が来ると拠点の成績が
下がるので拒否したいという理由だったということが、かなり後に
なってわかりました。着任後、半年か1年ガマンして再びトバせば
いいものを前代未聞の着任前拒否をしたので、ちょっとした騒動に
なってしまったのです。
拠点長には非公然ですが人事権がありました。異動の時期になると
トップから電話があるのです。私はトバされる十年前に10人ほどの
小さなお店ですが店長をやってました。私はトップに答えました。
「彼女は優秀ですが、私には充分にその能力を引き出すだけの力が
ありません」すると、彼女は異動になります。
拒絶された私の異動先は急遽、問題ある社員がトバされる流刑地に
変わりました。さすがに、これは堪えました。窓際ではなく窓の外です。
「おまえは存在しないことにする」という宣告です。
新しい流人を異動先の人々は冷ややかに迎えました。上から下まで
はぐれ者ばかりなので、起こるべくして起きるいざこざが、1年か2年の
月日の中で、いろんな形で起きては収束していき、流人頭のような人から
可愛がられるようになった頃には、居心地は悪くはなくなったのですが、
何しろ週に4日か5日は午前中には仕事が終わってしまい、とにかく、
一日が長いのには閉口しました。
ある日、流人頭が私に相談があるんだが……と切り出したのが、お嬢さんの
パソコンを使ってエロサイトを巡っていたら、次々とエロサイトへと誘う
ウインドウが果てしなく開き続くという事態になってしまって、お嬢さんに
大叱られで大弱りというものでした。その日、ノートパソコンを持ってきて
いたのか、次の日だったのか忘れましたが、こういうのには強いので
直してあげることができました。その日から、流人頭とは保護者と被保護者の
関係ではなく友達となりました。
夕方になると、来客用のカウンター(その時間帯になると来客はありません)で、
その流人頭と二人並んで窓の外をボーッと眺めながら、さして雑談を
するでもなく就業時間が終わるのを待つのが日課になりました。
西向きの窓なので、かなり高い位置にある夕日が山の端に沈むまで眺めて
ました。毎日見てると夕日が沈む位置が最も南になるのが、12月10日頃
だということがわかりました。
それまで、冬至の日に最も遅く日の出があり、日の入りも最も早い時間に
なると思い込んでいたのですが、たとえば去年の岡山では12月5日に
最も早い日の入りがあり、1月7日に最も遅い日の出となります。
冬至は、12月22日でした。同様に、6月13日に最も早い日の出で
6月29日に最も遅い日の入りでした。夏至は6月22日でした。
こんなことが、わかったからといって何もうれしいことではありません。
こんなことが定年まで何年も続いたら人間がダメになる……と心から
心配になりました。
翌年の3月に他拠点から繁忙期の応援要請があり、私はホイホイと手を
あげました。そして、4月になっても、その拠点に居続けました。
拠点長が、 カーリース業務の前々任者だったので、つまり、異動させて
もらったのです。そこでの仕事は、新車のコーティング作業員でした。
実は、最初にトバされたときに就職活動をしましたが、ハッキリ言って
相手にしてもらえませんでした。それに、就活というものを今考えてみて
完全にナメてました。流刑地での体験もあって、毎日仕事があるというのは
ありがたく、職種を選り好みしなくても、どこも雇ってくれないというのが
現実だということも理解してましたから、実質的に失職してしまってる
ところへ、運良く再就職先が見つかったわけですから、ぜいたくを言っている
場合ではありません。私は、定年退職までの数年間をカーコーティング作業を
しながら過ごしました。
おはようございます。
小説が書けそうなお話ですね。
私も定年が見えてくる年になってからとんでもない所へ異動になり、「こんなところでやっていられるか!」と、すぐに異動希望を出し希望は叶ったものの、仕事をしているふりをしてパソコンをながめる生活を、定年まで過ごすはめになったことを思い出しました。
番外編は、もうちょっと続くので、その中で返信めいたことを
書くことになると思いますが、誰でも、一冊だけなら小説を
書くことができる、自分のことを書けばいい、なんて昔から
言われますよね。「ポツンと一軒家」とか、「 家、ついて
行ってイイですか?」や、「ドキュメント72時間」などなど
他人の人生を垣間見る番組が人気なのも、同じ事なんでしょう。
それにしても、 Shunta さんにも、同じような日々があったとは
驚きです。